常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年11月11日日曜日
『手料理』の旨さはその腕ではなく方位性にありw
先の『八方美人』にも若干の関係があるのだが実は『手料理』には方向性がある。
この場合の『手料理』とは企業が不特定多数を対象とした商品的な『手料理』の事を指すのではなく母や妻や恋人等特定の人が特定の人を想定して作られた物を指す事を最初に明言しておきます。
所謂企業向けの『手料理』は実際には『手料理風』でありその実は機械が作っているのは既知の事。よしんばその工程内に手作業が含まれていたとしても『手料理』とはとても言える代物ではない。
『手料理』が『手料理』たるはその方位生が限定された物のみである。
つまり『食べて欲しい人』が限られている場合に限定される。
それは『愛情の方向性』に関係がある。
既に別項で述べているように『愛情』には『方向性』がある。
よく親が子供に対して『私がこんなに愛情を持って育てているのに何で貴方はそれが解らないの?!』と子を詰る親がいるが私から言わせれば愚の骨頂であり甚だ馬鹿馬鹿しいとしか思えない。
『愛情』の方向が違っているのにそれを幾ら傾けた所で子供がいない方向に『愛情』を幾ら注いでもそれは雲散霧消し全くの無意味である。
殆どの場合『親の愛情を汲み取れない子供』のケースは親の『愛情を傾ける方向間違い』である事が大半である。
子供は未成熟であり自らが『親の愛情の方向』を見定められる訳ではないのでそこは年長者である親がきちんと『愛情の方向性』をしっかりと見定めて愛情を注いで行かねばならない。
それを怠るは親としての資質の問題であり親たりえない。
話を元に戻そう。
『手料理』の元は『愛する人に私の料理を食べて貰いたい』という思いからでありその『愛情』には方位性があり方位は定まっている。
当然方位が決まっていれば目標は定めやすい。
『愛情』の隠し味がこれに加われば不味い筈が無い。
双方向的でなく一方通行的偏愛でない限りそれを不味いとするのは味覚障害と言わざるを得ない。或いはお心に何か問題があるかである。
どんな一流シェフの最高級食材を使った料理にも負けない物。
それこそが方位性を正しくした『手料理』であると私は確信する。
私は母が作る、そして愛方が作る『手料理』は世界一だと断言できる。
きっと多くの『手料理』を戴いている方々もそうだと信じている。
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