常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年10月23日火曜日
『限界を超える』方法
人には全て『限界』と言う物がある。
それは人が人という仮の器を持っている以上仕方ない事。
魂レベルでは充分可能な事でも肉体という器の中では出来る事は精々限られている。
だが我々はその個々の人々が自分で設定した『限界』を越えさせる為に存在している。
大帝の人は最初『無理です』と言う。
例えば禁煙禁酒等の常態行動。
例えば過去との決別も。
それはそれを今までやってきた自分との乖離だからである。
それを辞める事は今までの自分を捨てる事だからである。
それは余りに勿体無いと思うのが普通の考え。
されどそれは実は余計な物。
それがあるからこそ先へ進めずずっと足踏みをし悪癖を断ち切れず現状打開をせず現状に甘んじ現状に不満を漏らす日々を送らざるを得ない。
本当に現状に満足をしていれば現状に不満などあろうはずもない。
されど実際多くの人は現状に多くの不満を持ちそれを自覚しながらも打開する方法を知らず我慢をし日々の暮らしを耐えている。
人が我慢の際血中に排出する毒素はフグ毒と呼ばれるテトロドトキシンの数十倍。
人は体にストレスを感じる度に体に毒を垂れ流しているのだ。
ならばストレスを極力感じない身体を作ればいい。
それはどうするか?許容量を増やせばいい。パソコンでもメモリが少なくなれば増設します。
心だって同じ。
心に余裕がなくなればデフラグし心の中の掃除をせねばなりません。
それこそが自らの『限界』を超えるという作業です。
『限界』を超える事ができたら自らが感じていた『限界』分のスペースに空きができます。
そのスペース分色々なものをそこに入れる事ができます。
そして何より『限界』を超える事が出来た自分を賞賛しそしてそれが自信に繋がります。
『限界』の越えさせ方は千差万別、皆同じに非ず。
人によりその方法は皆異なります。
されど皆さん最初は躊躇し限界を超えた後もこれで良かったのか?と最初疑問を感じられます。
それは限界を超えた後の風景が違うからです。
これこそが『常態行動』の成せる業です。
そしてこれこそが私が見せたい『新しい風景』なのです。
最初はこの『新しい風景』に戸惑いを感じ『元の慣れ親しんだ風景』に憧憬を感じます。
されど今度はこの『新しい風景』が『元の慣れ親しんだ風景』に何れ変わります。
すると『元の慣れ親しんだ風景』だった物に違和感を覚え戻りたくなくなります。
これこそが脳科学及び心理学の不思議です。
長年武士世界の中で生きながら廃刀令で刀を無くした武士達は魂を抜かれた脱け殻だった事でしょう。
されどそれが常態化した時、『武士の魂』と感じていた物が実は仮初の物であり本当の『武士の魂』は刀にではなく『己の心の内』に有る事に気づいた筈。
現代人にとっても『武士の魂』は有ります。
それは『限界を超える前の自分』
されどそれを『越えられた自分』から見た時『限界を超える前の自分』よりも成長した自分を感じる筈です。
私はその成長した自分を見せる為に存在しています。
一人では無理な事でも二人ならできるはず。
そのお手伝い私がさせて戴きます。
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