手前味噌で大変恐縮なれど我が稚拙なるブログ『或る心理学者の心理学ブログ』が去年の8月開設以来やっと1万アクセスを突破いたしましたバンザーイ \(≧∇≦)/\(≧∇≦)/\(≧∇≦)/\(≧∇≦)/ キャァ♪
当初は殆ど弄って居らずFBに入ってから一気に読者数が増え又、仕事関係者からも閲覧者が増えそれと共にこちらも奮起してブログを更新し続けた結果であり皆様方のご助力無しでは到底なし得なかった事。
本当に感謝の気持ちで一杯で御座います。
これからも何卒お引き立ての程宜しくお願い致します<(_ _)>
常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2011年5月25日水曜日
2011年5月22日日曜日
悲しいのはお前だけじゃない♪
何時もとは一寸毛色が今回は違いエッセイ風に書いてみたいと思います。
題名は某有名歌手の歌の一節です、されど今回の本論を尤も端的に現す言葉でも有ります。
”裏切るより裏切られる方が良い、傷つけるより傷つく方がいい”これも余りにも有名なある歌の一節です。
ですが我が理念は正にこれにあります。別に格好をつけている訳ではなく私は両方を体験しているからです。
裏切られる辛さ、裏切る後味の悪さ、傷つけられる悲しさ、傷つける心の痛みそれら全てを私は過去経験しています。
”誰でも一人きり辿る道が有り誰かの道を横切る度に傷つけていく、けれど必ずそれよりずっと自分が傷ついていく”これも有名シンガーソングライターとその妹のデュエットソングの一節です。
私は長く”弟子”を取りませんでした、今は我道の後継者の青井利行氏、そして高根弘明という弟子が一人居ます。
何故、長く弟子を取らなかったのか?それは過去の辛い経験があったからです。
丁度10年くらい前になりますか、弟子志願者が一人現れました。
とても熱心で情熱もあり、又、不遇な境遇にも負けないハングリーさを持っており氏なら我がスキルを全て教えられると確信をしておりました。
されど…当時の私はまだ”人を見る目”が足りなかった、彼の”見せ掛けの熱心さ”に気付けませんでした。
彼とはパソコン通信で知り合い、大阪在住で一度リアルにお会いもしておりとても好感の持てる人でした。
明るく快活で元気で勉強熱心で私は彼に当時私が持っていた全ての技術知識を伝授するつもりでした。
されど…まだ学びを半分一寸過ぎた頃彼の態度が急変、いきなりネットで私に対して痛烈な批判をしだしたのです。
勿論私を含む彼と私を知る誰もが目を疑い、彼の暴挙に最初戸惑いました、勿論私は彼に理由を問い詰めました。
されど彼は黙して何も語らず只管私に対する批判をし続けました、彼と私を知らぬ者の中には彼の”虚言”に耳を傾ける者も現れ始め段々とその輪は広がりを見せ始め遂に私はその場を去らねば成らぬ事に成りました。
後日談として彼の近くに居た人間から聞いた話ですが彼が私から学びを得ていく内段々と私の存在を恐怖に感じ又
私の存在が疎ましく思えたとの事。同じ道を行く者同士ですからいずれはどこか道でぶつかり合う事もあるでしょう。
その時、私の力が強大なれば自分が潰される、なれば今の内に叩き潰しておこうという事になったのだそうです。
誰が自らの可愛い弟子を潰すでしょうか?私は彼の浅はかさと自らの”観る目のなさ”に愕然としました。
それから私は”二度と弟子はとるまい、こんな悲しい思いまでして後継者を育てる必要は無い”と心に決めました。
あれから更に10年以上の歳月が経ち、今我が目の前に”我道の正当なる後継者”が現れました。
