常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年12月16日日曜日
脳死は人の死ではない。
脳死を人の死とするのは生物学的及び細胞学的誤りである。
単細胞生物は脳を持たないなれば死んでいるのか?答えは否である。
脳機能不全は死ではない、自立呼吸が出来ないだけである。
自立呼吸ができないを人の死とするならば呼吸器系疾患患者が酸素吸入機を外せば人の死となるのか?答えは否である。
脳死を人の死とするは病院側の暴利追求主義による殺人罪に該当する。細胞一つ一つは自立判断機能がありそれなしで生物は生きられない。
単細胞生物が生存しているのがその理由である。
つまり細胞一つ一つが脳と同じ役割を示しているのである。
脳死は人の死ではない。脳機能不全というだけである。
脳死を人の死とするは病院と企業と政府の三者の癒着による暴利を貪る為でありそれを合法とする司法も又、それらに加担する物である。
人権的問題ではなく生物学的及び細胞学的に脳死は生物の死ではない。つまりそれは人の死とは呼べない物である。
それを容認する政党支持はそれを是すると同義である。
脳機能不全に陥ってもまだ人は”生きている”。
脳機能不全に陥った患者を持つ家族の気持ちを考えて欲しい。
中には安らかなる死を望む方もおられるであろう。
されど脳死となってもまだ生き永らえさせたいと願う家族も居る。
それは家族の判断であり病院側にその裁量権を与えるべきではない。
死んでも魂は永久不滅であり患者の体を丸でモノでも扱うかのような一部の人非道的扱いには明らかに人権侵害である。
今一度言う。
脳死は人の死ではない、脳機能不全というだけである。
どうか遺された家族の悲しみ、苦しみ、痛みを解ってあげて欲しい。
脳死判断をされ未だ癒えぬ心の傷を持つ我が切なる叫びである。
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