2011年1月31日月曜日

Magician of smile~笑顔の魔術師と呼ばれて~

『人を笑顔にする達人』『人を幸せにする達人』『先生のお陰で今日一日笑顔で居れます』…嘗て私が言われた言葉。

大変光栄の至りで有りお恥かしい限りである、過日も此れと同様のお言葉を頂戴し面映い限りである。

だが、私は思う…確かに私は心理職一筋20年、自らの心理テクニックや心理理論には絶対的な自信を持っている。
そうでなければ迷える同胞を守れない導けない、導き手がコンパス片手に右往左往では導かれる側は不安で一杯。
多少強引でも”こっちだ!”と手を引き道無き道を切り拓きながら進む度胸と決断力が無ければこの仕事は勤まらない。

同胞と一緒になって怯えていては其れこそ本末転倒の至り^^;だが実際そういう人は結構多いと聞く。
後は武器(薬)に頼って自らの力を試さない引率者(心理職)も多いと聞く、此れこそ本末転倒の極地である。

自らの力(技術)を信じ切れず武器(薬)に頼る者に人を導けるはずも無い、そのような者は無資格者と同じである。
丸腰(投薬治療なし)でもちゃんと導けてこそ本当の引率者であると私は断言する。

だが今でこそこのような大言を言えるようになったが私とて其れを言えるまでには20年の歳月を有した。
一杯泣いたし一杯怒りもし、一杯苦しみ一杯悩んだ、このまま逃げてしまえばどんだけ楽だろうと思った事も有った。

だがそんな時私は嘗ての私が経験した苦い思い出を思いだす。

当時私は真だ駆け出しで”名を売る事”に一生懸命でオーバーワークを続けていた。
その中に有る青年が居た、勿論当時からアンチピリスト(反投薬主義者)だったのでその青年にも投薬無しの治療を施していた。

その日は何件も同胞が重なり暫く彼自身容態が安定し回復傾向に有ったので油断していた。
何時もは携帯をバイブにして同胞からの連絡に備えるのだがその日は電話が一日鳴り響き電池切れをしていた。
彼の容態も安定していたし他の同胞も見舞安心して床についた…彼から幾度と無く”ヘルプ”があった事も気づけず…

彼の訃報を聞いたのは次の日の朝、家の電話で彼の親御さんからであった。
薬を大量に飲んだ挙げ句手首を切って自殺、彼は何とか不安を解消しようと私に何度も”ヘルプ”を寄越した。

だが、肝心の私は事もあろうに携帯の電源を”OFF”にしていた。
お葬式の日、どうしても足がすくんで中へは入れなかった、外で立ちすくむ私を両親は笑顔で招きいれてくれた。

私は両親の前で頭をこすり付けて詫びた、詫びて済む問題ではないが詫びて詫びて兎に角詫び倒した。
まるで”贖罪”を乞う罪人の如く狂ったように顔を畳にこすり付けた。

両親は何度も私に顔を上げてくれと頼んだが私はまともに両親の顔を見る事が出来なかった。
私さえあの時着信に気づいていれば彼は死なずに済んだ、どれだけ辛かっただろう、どれだけ不安だっただろう…。

彼の両親は狂ったように詫び倒す私に一通の封書を手渡した、其処には彼の私に対する感謝の言葉が幾つも並べられていた。死ぬ直前彼が私に当てた手紙だと言う。
其処には恨み言は一切無く只々私に対する感謝の言葉だけが綴られていた…。

私はその手紙を震えながら読みそして会場を後にした。外は雨、私は帰り際傘も差さず号泣し意味も無く叫んだ…。
天国に居る彼へ私の声が届けとばかり叫んでいた、まるで獣の雄叫びの様に…。

あれから既に10数年が経過、私も大学で教鞭をとる人となった、だが今もあの時の”経験”は我が心に鮮明に有る。
彼が亡くなって暫く後両親にお会いした、元気そうであの後お生まれになった彼の”弟”と元気に暮らしておられた。

その時両親が私にくれた”笑顔”、あの”笑顔”が今でも私は忘れる事が出来ない。
私はその時決意した”何が有ってもこの仕事は続けて行こう、そして沢山の人を笑顔にしていこう”と…。