勿論あの時の悲しさや悔しさを忘れた訳ではありません、或いは又我が目の甘さに泣く事になるやもしれません。
されど今の私は彼と共にそして弟子と共に我道邁進していく所存です。
私と袂を別った氏はその後その道で大きな失敗をし二度と同業で飯は食えなくなったと風の便りに聞きました。
とても悲しむべき事とは思いましたがそれも又、彼が選択をした道、自ら冒し過ちは自らが正さねば成りません。
”裏切るより裏切られた方がいい、人を傷つけるより傷ついたほうがいい”これからも私は真っ直ぐに、只管真っ直ぐに我が道を歩んで参りたいと思っています。
それが”私”という存在価値であると信じて。
題名は某有名歌手の歌の一節です、されど今回の本論を尤も端的に現す言葉でも有ります。
”裏切るより裏切られる方が良い、傷つけるより傷つく方がいい”これも余りにも有名なある歌の一節です。
ですが我が理念は正にこれにあります。別に格好をつけている訳ではなく私は両方を体験しているからです。
裏切られる辛さ、裏切る後味の悪さ、傷つけられる悲しさ、傷つける心の痛みそれら全てを私は過去経験しています。
”誰でも一人きり辿る道が有り誰かの道を横切る度に傷つけていく、けれど必ずそれよりずっと自分が傷ついていく”これも有名シンガーソングライターとその妹のデュエットソングの一節です。
私は長く”弟子”を取りませんでした、今は我道の後継者の青井利行氏、そして高根弘明という弟子が一人居ます。
何故、長く弟子を取らなかったのか?それは過去の辛い経験があったからです。
丁度10年くらい前になりますか、弟子志願者が一人現れました。
とても熱心で情熱もあり、又、不遇な境遇にも負けないハングリーさを持っており氏なら我がスキルを全て教えられると確信をしておりました。
されど…当時の私はまだ”人を見る目”が足りなかった、彼の”見せ掛けの熱心さ”に気付けませんでした。
彼とはパソコン通信で知り合い、大阪在住で一度リアルにお会いもしておりとても好感の持てる人でした。
明るく快活で元気で勉強熱心で私は彼に当時私が持っていた全ての技術知識を伝授するつもりでした。
されど…まだ学びを半分一寸過ぎた頃彼の態度が急変、いきなりネットで私に対して痛烈な批判をしだしたのです。
勿論私を含む彼と私を知る誰もが目を疑い、彼の暴挙に最初戸惑いました、勿論私は彼に理由を問い詰めました。
されど彼は黙して何も語らず只管私に対する批判をし続けました、彼と私を知らぬ者の中には彼の”虚言”に耳を傾ける者も現れ始め段々とその輪は広がりを見せ始め遂に私はその場を去らねば成らぬ事に成りました。
後日談として彼の近くに居た人間から聞いた話ですが彼が私から学びを得ていく内段々と私の存在を恐怖に感じ又
私の存在が疎ましく思えたとの事。同じ道を行く者同士ですからいずれはどこか道でぶつかり合う事もあるでしょう。
その時、私の力が強大なれば自分が潰される、なれば今の内に叩き潰しておこうという事になったのだそうです。
誰が自らの可愛い弟子を潰すでしょうか?私は彼の浅はかさと自らの”観る目のなさ”に愕然としました。
それから私は”二度と弟子はとるまい、こんな悲しい思いまでして後継者を育てる必要は無い”と心に決めました。
あれから更に10年以上の歳月が経ち、今我が目の前に”我道の正当なる後継者”が現れました。
勿論あの時の悲しさや悔しさを忘れた訳ではありません、或いは又我が目の甘さに泣く事になるやもしれません。
されど今の私は彼と共にそして弟子と共に我道邁進していく所存です。
私と袂を別った氏はその後その道で大きな失敗をし二度と同業で飯は食えなくなったと風の便りに聞きました。
