常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2015年5月23日土曜日
日本国憲法に於ける法の基の平等に対する常態行動心理学的解釈について♪
本日のテーマは『日本国憲法に於ける法の基の平等に対する常態行動心理学的解釈』について。
先日交通事故死された某俳優の奥様が警察の初動捜査に疑問を抱かれその発言が物議を醸している。
一方で生前某俳優が起こした複数の轢き逃げ事件に対する批判的声も少なくない。
事の詳細は何れも明らかにされていない。
双方共に社会的立場の有る人間である。
恐らく事は表沙汰にはされず裏で取引されそれを知るべき権利の有る国民の目に事件の真相が触れる事は無いだろう。
勿論交通事故を起こし轢き逃げをした事実は断罪されるべき事である。
違法な横断を歩行者がしていたならば話は別だがそれでも注意を怠るべきではない。
更にもしも其処に警察関係者の何らかの隠蔽工作の事実があるならば明るみに出すべきである。
警察も人間である、人間である限り常正しい行動を取り続ける事はとても困難である。
其は正しさの解釈が人により異なるからである。
法的解釈にも様々な解釈が存在するのは正義の解釈が一通りではない事を示している。
人の数だけ正義は存在し、その数だけの解釈があって然るべきである。
されど一つその中にあって真理と言える物があるとするならば冒した罪は償われなければならないと言う事だけである。
其は社会的地位や権力や経済力等汎ゆる物とは本来違う場所に置くべき物である。
だが更に話をややこしくしているのは国の主義の違いが法的解釈の違いを生んでいると言う事である。
或る事例を出して説明しよう。
某政治家の親族と某ムード歌謡の女王の親族が同じ時期同じ罪で起訴され捕縛された。
その後ムード歌謡の女王は不慮の事故で亡くなり親族は服役中で親の死に目には会えなかった。
やむをえずと言えばやむをえずかもしれぬ。
だが此処で問題視されるべきは一方の存在。
政治家の親族はその後保釈され自由の身に。
その理由は『社会的必要度』との事。
ではこの『社会的必要度』とは何を示しているのか?
この『社会的必要度』とは受刑者本人の事を指しているように思われるが実は受刑者本人の事を指している物ではない。
受刑者の親族の事を現れている。
何故ならこの段階でどちらの親族も無職であり社会的地位は同じであったからである。
一方の親族は政治家。一方の親族は一歌手。
勿論社会的必要度は前者が上である。
つまり身内に政治家がいた事が彼が保釈になり身内に政治家が居なかった事が一方が保釈にならなかった理由である。
では法の基の平等とは何を示すのか?
法の基の平等とは資本力に依る。
平等とは『同じ』と言う意味ではない。
平等とは『格差が少ない』と言う意味。
勿論これは資本主義的解釈である。
資本主義に於いて主眼に置くは資本である。
政治家と一歌手では資本力に違いがある。
法曹人も税金で飯を食ってる方々である。
ならば納税順に法の基の平等が行われるのは至極当然である。
本来『保釈制度』があるのもその為である。
平たく言えば金持ちは罪を犯しても釈放されるが貧乏人は釈放されず服役するという物。
資本主義社会に於ける平等とはそのような物である。
ならばどうすれば『真の平等』となるか?
それはもう『法改正』しかない。
一首相が『景気回復』を錦の御旗として『憲法改正』による『軍事利益』を得ようとする世の中である。
『憲法改正』すれば日本も戦争に『参戦』出来る。そうなれば莫大な『軍需利益』が期待できる。
それが『国益』となり『景気回復』に繋がる。
朋友である『米国』と同じ事を今、日本はやろうとしているのである。
だがその為に嘗ての戦時中と同じように多くの罪なき命が散っていく事を国民は忘れるべきではない。
景気回復の為に老若男女の命が数多く奪われる、この事を貴方は容認できますか?
誰かの犠牲の元に利益を得たいですか?
誰かの命を犠牲に豊かに成りたいですか?
今一度私はこの事を日本国民に問いたい。
そして政府に問いたい。
命の重さは地球より重い。
嘗て誰もが学校で習った事です。
そして日本は唯一の被爆国です。
今の米国の繁栄は嘗ての軍需利益による物。
その犠牲に多くの日本人がなりました。
多くの日本人の命を奪った国にその日本が今、倣おうとしている。
その事を日本国民は失念すべきではない。
私はそう考えます。
私はこれからも国と戦います。
血を流さない戦いを国と始めます。
民の為、家族の為、そして自分自身の為に。
今日も元気に頑張りましょう。
本日は英語で。
Today's theme is the " normal behavior psychological interpretation of equality of groups of the law in the Constitution of Japan " . Wife of a certain actor that has been the other day traffic fatalities is brew the remark is controversial embraced doubt on the initial investigation of the police . On the other hand not a few critical voices for multiple hit-and-run incident that a certain actor has caused living in . Any thing of the details have not been revealed . It is a man of social position both . Perhaps things would never truth of the incident touches the people's eyes a right to know it is traded in the back not to the publicity . The fact that it has of course hit-and-run accident causing personal injury and cause a traffic accident is that it should be condemned . It's another story if had been a pedestrian illegal crossing , but not still should not careful . If more If there is a fact of any coverup of police officials in that place it should be put out to light . The police is also a human being , that you keep the normally correct behavior as long as it is a human being is very difficult . 其the correctness of the interpretation is because different from person to person . For there are a variety of interpretation in legal interpretation it has shown that the interpretation of justice is not a one way . Justice exists only the number of people , it is appropriate if there is only the interpretation of that number . Saredo sin committed if assumed that there is a thing that can be said that the truth is there one in that it is only able to say that must be compensated . 其is from those loose social status and power and economic power HitoshiHiroshi are the ones that should be placed in the original different place . But is it further confusi
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