常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年12月21日金曜日
向き不向きの心理学〜或いは向いていないは向いているのサインの心理学〜
人には誰しも向き不向きがある。
私は心理職は天職だと思っているし周りもそのように思って下さる方が多い。
されどそれ以外の仕事は色々と過去経験して見たが向いている仕事は見つからなかった。
器用貧乏とはよく言った物で凡ゆる職種の方のお心を読む事とその仕事に就く事は同義ではない。
色々な職種の方から”私の仕事先生は向いてますよ”と進言を頂戴する。
それはその人のお心の中を読み職業的悩みを解決差し上げたが故である。
だがそれは私が専門職だから出来る事でありその職種の経験があるからではない。
人がやる事には須らく”心”が介在し”心”が介在しない仕事は存在しないというのが持論。
その通り私は凡ゆる職種を持つ方々のお悩みを聞きそれを解決へと導いてきた。
凡ゆる職種に就く人の行動を具に観察すればその人の行動様式が見えてくる。
それが見えてくるとそれらの行動の中に現時点の問題点や改善点も見えてくる。
それをお示しする事でお心の中の問題や悩みを解決差し上げる。
それが”常態行動心理学”である、先ずその人の”行動”を観察しその行動に至る”心”を分析する。さすればその”心の問題”に迫る事ができる。
されど言うは易く行うは難し、経験と知識が物を言う世界。
誰しもが出来る事ではないと自負をしている。
閑話休題
所謂その職業に”向いている人と向いていない人”がいる。
人からその職業に向いていると言われている人の中には本当にその素質がある人がいる。
それはその人の隠れたスキルにより誰かが恩恵を賜われた証拠である。
だが恩恵を与えた相手は無意識にそれを行っているのでそう言われもピンとこない。
されどそれを言う人は間違いなくその恩恵を賜った人かその場面に遭遇した人の筈。
それなしに”向いている向いていない”を判断する事はできないからである。
されど”向いていない”に関してはこれはそう簡単にはいかない。
”向いていない”言う人は二種に大別される。
一つは”向いてない”と言った相手から何らかの不利益を蒙った場合。
解りやすくいえば”ジャイアンリサイタル”で聴衆した人は”歌手になる”事を”向いていない”というであろう。
何故ならその為に毎回聞きたくもない歌を聞かされる羽目になるからだ。
今一つは”向いていない”と言った相手が自分より多く利益を得るのを阻止する場合。
此れも解りやすい例を出して説明しよう。
”とても似合う服”を女友達が着て居たとしよう。
その服を見た”自分が気に入っている男性”がその服を着た彼女に好印象を持ったとする。
すると”似合っている服”を着られる事でこの女性は”意中の男性”を逃す可能性がある。
そうなれば当然”似合っているのに似合っていない”と言いそれをきせまいとする。
何もこれは女友達に限定しない。
家族や彼氏もその範疇となる。
家族と言えど同じ女性、当然嫉妬心はある。
彼氏と言えど同じ男性、他の男性が好意を持たれる服は着て欲しくないであろう。
生物学的生存本能と所有意識からくる言葉である事に目を向けるべきである。
以上の様に”向いている”とする場合はその言葉を素直に受け入れその道を未来の選択肢の一つとして考えても良いと私は考える。
されど”向いていない”とする言葉をそのまま鵜呑みにする事は反対である。
先ずその反対をする人との”人間関係”を考査しそれが”正しい選択”であるかどうかを精査する必要があるだろう。
案外この”向いていない”を言われた事が原因でお心を病む結果に至る人も少なくない。
くれぐれも御注意を。
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