常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年10月30日火曜日
『無い物は数えられない、有る物は数えられる』
我が元に来る方々の多くは他者からお心を傷つけられ自尊心を奪われ歩いは物質的損益を蒙った方々である。
最初はそういう方々に対し丁寧にお話を頂戴し同意し励まし苦楽を共にする。
されどそれもある一定期間のみ。
其処を超えると私は急にドライになる。
同胞は最初戸惑う。
あれだけ優しく接して下さって居たのに何故?と。
それは不幸である自分を常態化させない為である。
今までその方の中に有った不幸は既にその人の中になくその人の不幸の場所にある物は今は安らぎであり癒しで有る幸福である。
私は不幸自慢を途中でやめさせ今目の前に存在している物の数を数えさせます。
最初は誰しも癒しを欲しい物でその癒しを差し上げるのが我々の仕事であります。
されどそれもある一定限度迄。
其処からは今度は自立をして貰わねば困ります。
一生私がその方のお側に居られるならそれでいい。
されど私がその方のお側に一生居られる保証はない。
故に私がその方のお側に居なくても二本の足でしっかりと大地に根を下ろし立って貰わねばなりません。
故にある時を境に私はドライになり鬼となり距離を置き始めます。
同胞は慌てて追いかけ縋りそれを払いのけると今度は泣き叫び悪態を付き何とか私を留めようとします。
それでも尚私はその距離を徐々に広げて行きます。
そうしてその距離を常態化させ私が側に居なくても大丈夫な位の距離を保ち今度は相手から更に進んで距離を置いてもらうよう御指導を差し上げています。
何時しか二人の距離はお互いが肉眼で見れない程遠く離れそしてお互いが笑顔で手を振りながらそれでも決して後戻りはせずお互いの道を歩ませて行きます。
勿論私だって寂しいですし出来るならずっと一緒に居たい。
されどそれは無理な事。
老兵は只立ち去るのみです。
心理職ってのは案外そういう因果な商売なんですw
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