2011年8月6日土曜日

心理学的エトセトラ2

その1

○○のお陰で…といえる人は実は自分のお陰である。
何故ならその○○が助力してくれる価値がその人自身に有るから。
人は無価値な存在に手を差し伸べたりはしない、その人に有価値と​するからこそ助力す。
その有価値であるという自分という存在に気付く事こそが助力者に​対する感謝の気持ちであると私は考える。
”アナタの事が好きだから…”
離れていても通じ合う心という物はある物ですよ^^v

その2
『御縁』という物はそんなに簡単に切ったりくっついたり出来る物​ではない。
私は常、そう考えている。故に私はプロフィールにも『一期一会』​という言葉を挙げている。
砂浜の中から一粒の砂金を見つける如くの確率で出会えた事に私は​価値を見出したい。
逆を言えば其処で見出した『縁』を自ら捨て去る者に私は一切の未​練を残さない。
偶に自ら縁を切りながら詫びも入れず復縁を求める者が居るが私は​一切応じない。
”縁”という物はそんなに簡単な物でも軽い物でもないと私は考え​ている。
それ故私は”縁結び””縁切り”をとても慎重且つ大事に扱うよう​にしている。
全ては亡父より受け継ぎし業物、愚息なれど亡父の魂は我が心の奥​に有る。
その3
本当に賞賛に値する人とはその人自身賞賛に値しないとする人。
誰しも賞賛を受けたいし認められたい。
それは人間の尤も根源的欲求が『認知欲求』である事に起因。
人間の根源的欲求はお金でも地位でも名誉でも美貌でもない。
それは人間が『生物』であり地球上で尤も弱き生物だから。
本能的自己防衛本能から多くの方に『認められ』その認めた人を盾​に身を守る為。
此れは生物学的な話。されどそれが真実。

その4
『反省だけなら猿でもできる。人間と猿の違いは同じ過ちを繰り返​さぬ努力を自主的に出来るかどうか』であると何時も同胞に説いて​います。

猿は人間に叱られて恐怖でそれを覚え人間はそれを自主的に覚えま​す。
されど中々それは簡単な事に非ず。

それは人間が『欲望』と『理性』という二律背反な存在を心に同根​している事に起因。
『学習』は『理性』が司り、『失敗』は『欲望』が司っています。

どちらに重きを置くかで人間の価値が決まります。
私は思い切り前者に重きを置く駄目人間ですけどね(笑)

その5
セラピストに求められるスキル、それは知識でも技術でもなく『忍​耐』と『恐れない事』。

重篤な精神疾患の場合かなり長期間面倒を診なくてはいけなくなる​、同胞もセラピスト自身も疲れ果て途中で投げ出したくなる時も少​なくは無い。されどそんな同胞を叱咤激励し又自分自身をも鼓舞し​『忍耐』を以て遂行する事、それが大事だと考える。

又、セラピストは同胞や周囲の人達に対して常、『攻め』の気持ち​出なければならない。
金銭の授受に関わらず此方が『受身』となり関係性を壊すまいと弱​腰になっては重篤な病を克服する事は不可能。時には厳しい態度で​接し同胞との関係性が崩壊するかもしれないという恐れを抱きなが​らもそこから”逃げ”てはいけないと考える。

その”本気”が相手に伝わった時、相手も又、”本気”を見せてく​れると私は考えている。

0 件のコメント:

コメントを投稿