とても悲しむべき事とは思いましたがそれも又、彼が選択をした道、自ら冒し過ちは自らが正さねば成りません。
”裏切るより裏切られた方がいい、人を傷つけるより傷ついたほうがいい”これからも私は真っ直ぐに、只管真っ直ぐに我が道を歩んで参りたいと思っています。
それが”私”という存在価値であると信じて。
2011年5月18日水曜日
心理学の小ネタその3
鬱や不安神経症やパニック障害の方は『見えざる未来の不安』が元 で発症なさる方が多い。
一般人よりも不安に対して敏感且つ過剰反応なさるのでそのような 病に至る。
だが先の見えない不安を今抱えていない人は恐らく一人も居ない筈 。
私もその中の一人です。
故に自分ひとりではなく皆も同じ恐怖を抱きながらそれでも日々を 逞しく生きておられる事を説き更に不測の事態に対する身の処し方 である『多面的存在である自己』をお示しする事でそういう方々へ 対処をしています。
詳しくは今執筆中の『或る心理学者の心理学ファイル』第二巻で触 れます。
一般人よりも不安に対して敏感且つ過剰反応なさるのでそのような
だが先の見えない不安を今抱えていない人は恐らく一人も居ない筈
私もその中の一人です。
故に自分ひとりではなく皆も同じ恐怖を抱きながらそれでも日々を
詳しくは今執筆中の『或る心理学者の心理学ファイル』第二巻で触
2011年5月16日月曜日
心理学の小ネタその2
FaceBookでフォトアルに沢山『セルフポートレイト』を載せて居られる方が居 る。
一見すると『さぞやご自分に自信が御有りなのだろう』とか『自意 識過剰なんじゃないの?』と揶揄される向きもあろう。
そういう考えも否定はしないが私は元が天邪鬼なので違った見方を している。
それは『自分探し』の旅ではないかと。
沢山の自分を撮る事で自らの多面性を知り且つ相手が自分をどう見 ているか?を知る為の術としてフォトアルを活用されておられる方 もいるであろうと。
決して自信家でもなくナルシストでもなく本当は真反対な方ではな いかと。
案外そういう方も居られると思います。
心理学の小ネタ その1
この時期何枚着込んでも”寒い、風邪引いた?”という経験をされ た方も多い筈。
されどお布団に入った途端、寒さが消え”あれ?勘違い?”と言う 方も又多い筈。
実はこれ”密着度”に関係有り、人が体で感じる”温度”は実は枚 数よりも密着度。
洋服を何枚着込んでもお布団の密着度には到底勝てません、それが 故です。
それは”重さ”が関係しています、”洋服の比重”と”布団の比重 ”では布団が上。
結果その”比重分”だけ密着度は増えそれが体温を逃がさず体へ返 還するから。
例えば雪山で遭難し互いが肌で体を温めあう行為、あれも”密着度 ”が原因です。
意外と”寒さは枚数”と思い込んでいる人が多いですが実は”密着 度”なのですね。
されどお布団に入った途端、寒さが消え”あれ?勘違い?”と言う
実はこれ”密着度”に関係有り、人が体で感じる”温度”は実は枚
洋服を何枚着込んでもお布団の密着度には到底勝てません、それが
それは”重さ”が関係しています、”洋服の比重”と”布団の比重
結果その”比重分”だけ密着度は増えそれが体温を逃がさず体へ返
例えば雪山で遭難し互いが肌で体を温めあう行為、あれも”密着度
意外と”寒さは枚数”と思い込んでいる人が多いですが実は”密着
2011年5月15日日曜日
頭を下げない心理学~或いは職業鬱に掛からない為の改善策の心理学~
『必要以上に頭を下げるな』我が同胞へ私が説いている事。
我が同胞の多くは被雇用者及び接客業に従事している方が多い。
