常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年11月5日月曜日
心理職の仕事はお心を治す事…だけじゃありません。
私の仕事はお心を煩われた方のお心を治す仕事…だけではない。
お心を煩われ長く社会生活から離れ社会生活を営む事が困難となった方を社会復帰させる事も又、大事な仕事である。
お心を煩われて居られる方の一部はそれを免罪符としてそれを逃げ口上に使う方も居られる。
されどお心を患っている事は免罪符ではない。
自分は心を患っているのだからと言い傍若無人なる振る舞いをする者には私は容赦なく糾弾しその罪を問う。
大抵は逃げ腰となり喚き暴れそして心を閉ざし我を敵視する。
それでも私は糾弾する事を止めない。
此処で止めて優しくする事は簡単である。
だがそれでは一向に自らの間違いに同胞は気づけないままである。
それが法的違法性を持たぬ間は良いが法的違法性を持った場合お心を患っている如何に関わらず罰則は課せられる。
幸いにして罪を逃れられたとしても今度は精神異常者のレッテルを貼られ精神科病棟へ強制的に入れられ其処から通常の社会復帰はほぼ絶望的となる。
私自身の同胞となりし場合それは絶対に許されるべき事ではない。
私自身の経歴その他に傷がつく云々なんぞどうでもいい。
そんな事は瑣末な事である。
私は関わった同胞は全てその病を治し社会復帰を実現させる事を最終目的としている。
それが叶わぬ内は『完治』とはせぬ、少なくとも私の中では。
プロなれば当然の事。
我が門を叩いた限りは絶対にそれを成す、その為に我は有り。
故に我が門を叩き最後迄その治療に携われた者は嘗て一人の脱落者も出さず社会復帰を果たしている。
中には社会復帰のみならず成功者として多くの者を牽引しリーダーシップを発揮する者もいる。
其れこそが我が最高の喜び。
これからも常同胞と共に病と対峙しそれを克服し社会復帰を目指す所存である。
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