常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年11月25日日曜日
質素倹約を尊ぶより稼ぐ方法を考えよう
日本国憲法で保証されている基本的人権の中の『健康的で文化的な生活』という条文の中に『幸福の追求権』という物が新たに加わった事を知る人は案外少ないかもしれない。
良く極貧生活や節約生活の企画物を近年TVで見かける回数が増えた。
過日も某巨大ガールズユニットの内の一人が某番組の節約生活の企画脱落した事にマスコミ各社芸能人からも批判された記事が出ていた。
徳川吉宗公以降質素倹約を尊しとする風潮は日本に強く根付いている。
確かに島国且つ単一民族で資源に恵まれない日本においては質素倹約は日本人が生きる術として必要な事だったのかもしれない。
サバイバリゼーションの観点から見ればそれは勿論外れては居ない。
人間生きて行く為には必要最低限の物があれば生きる事はできる。
されど生物学的生存と人間の『文化的生活』は実は大きく異なる。
人間が他の動物と異なり文化を持ち地球上で進化し生き残れた理由の一つに人間が持つ『欲望』という部分を決して外す事はできない。
勿論他の動物にも『欲望』はある、だが『理性』はない。
先の二律背反の話と同じ、この二つのバランスのお陰でヒトは地球上で知恵を持ち文化を持ち長く地球でその存在を許されたのだ。
人間がこの二つを持ち合わせていなければとっくに自然に淘汰され人間という生物はこの世に存在しなかったであろう。
『理性』とはいわば『節制』と言い換える事もできるであろう。
されど先のバランスと同じ、『節制』があれば当然『消費』もある。
この『節制』と『消費』のバランスが上手に取れている人は『幸福』に生きている人だと言わねばならない。
されど中々人間このバランスを保つ事は難しい。
『消費』に過ぎれば財を失い『節制』に過ぎれば心を失う。
どちらも『過ぎたるは猶及ばざるが如し』である。
年末に近くなり皆さん『質素倹約』に必死になっている。
だがそれもまた『消費』へ向けての物である。
飽く迄『節制』を主目的にしてはならぬと私は考える。
『節制』は私から見れば美徳でも何でもない。
それも過ぎれば我が目には『悪徳』にしか見えない。
今の世の中『稼ぐ方法』は幾らでもある。
勿論犯罪や人様に顔向けできない商売をせずともである。
創意工夫で『節約』するより創意工夫で『稼ぐ』事を考えよう。
それが人間が『健康で文化的かつ幸福を追求できる』存在である証である。
その方法は私がお示し出来ます。
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