そういう方は”職業的”に頭を下げる事が多くそれが”脳に摺込まれて”いる。
だが、”必要以上に頭を下げる事”は心に”マイナスの土壌”を作る行為でそれらは”職業鬱”などを発症する原因に。
事実我が門を叩きし多くの方々はプライベートでも”無意識”に人に頭を下げている人が多い。
周 りからは”頭が低い人”という高評価を受けるかも知れぬがそれはご自身の心を無意識的に傷つける行為です。
又、一部の御馬鹿は頭を下げられる事により勘違 いを起こし次からの態度が急変し上から目線で物を言い出す者も居ます。
そこでちゃんとした反論が出来ればよいですが其処でできなければプライベートでも” 社会的地位関係”に悩まされなければならずそれが更に”職業欝”を助長させる事となります。
職業人と私人の区別はしっかりと付け必要の無い 時は毅然とした態度で頭を上に上げる事。
私はお世話になる方、師と仰げる方以外には相手が誰であれ決して不用意に頭は下げません(勿論身内がお世話になっ ている場合はその限りでは有りませんが)
我が地元は県庁マン御用達の町で皆、県庁マンには低頭となりますが私は彼らに決して頭は下げません。県庁マンであるというだけで頭を下げる事自体が間違い。(勿論個人的にお世話になった方には頭を下げますが^^;)
随分昔、行きつけの店内で慇懃無礼 な県庁マンが大声で携帯で話していた際私が激しく叱責をしたら店長が飛んできて我々は店から追い出されました。
社会的ルールを守らぬ者が大きな顔を出来る のがわが町です。(余談ですがそれから暫くしてその店は潰れました、私は何もしておりませんが(o ̄ー ̄o) ムフフ)
私は相手が誰であれ社会的規範を犯しし者はその罪を糾弾し白黒はっきりつけさせます。
故に地元では一部の県庁マンに頗る評判は悪く風当たりは強いですが何処吹く風です。
されど私は町で会う方へは相手が誰であれ必ず”時候の挨拶”は致しますし毎日駅を利用させて貰っている関係上駅構内の販売員さん及び駅員方々には必ずご挨拶は欠かしません、勿論それは地方や中央へ出ても同じ事です。
又、行きつけのお店の店長初め店員方々へも感謝の心は忘れず常、”おいしゅうございました”と お礼を述べます。
故に私は地方の行きつけの店へ何時行っても歓待を受け(本当は駄目ですが)順番待ちでも直ぐ中へ通される^^;
彼ら・彼女 らの印象は”先生は社会的地位が御有りなのにとても頭が低い方”という評価を得ているそうで^^;;;(私は低評価を受ける事にはなれているのですが高評 価を受ける事には不慣れ故こういう評価が一番困る(笑))
”ハンディーキャッパーは人のお世話になっているのだから常、人に頭を下げなさい”というのが社 会通念らしい。
だが私は不遜な態度を取られた相手には今まで40年間生きてきて一度も頭を下げた事はないしこれからもその姿勢が変わる事は有りません。
自らが出来る事は精一杯行い出来ない事にも人に助力を乞う事はせず無理と判っていても精一杯努力をする。そういう態度を示していると人は自然と助力をしてくれます。
勿論その際には必ず頭を下げお礼は申し上げますが、”お前はハンディキャッパーだから手を貸してやる”と言う上から目線の助力は断固拒否します。
決して自らのパーソナリティーを失わぬ事。
それが”職業鬱”にならぬ最善策であると私は考えます。
我が同胞の多くは被雇用者及び接客業に従事している方が多い。
そういう方は”職業的”に頭を下げる事が多くそれが”脳に摺込まれて”いる。
だが、”必要以上に頭を下げる事”は心に”マイナスの土壌”を作る行為でそれらは”職業鬱”などを発症する原因に。
