2011年12月31日土曜日

常態化の齎す不思議1 『大人の情操教育』

情操教育というと大抵の場合は幼児期における教育を考える方が殆どだと思います。 勿論それは間違いではありませんが実は大人もそれを無意識的にしている場合がある事は余り認知されていません。 幼児期における情操教育は親、乃至は先生が繰り返し子供に言葉や数字を教え思考形態を確立させこういう場合にはこういう回答が導き出される事を体験的に覚えさせます。 多くは道具を使い体現的に覚えさせる事が一般的とされています。 大人の場合はこれを五感で捉えます、しかも本人の意思に関わらず無意識的に。 (この無意識的にという部分が子供の情操教育と似ているのです) 例えばとても温厚な性格の人だった物が転勤先でとても荒々しい場所に移ったとします。本人は全く意識をせずその中で生活をしていたとしても五感で捉える情報は常アップデートされ今の生活に適した接し方を無意識に覚えます。 転勤を無事に終え地元に戻っても一度覚えた生活様式は無意識下にあるため余程意識をしない限りそれが顕在化します。当然周囲は以前の温厚な彼を頭に入れているのでとても違和感を感じます。そして又地元での生活が長くなると接する人や五感が感じる物もアップデートされ元の温厚な彼に戻るのです。 此れを上手く利用すれば車内の問題児も問題児ではなくすることも可能なのです。これが常態化の齎す不思議なのですねw

2011年12月29日木曜日

セミナー開催について

未だ少し先の話となるが(先ずは病を治す事が最優先なれば^^;)常態行動心理学について一般に広く知って戴く為セミナーを開催したいと思っています。 まだまだ常態行動心理学に付いて社会的認知は0に等しくされどこれほど生活に根ざした心理学はないと自負しています。 何せ常態行動とは人が朝起きて寝るまでに日常的に無意識に行っている行動の事。 『常態行動心理学』とはその常態行動の中に潜む様々な問題を解決する心理学。 つまり『実践心理学』の最も日常生活に近い形であるという事です。 皆様方の普段の生活の明日から役立つ情報を満載で行いたいと思って居ます。 ついては場所の選定に悩んでおり何処で開催するのが適当か? 又会場もどこでするのが適当か?考えあぐねております(何せセミナーを自分で開催するなど初めてなので^^;)。 皆様方のお知恵を是非拝借出来ればと思って居ます。

『正しさの心理学』

例えば人から何らかの嫌疑を掛けられたとする。 大抵の人はその事に狼狽しその嫌疑を消そうと必死になる。 だがそうすればするほどその嫌疑の色は濃くなり色眼鏡も又濃くなる。 ”私は違うんです、潔癖です”と声高に叫べば叫ぶ程より人は疑いの色を濃くする。 それは”私は違う”という言葉の裏に或る”目に見えない不安や焦り”を”真実を隠す為”と人は解釈するからである。 何かの嫌疑を掛けられ自らに正しさがあるならば普段の生活を決して変えない事。 例えばその行動の中に嫌疑を掛けられた物が含まれて居ても決してそれを消そうとしては成らない。 下手にそれだけ消そうとすれば人は”やっぱりあの人の噂は本当だった”となる。 私自身を含め同胞もそう言う”風評被害”に遭っている、それでお心病まれた方も。 そういう方々には上記の様に御指導をさせて貰っている。 そうすれば”人の噂も七十五日”ではないけれど”根も葉もない噂”は立ち消えとなる。 まぁ実際わが身に降りかかったら中々そう冷静では要られないのが現状ですけどねw

病を超えて思う事

昔から『苦労は買ってでもしろ』と言います。 ドラえもんの秘密道具にも『苦労味噌』と言うアイテムが有りのび太のパパがドラえもんの静止を振り切りパクパク味噌を食べた為、煙草一本吸う為に原始時代の火起こし迄取り出す始末に^^;。 まぁそこまでの苦労は流石に私もしたくはありません。 今回図らずも病に罹患し多くの方の御助力の元、自由の効かぬ身が更に自由が効かぬ身となりベッドから出れぬ身となり色々と学ぶ事は沢山有りました。 一番思ったのは『生への異常なまでの執着』でした。 罹患直後直ぐの夜、体の震えが止まらずまさか40度もの熱が自分に有るとは思えず、 本当にこのまま心肺停止となるのでは?などと言う元気な人から見れば鼻で笑われそうな事も実際考えました。 されど何をしても震えが収まらないというのは結構な恐怖です。 通院後は毎日の点滴と注射、明けてもくれても朝昼晩全く同じ食事メニュー。 大好きな珈琲やラーメン等持っての他。それでも腹下しは収まらずトイレが恋人に^^;。 9度以上の熱は結局二日前迄続きその間は汗と寒さと咳の戦いで一睡も出来ず。 何度朝もやと朝陽を拝んだ事か、此処何重年も無かった事です。 当然同胞を見舞う事も出来ずフォンセッションで何とか凌ぐ日々。 罹患中8度以上熱が有る時も同胞からの電話やメールは鳴り止まず。 あの着信音を恐怖に感じたのはこれも後にも先にも始めての事。 今は冷静にこうやって筆を取れますが罹患当初は私の間近に明らかに『死』は有りました。 そんな時私を心から支えて下さったのが我が身内そしてFBの『家族』でした。 この方々の助力無く間違いなく今の私は有りません。 有形無形の沢山の恩恵を本当に多く賜りました。 ”何もしない事”がどれだけの助けになるかも学ばせて戴きました。 まだまだ本調子とは言えませんが私にもやらねばならぬ事が沢山有ります。 勿論無理は厳禁ですがやるべき事を少しずつやっていこうと思って居ます。 これからも何卒宜しくお願い致します<(_ _)>