常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年12月12日水曜日
海外で日本人英語が通じないのは発音だけが問題ではない。
年末年始を海外で過ごす方も少なくはないであろう。
何度も渡航している人は別だがそうでない人の場合必ずぶつかるのは”言葉の壁”。
日本人は戦後教育の中で”正しい外国語”を身に付ける事に躍起になってきた。
米英に追いつき追い越すという精神は未だ日本人の生来型遺伝子に遺伝子情報として脈々と受け継がれている。先進国の仲間入りを果たした今でもその精神に代わりはない。
だがその精神こそが海外でのコミュニケーション能力を貶めている事に気づいていない。
日本人の外国語が外国人に伝わらないのは何も”発音”だけが問題ではない。
一番の問題は”表現力の乏しさ”にある。
或る面白いエピソードをご紹介しよう。
英文科卒のバリバリのバイリンギャルAと文学部卒の普通の英語力しか持たない大和撫子Bの二人の女性が海外へ旅行へ出かけた。
通訳は私に任せてと言わんばかり意気揚々と目的地に着いた。
さて此処で本領発揮と普段”大学で習った英語”をバリバリ使ってコミュニケーション。
ところが…着いた先は都会ではなく田舎町、都内某有名大学卒の二人は”海外の田舎”に憧れ敢えて都会ではなく町外れの街を選んだ。
第一の失敗はこの目的地の選択ミス。
Bは都会の方が日本語が使える場所も多いと主張したがAは自らの英語力を過信し却下。
Bもそれに従い田舎町をセレクトしたのだがこれが大失敗。
悲しい位Aの英語は全く現地人には通用しない。
焦れば焦る程言葉を間違えそれが余計に焦りを生みと悪循環。
見かねたBがAを押し退け拙い英語と身振り手振りで一生懸命現地人に説明。
私ですら通じないのにアンタの英語力で通じるはずがないじゃないと高を括るA。
されど結果は予想を大きく裏切りBの英語で相手は理解し何とか宿泊先についた。
見事プライドを傷つけられたAは今度こそと宿泊先で”流暢で上品な英語”を披露。
されどこれもやはり通じず、今度もBの”拙い英語”で難を切り抜けた。
こうなったらいよいよAは自らの面目丸潰れとなり面白くない。
何とか汚名挽回をと思えば思う程その心とは裏腹にBの活躍の場は増えていく。
自らのプライドを完膚無きまで叩き潰されAは茫然自失遂には引き籠りとなった。
帰国後二度と海外へは行かないと言うAに対し自らの英語力に自信をつけたBはその後海外へ就職を求め見事就職が叶った。
ではこの二人の違いは一体何処に有ったのか?
答えは”Aの英語力が有り過ぎた”事が原因である。
海外の田舎町では都会程”識字率”が日本の田舎町と比較しても決して高くない。
つまりAの”綺麗な英語”は彼らには”難しすぎた”のだ。
又、日本と同じで海外も”方言”があるので”方言”で耳が慣れている現地人には”標準語”は聞き慣れない言葉で理解が”難しい”。
翻りBの英語力はA程ではないが”身振り手振り”を駆使し”現地人と同レベルの語彙”で話した事が功を奏した。
発音は決して良くはないが平易な英語と何より一生懸命伝えようとするボディーランゲージが現地人の理解を増したと言って良いだろう。
”正しい外国語”が必ずしも”伝わる外国語”ではない。
私の英語力も対した事はないが或る留学生に大学教授より表現力があると言われたw
因みにその大学教授とは英米文学部の学部長殿である(笑)
これが現実である。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