事実我が門を叩きし多くの方々はプライベートでも”無意識”に人に頭を下げている人が多い。
周 りからは”頭が低い人”という高評価を受けるかも知れぬがそれはご自身の心を無意識的に傷つける行為です。
又、一部の御馬鹿は頭を下げられる事により勘違 いを起こし次からの態度が急変し上から目線で物を言い出す者も居ます。
そこでちゃんとした反論が出来ればよいですが其処でできなければプライベートでも” 社会的地位関係”に悩まされなければならずそれが更に”職業欝”を助長させる事となります。
職業人と私人の区別はしっかりと付け必要の無い 時は毅然とした態度で頭を上に上げる事。
私はお世話になる方、師と仰げる方以外には相手が誰であれ決して不用意に頭は下げません(勿論身内がお世話になっ ている場合はその限りでは有りませんが)
我が地元は県庁マン御用達の町で皆、県庁マンには低頭となりますが私は彼らに決して頭は下げません。県庁マンであるというだけで頭を下げる事自体が間違い。(勿論個人的にお世話になった方には頭を下げますが^^;)
随分昔、行きつけの店内で慇懃無礼 な県庁マンが大声で携帯で話していた際私が激しく叱責をしたら店長が飛んできて我々は店から追い出されました。
社会的ルールを守らぬ者が大きな顔を出来る のがわが町です。(余談ですがそれから暫くしてその店は潰れました、私は何もしておりませんが(o ̄ー ̄o) ムフフ)
私は相手が誰であれ社会的規範を犯しし者はその罪を糾弾し白黒はっきりつけさせます。
故に地元では一部の県庁マンに頗る評判は悪く風当たりは強いですが何処吹く風です。
されど私は町で会う方へは相手が誰であれ必ず”時候の挨拶”は致しますし毎日駅を利用させて貰っている関係上駅構内の販売員さん及び駅員方々には必ずご挨拶は欠かしません、勿論それは地方や中央へ出ても同じ事です。
又、行きつけのお店の店長初め店員方々へも感謝の心は忘れず常、”おいしゅうございました”と お礼を述べます。
故に私は地方の行きつけの店へ何時行っても歓待を受け(本当は駄目ですが)順番待ちでも直ぐ中へ通される^^;
彼ら・彼女 らの印象は”先生は社会的地位が御有りなのにとても頭が低い方”という評価を得ているそうで^^;;;(私は低評価を受ける事にはなれているのですが高評 価を受ける事には不慣れ故こういう評価が一番困る(笑))
”ハンディーキャッパーは人のお世話になっているのだから常、人に頭を下げなさい”というのが社 会通念らしい。
だが私は不遜な態度を取られた相手には今まで40年間生きてきて一度も頭を下げた事はないしこれからもその姿勢が変わる事は有りません。
自らが出来る事は精一杯行い出来ない事にも人に助力を乞う事はせず無理と判っていても精一杯努力をする。そういう態度を示していると人は自然と助力をしてくれます。
勿論その際には必ず頭を下げお礼は申し上げますが、”お前はハンディキャッパーだから手を貸してやる”と言う上から目線の助力は断固拒否します。
決して自らのパーソナリティーを失わぬ事。
それが”職業鬱”にならぬ最善策であると私は考えます。
2011年5月10日火曜日
大型連休の心理学~或いは常態性行動の浦に潜む”五月病”の悪魔の心理学~
5月の大型連休も終り又、喧騒の中へ身を投じて居られる方々も多い事と思います。
この時期になると毎年皆さん”五月病”に悩まされる方々も多い事と思います。
特に今年は既に現段階で”五月病”と診断された方が大変多いと聞いております。
(事実我が元へも結構な数の”五月病同胞”が訪れております)。
さて、何故人は”五月病”になるのでしょう?
