常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年9月12日水曜日
生きる事は戦う事、戦いの中にこそ己の存在を確認する事ができる。
心理職は神に非ず、人である。
人である器を持って居る間は限界もある。
同胞にとってはある種神的位置に置かれる場合もあるが私は敢えて人間の位置迄自らの存在を貶める。
それは人間における神の存在が絶対的である事に起因して居る。
神の存在が人間にとって絶対で有り心理職の存在がそれと同価値であるならば人は絶対その存在に依存し自ら奮闘努力をしなくなる。
所謂『神頼み』がその好例で有る。
ロクに頑張りもせず只管祈りを捧げる馬鹿が居る。
その祈りの時間を頑張りに当てればもっと結果が出るのにと思う。
私は頑張ろうとしない同胞はバッサリと切り捨てる。
同胞は慌てふためき縋り付くがその手を無情に祓う。
罵詈雑言を浴びせ時に悪評を立てられる事も有る。
それでも一切微動だにせず我はじっとその者を見つめる。
生きる事は戦いで有る。
常デッドオアアライブの中で人は生きて居る。
一瞬の選択ミスが命取りとなる場合も多い。
戦場においてはそれが如実に結果として現れる。
日本人は島国勝つ単一民族ゆえヨーロッパやアメリカと比べて危機意識が低い。四方を海に囲まれ攻め込まれにくい為で有る。
だがそれは砦が堅牢であるのではなく自然に守られて居るだけであって人間業にあらず。それを思い違いすれば悲惨な結果を生む事になる。
私は同胞第一主義で有る。
故に親の死に目にも大恩師の引退講義にも列席出来なかった。
親戚や同級生からは避難轟々で有る。
それでも守りたい存在が有るならそれも致し方無い。
無礼者と言われようが礼儀知らずと罵られようががお構いなし。
だが同胞にも私はそれを求める。
心の病と向き合い自らと向き合う事は戦いで有る。
正に己との戦いで有る。
その為にはそれ相応の覚悟なしではなり得る物では無い。
逆を言えばそれ相応の覚悟があれば必ずなし得る事はできる。
それを促すのがそして共に頂きに登るのがこの仕事の使命。
故に天使にも悪魔にもなる。
それが人間としての証である事を示す為に。
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