2011年12月29日木曜日

『正しさの心理学』

例えば人から何らかの嫌疑を掛けられたとする。 大抵の人はその事に狼狽しその嫌疑を消そうと必死になる。 だがそうすればするほどその嫌疑の色は濃くなり色眼鏡も又濃くなる。 ”私は違うんです、潔癖です”と声高に叫べば叫ぶ程より人は疑いの色を濃くする。 それは”私は違う”という言葉の裏に或る”目に見えない不安や焦り”を”真実を隠す為”と人は解釈するからである。 何かの嫌疑を掛けられ自らに正しさがあるならば普段の生活を決して変えない事。 例えばその行動の中に嫌疑を掛けられた物が含まれて居ても決してそれを消そうとしては成らない。 下手にそれだけ消そうとすれば人は”やっぱりあの人の噂は本当だった”となる。 私自身を含め同胞もそう言う”風評被害”に遭っている、それでお心病まれた方も。 そういう方々には上記の様に御指導をさせて貰っている。 そうすれば”人の噂も七十五日”ではないけれど”根も葉もない噂”は立ち消えとなる。 まぁ実際わが身に降りかかったら中々そう冷静では要られないのが現状ですけどねw

0 件のコメント:

コメントを投稿