実はその裏には”常態性行動”が大きく関与しているのです。
例えば、”三日坊主”とか”三日三晩”とか日本人は兎角”三”という数字を多用します。
例えば”数日”という凡その概念として尤も多い物は”三日前後”であるというデータも出ています。
又、”三年目の浮気””三年目のジンクス”など”三”周期で物事が変わる事からもそれが判ります。
これは”昔からの因習”が原因であり何も”三”でなくても数字は何でもよいのです。
日本人が”4”と”9”と言う数字を忌み嫌う、西洋人が”13”という数字を忌み嫌うのと同じです。
そして兎角日本人は”3”という数字を割りと尊ぶ慣習が有りそれが実は大型連休にも作用します。
人間同じ事が3日以上続くと段々とそれが”常態化”していく傾向が有ります。
つまり休みが3日以上続くと”休み”である事が”常態化”していく訳です。
回りも”休日モード”となり目に映る、耳にする物等五感に訴える物が全て”休む事”に終始します。
当然そうでない方も居られる訳で全ての人が”五月病”に掛からないのもそれが原因の一つ。
特に今年は震災が有り多くの方がお心を病まれそれが元でお心を休めたいと言う欲求も物凄く全国民的に高まっていた所に10連休という大型連休が来た為、通常よりも更に強い”常態性行動”が見られそれが脳に深く刻まれ其処から脱したくないという強い拒否反応から”脳の誤動作”により、”燃え尽き症候群(バーンナウトシンドローム)”に陥る人が多発しています。
これを避ける為には連休中も通常の日常生活と同じ時間同じ行動をなるべく取る事。
同じ時間に起きて同じ時間活動し同じ時間に寝る、それをする事で上記の事は回避が可能に。
一度憑いてしまった”五月病”を治すには”なるべく早い段階で元の生活に戻す事”が大事です。
その事により”脳の誤動作”を改善出来、”五月病”を回復させる事が出来るようになります。
長期休暇と言う奴も結構これで厄介な物なのですよ^^;。
この時期になると毎年皆さん”五月病”に悩まされる方々も多い事と思います。
特に今年は既に現段階で”五月病”と診断された方が大変多いと聞いております。
(事実我が元へも結構な数の”五月病同胞”が訪れております)。
さて、何故人は”五月病”になるのでしょう?
実はその裏には”常態性行動”が大きく関与しているのです。
例えば、”三日坊主”とか”三日三晩”とか日本人は兎角”三”という数字を多用します。
例えば”数日”という凡その概念として尤も多い物は”三日前後”であるというデータも出ています。
又、”三年目の浮気””三年目のジンクス”など”三”周期で物事が変わる事からもそれが判ります。
これは”昔からの因習”が原因であり何も”三”でなくても数字は何でもよいのです。
日本人が”4”と”9”と言う数字を忌み嫌う、西洋人が”13”という数字を忌み嫌うのと同じです。
そして兎角日本人は”3”という数字を割りと尊ぶ慣習が有りそれが実は大型連休にも作用します。
人間同じ事が3日以上続くと段々とそれが”常態化”していく傾向が有ります。
つまり休みが3日以上続くと”休み”である事が”常態化”していく訳です。
回りも”休日モード”となり目に映る、耳にする物等五感に訴える物が全て”休む事”に終始します。
当然そうでない方も居られる訳で全ての人が”五月病”に掛からないのもそれが原因の一つ。
特に今年は震災が有り多くの方がお心を病まれそれが元でお心を休めたいと言う欲求も物凄く全国民的に高まっていた所に10連休という大型連休が来た為、通常よりも更に強い”常態性行動”が見られそれが脳に深く刻まれ其処から脱したくないという強い拒否反応から”脳の誤動作”により、”燃え尽き症候群(バーンナウトシンドローム)”に陥る人が多発しています。
これを避ける為には連休中も通常の日常生活と同じ時間同じ行動をなるべく取る事。
同じ時間に起きて同じ時間活動し同じ時間に寝る、それをする事で上記の事は回避が可能に。
一度憑いてしまった”五月病”を治すには”なるべく早い段階で元の生活に戻す事”が大事です。
その事により”脳の誤動作”を改善出来、”五月病”を回復させる事が出来るようになります。
長期休暇と言う奴も結構これで厄介な物なのですよ^^;。
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