我が元には年間実に様々な”病”を持った方々が来訪或いは連絡を下さる。
その中には鬱病やパニック障害、不安神経症を患った方々もかなりの数居られる。
上記の方々の場合、大抵精神科乃至は精神神経内科受診をされ、投薬治療を受けその後我が元へ来られるケースが殆どであり最初から我が元へご訪問戴くケースは 殆ど無い。最初から来られた方がやりやすい事はやりやすいのだが、中々それも現状では難しく”専門”を受けられてから”最後の砦”へ向かわれる方が大多数 である。
”最後の砦”として我が門を潜られる方々が多い為、此処で何とか食い止めねば後は”絶望”乃至は”死”が待っている。
少なくとも私自身そういう風に”背水の陣”を自らに敷き事に当るようにしている。
そしてそういう方々に進言申し上げるのが題名に有る”考えない”事である。
されど、大抵の方は”そんなの無理ですよ”と一笑に附される方がこれまた殆どである。
言われて見れば至極当然の事であるのだが、敢えて私はそこでこう付け加える。
”そう!貴方が仰るとおり、朝起きて夜休むまで人間は”思考する事”なしに生き る事は不可能なのです。朝起きて何を着ようか、昼は何を食べようか、夜は明日の予定はどうしようか等等。それこそルーティンワークのようにベルトコンベア に乗って”考える事”が次から次へとどんどんと流れてくる訳です。”自らが思考しようと望まなくても”…さればこそ”自らが思考しようとする事”を止める 事は大事なのです。私が好きなアニメのOPの歌詞にこう一節が有ります”要らない物を捨てたらこんなにも心の中が無限に広がったよ”つまり”強制的に思考 せざるを得ない以外の思考をしないようにする”これが”問題解決の鍵”なのです”と。
パニックや鬱病、不安神経症の元は”充分に現状に対して冷静に考える事が出来なくなる”事が大きな要因の一つ。それは”余りにも考える事が多すぎてほかの事を考える空白が無い”事が原因なのです。
故に”絶対に考えなくてはいけない事”以外は考えないようにする事が大事なのです。
ここで”なるべく”とか”できるだけ”という言葉は被験者には絶対に使ってはなりません。
何故ならそういう”猶予を与えてしまうとその”猶予”に依拠し、又、”考えなくても良い事”を考え始めるからです。人は”猶予”を与えなくても考える事無しに生活を営む事は不可能である事は前述の通りです。
其処に更なる”猶予”を与えてしまうと今度はその”猶予”に対して”何処まで?”という新たな”考え事”が増えます。
これだと本末転倒となり全く意味を成さなく成ります、”猶予”を与えずとも人は生きている限り必ず”思考”する生物。それ故不必要な”猶予”は余計その方の心の混乱を来す物以外の何物にも非ずであり不要な存在なのです。
そして鬱やパニックや不安神経症の同胞にとっていまひとつ大事な事は”逃げ場”を作ってあげる事。
悩んだり不安に苛まれた時、”私”という逃げ場を作ってあげる事により”現状打開への糸口”を自らが掴むのです。
人間不思議な物で”逃げ場”があるという”安心感”があると、自然と”逃げなくなる”物です。
最初は”逃げ”ていても段々と”逃げ”なくなります、それは”逃げなくても大丈夫”という安心感があるから。そして”何時でも逃げられる、今は逃げるべき時ではない”という事が自らで判るから。
そうする事により私は一切の投薬治療無しで上記の症状改善乃至は緩和乃至は根絶に寄与しています。
今日から”考えない癖”を付けてみませんか?きっと”心の中が無限に”広がりますよ^^V。
その中には鬱病やパニック障害、不安神経症を患った方々もかなりの数居られる。
上記の方々の場合、大抵精神科乃至は精神神経内科受診をされ、投薬治療を受けその後我が元へ来られるケースが殆どであり最初から我が元へご訪問戴くケースは 殆ど無い。最初から来られた方がやりやすい事はやりやすいのだが、中々それも現状では難しく”専門”を受けられてから”最後の砦”へ向かわれる方が大多数 である。
”最後の砦”として我が門を潜られる方々が多い為、此処で何とか食い止めねば後は”絶望”乃至は”死”が待っている。
少なくとも私自身そういう風に”背水の陣”を自らに敷き事に当るようにしている。
そしてそういう方々に進言申し上げるのが題名に有る”考えない”事である。
されど、大抵の方は”そんなの無理ですよ”と一笑に附される方がこれまた殆どである。
言われて見れば至極当然の事であるのだが、敢えて私はそこでこう付け加える。
”そう!貴方が仰るとおり、朝起きて夜休むまで人間は”思考する事”なしに生き る事は不可能なのです。朝起きて何を着ようか、昼は何を食べようか、夜は明日の予定はどうしようか等等。それこそルーティンワークのようにベルトコンベア に乗って”考える事”が次から次へとどんどんと流れてくる訳です。”自らが思考しようと望まなくても”…さればこそ”自らが思考しようとする事”を止める 事は大事なのです。私が好きなアニメのOPの歌詞にこう一節が有ります”要らない物を捨てたらこんなにも心の中が無限に広がったよ”つまり”強制的に思考 せざるを得ない以外の思考をしないようにする”これが”問題解決の鍵”なのです”と。
パニックや鬱病、不安神経症の元は”充分に現状に対して冷静に考える事が出来なくなる”事が大きな要因の一つ。それは”余りにも考える事が多すぎてほかの事を考える空白が無い”事が原因なのです。
故に”絶対に考えなくてはいけない事”以外は考えないようにする事が大事なのです。
ここで”なるべく”とか”できるだけ”という言葉は被験者には絶対に使ってはなりません。
何故ならそういう”猶予を与えてしまうとその”猶予”に依拠し、又、”考えなくても良い事”を考え始めるからです。人は”猶予”を与えなくても考える事無しに生活を営む事は不可能である事は前述の通りです。
其処に更なる”猶予”を与えてしまうと今度はその”猶予”に対して”何処まで?”という新たな”考え事”が増えます。
これだと本末転倒となり全く意味を成さなく成ります、”猶予”を与えずとも人は生きている限り必ず”思考”する生物。それ故不必要な”猶予”は余計その方の心の混乱を来す物以外の何物にも非ずであり不要な存在なのです。
そして鬱やパニックや不安神経症の同胞にとっていまひとつ大事な事は”逃げ場”を作ってあげる事。
悩んだり不安に苛まれた時、”私”という逃げ場を作ってあげる事により”現状打開への糸口”を自らが掴むのです。
人間不思議な物で”逃げ場”があるという”安心感”があると、自然と”逃げなくなる”物です。
最初は”逃げ”ていても段々と”逃げ”なくなります、それは”逃げなくても大丈夫”という安心感があるから。そして”何時でも逃げられる、今は逃げるべき時ではない”という事が自らで判るから。
そうする事により私は一切の投薬治療無しで上記の症状改善乃至は緩和乃至は根絶に寄与しています。
今日から”考えない癖”を付けてみませんか?きっと”心の中が無限に”広がりますよ^^V。
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