『ムービーセラピー』つまり『動画療法』である(主に映画療法である)。
この療法の一番の狙いは”感情の共有”つまり”共感を得る事”が最大の目的である。
後に御紹介申し上げる『鼓動療法(音楽療法)』もその一つだが五感を刺激する意味に於いては此方の方が上である。
所謂『感情機能障害』の同胞にはこの『動画療法』は絶大なる効果を持つ。
昔はわざわざ映画館まで出向いて映画を見ていたが最近はipadの台頭によりitunesで好きな動画をDLし好きな時間好きな場所で映画を見ることが可能となった。
更にTVに繋いでそれこそ映画のスクリーンさながらの大画面で見ることも可能となる。
『プライベートシアター』…昔は余程の金持ちでなければ持てなかった空間が今は一般人でもこういうツールを使って持てる時代となった、大変喜ばしい事である。
先に述べた通り、『動画療法』は目と耳と脳を使うのでその分同胞の心が感じた物を得る情報量はとても多い。
それを映画を見ながらもしくは映画を見終わった後お互いの感想を語り合い同じ時間を”共有”するのである。
この”共有する=同調する”というのが実は心理療法的にはとても重要な意味を持つ。”同調する(シンクロニシティ)”というのは親しい間柄乃至は心を許した者にのみ許された行為である。
更に自らをおかしいとする人にとって”同調する相手が居る”と言う事は”自分はおかしい存在ではない”という証明にもなる。
私は同胞の心に”シンクロニシティ”し、同胞の中の”私はおかしい人”という間違った意識を消していく。
それは周りが勝手に付けた”ラベリング”でありその”ラベリング”は大抵の場合間違えている。
なればその”ラベリング”を剥がし新たな”ラベリングを与える事こそが大事である。そう!”自分は正しい”というラベリングである。
同じ映画を観、同じ時間を共有し、同じ”心”を共有する事で自らの”正しさ”を得ていく、自らの”自信”を得ていく事はお心を病まれた同胞にとってとても重要。
”私は正しい、私はおかしい存在じゃない”という事を自らが認知する事はとても大事である。
更に”映画を見終わった後”その”感情・意見の共有”を”言葉”で説明させる様私は心掛けている。
何故なら人から”おかしい”とされた時、”言葉”で自らの正しさを説明出来る様にしたいからである。
”シンクロニシティ”する事で自信を回復し、”映像の言語化”により自らの”正しさ”の証明を得る。
”動画療法”にはこの二つの大きな利点がある。何も”動画療法”は同胞が好きな映画に限らない、同胞が見た事がない或いは”食わず嫌いの映画”にも遭えて挑戦させる。
それは”食わず嫌い”を教える事と、”思考の幅”を広げる為、何より”シンクロニシティー”を増やし”自信”を得る為である。
この療法により実に多くの”自らをおかしい”とする人を”私は正しい”と出来た事は幸甚の極みである。
この療法の一番の狙いは”感情の共有”つまり”共感を得る事”が最大の目的である。
後に御紹介申し上げる『鼓動療法(音楽療法)』もその一つだが五感を刺激する意味に於いては此方の方が上である。
所謂『感情機能障害』の同胞にはこの『動画療法』は絶大なる効果を持つ。
昔はわざわざ映画館まで出向いて映画を見ていたが最近はipadの台頭によりitunesで好きな動画をDLし好きな時間好きな場所で映画を見ることが可能となった。
更にTVに繋いでそれこそ映画のスクリーンさながらの大画面で見ることも可能となる。
『プライベートシアター』…昔は余程の金持ちでなければ持てなかった空間が今は一般人でもこういうツールを使って持てる時代となった、大変喜ばしい事である。
先に述べた通り、『動画療法』は目と耳と脳を使うのでその分同胞の心が感じた物を得る情報量はとても多い。
それを映画を見ながらもしくは映画を見終わった後お互いの感想を語り合い同じ時間を”共有”するのである。
この”共有する=同調する”というのが実は心理療法的にはとても重要な意味を持つ。”同調する(シンクロニシティ)”というのは親しい間柄乃至は心を許した者にのみ許された行為である。
更に自らをおかしいとする人にとって”同調する相手が居る”と言う事は”自分はおかしい存在ではない”という証明にもなる。
私は同胞の心に”シンクロニシティ”し、同胞の中の”私はおかしい人”という間違った意識を消していく。
それは周りが勝手に付けた”ラベリング”でありその”ラベリング”は大抵の場合間違えている。
なればその”ラベリング”を剥がし新たな”ラベリングを与える事こそが大事である。そう!”自分は正しい”というラベリングである。
同じ映画を観、同じ時間を共有し、同じ”心”を共有する事で自らの”正しさ”を得ていく、自らの”自信”を得ていく事はお心を病まれた同胞にとってとても重要。
”私は正しい、私はおかしい存在じゃない”という事を自らが認知する事はとても大事である。
更に”映画を見終わった後”その”感情・意見の共有”を”言葉”で説明させる様私は心掛けている。
何故なら人から”おかしい”とされた時、”言葉”で自らの正しさを説明出来る様にしたいからである。
”シンクロニシティ”する事で自信を回復し、”映像の言語化”により自らの”正しさ”の証明を得る。
”動画療法”にはこの二つの大きな利点がある。何も”動画療法”は同胞が好きな映画に限らない、同胞が見た事がない或いは”食わず嫌いの映画”にも遭えて挑戦させる。
それは”食わず嫌い”を教える事と、”思考の幅”を広げる為、何より”シンクロニシティー”を増やし”自信”を得る為である。
この療法により実に多くの”自らをおかしい”とする人を”私は正しい”と出来た事は幸甚の極みである。
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