我々心理職の使命は”真実を語る事”もその大事な仕事の一つで有る。
例え其れが同胞の目には真実だと映らずともで有る。
人間の心は生物学的に生命維持の観点から信じ難い事実に関しては其れを心が認めない働きが有る。
だがそれだと心の闇を祓う事は出来ない。
時にはリミットブレイクをさせ
己が定めた限界値を超えてもらわねばならぬ時も有る。
そういう時心理職である我々は真実のみを同胞に伝え後の判断は全て同胞に委ねる事にして居る。
其れは何故か?
一見すると問題を丸投げし同胞に委ねる事で責任逃れをして居るように見える。
だが真実は逆。
同胞がどういう答えを出したとしてもその答えを受け止めそしてお互いの合意点を見つけるまで決して諦めず同胞と共に歩む覚悟なしに相手に判断を委ねる事は出来ないのである。
勿論心理職である我々にとって”信じ込ませる事”はお手の物。
赤子の手を捻るより簡単である。
だが”信じ込ませる事”と”信じる事”は同意義ではない。
前者は他者的力が働き例え一時的に納得はしても永続生に欠ける。
そして心理職である我々に対する懐疑心で心はみたされて二度と心は開いて貰えない。
翻り後者は自力行動であり責任は自分にあり責任逃れは出来ず信頼関係が揺らぐ事はない。
我々はあくまでも伴奏者であり
ランナーは同胞である。
最終ゴールのテープを切るのは同胞のみである。
我々はゴール直前まで諦めずに導く伴奏者にすぎない。
そういう覚悟なしに心理職はできないのである。
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