常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年10月31日水曜日
日米法解釈事情
日本と欧米の法解釈の違いは単一民族で島国である事に起因している。
欧米は多民族国家であり争いの中でアイデンティティを確立し翻り日本は単一民族国家であり共存する事でアイデンティティを確立してきた。混わる事で自らの存在を認めてきたか違いの中で自らの存在を認めてきたの違いだけ。
実はこれが訴訟大国欧米とのもう一つの違いでもある。
欧米は自らの正しさを証明する為に訴訟を上手く利用する。
日本は相手を陥れる為に或いは糾弾する為に利用する。
フォーカスが自己に向いているか他者に向いているか?の違い。
更に文化的背景の違いでもある。
島国で且つ単一民族で他国と戦う為にお互いが共生して生きて行かねばならぬ身なれば相互扶助の関係を築かねばならず少々の事は目を瞑らねばならないという村社会主義的思考性が未だ日本では根強い。
個を重んじるのではなく全体を常重んじてきた背景が大きく関係をしている。
更に罰と言う考え方も日欧では大きく異なる。
法を冒し罰則を課された者は履歴書の賞罰欄に書かねばならない。
日本に於いては罰を受ける事はムラ社会から排斥され死を意味する。
それ故にそれを課される事も課す事も快しとせぬ傾向が強い。
欧米ではそうではない。
州ごとに法律自体が違うので或る州では違法行為である物が或る州では合法である事もある。故に日本人よりも法を冒す事に対するイメージが大分違う。犯罪者に対する排斥主義は余り変わらぬがそれも随分程度が違う。
以上の様な文化的風土的制度的違いが日欧及び日米との法解釈の大きな違いだと私は考える。
されど国際社会の仲間入りをして久しい日本にとってはこれからの法解釈を大きく変革していかねば世界の中で生き残る事は難しくなると私は考えている。
ムラ社会的同族主義は犯罪を助長させ犯罪大国へ進む起爆剤ともなりかねない。それは即ち外国人における国内犯罪をも助長させる糧となる。
そうならない為にも罪は罪として更生させる方向へ持って行く必要があるしそれら更生した者たちの受け皿も又作らねばならない。
何より『罪を憎んで人を憎まず』の精神も必要であろう。
されど精神遅滞国である日本においてはまだまだ難題であろうが。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