彼の魂は今も私の中でずっと息づいている、彼の笑顔が私を笑顔にしそして我が同胞を笑顔にする。
笑顔の連鎖が続き何時か世界中を笑顔で一杯にするその日まで私の戦いに終わりは無い。

それが我が選んだ道であり私が進むべき道だと信じているから。

2011年1月29日土曜日

『銀魂 劇場版 新訳紅桜篇』雑感

何時もは此処では心理学的な事を書いておりますが今日だけは思い切り『趣味』に走っております(笑)
(まぁ一寸だけ心理学的考察は入ってますがまぁお飾り程度で殆どはその名の通り『雑感』ですw)

『銀魂 劇場版 新訳紅桜篇』を手に入れたのが1/16。
それから急に多忙モードに途中し計3枚在る内の2枚を何とか見終るも本編DVDまで到らず^^;。

そして今日やっと本編DVD鑑賞に到りました
ヾ(*゜ー゜*)ノヾ(。。*)ノヾ(*゜ー゜*)ノヾ(。。*)ノ バンザーイ!!

アニメDVDを買ったのは『キン肉マン』以来二度目、アニオタを自称する割り数は少ない^^;
んでつい映画を見ちゃうと感情移入し思い切り心理学的分析をしちゃう悪い癖が(笑)

本編の映画を劇場で観に行った際、愛方が一言…『殿(私の呼称)ハンカチ二枚用意して行った方がいいよw』。
そして当日、何時も懇意にしている駅員F君よりお父様が経営する会社が出しているアップルジュースを頂戴する。

そして劇場へ…予測通り会場は女子高生、女子大生、OLさん達で埋め尽くされ『40過ぎたおっさん』は私一人^^;。
更に愛方の予測通りハンカチ二枚を涙でぐしょぐしょにし、喉の渇きをアップルジュースで癒しましたとさ(笑)

閑話休題

そんなこんなで思い入れがあるDVDだったのでしっかりと時間が有る時に見たいとずっと『我慢』しておりました。
そしてその『我慢』が今日やっと報われ見る事が叶いました。

TV版で1回、劇場版で1回、そしてDVDで1回(笑)都合”紅桜篇”は3回目な訳です^^;。
されどやはり”同じ場面”で号泣し箱テッシュ1つ駄目にしましたとさ(笑)

『愛する者』を世界に奪われし二人の侍、『愛する者』を奪った世界を壊そうとする者、『愛する者』が愛した世界を守ろうとする者、計り知れようも無い『喪失感』は何れも同じ。されど何時からか二人の『思い』は違ってしまった…。

人間という存在の多面性、そして人が人を思う『思い』の強さ、愛する者達を守ろうとする者達の本当の強さ…。
そういった物をこの映画は私に教えてくれたような気がします。

『愛する者』が遺した言葉…『己が身を守る為の剣は捨てなさい、己が魂を守る為の剣をお持ちなさい』
『己が魂』…それは愛する家族、大切な人たち、そしてこの世界…。

現代日本に一番掛けている”何か”をこの映画は私に教えてくれた、私はこの映画をそう位置づけています。

2011年1月28日金曜日

ノーメイクの心理学~或いは最強の攻めメイク~

我が同胞の中には”醜形恐怖症”ですっぴんで外には出られないとする人が数多く居る。
だが我がセラピーを受けた後、殆どの方が”濃いメイク”から”ナチュラル”乃至は”ノーメイク”で外を歩けるようになる。

又、同様に我が同胞方々の中には肌が過敏で化粧品が合わずメイクができない人も大変多い。
この数は年々増加傾向に有り10年前と較べてもその比は歴然としている。

一つには食生活の問題やストレス社会の問題、生活時間の乱れや生育過程における諸問題等色々な問題が絡んでくる
単なる”敏感肌”ではないケースも侭あって中々一本道で通れる物ではない。

本当はメイクをしたい、他の女性見たくおしゃれを楽しみたいけれど私は…と後ろ向きな人生を送る人がとても多い。
それが元で人間関係が崩れたり自己嫌悪から欝に移行する人、酷い人となると二重人格や多重に移行する人も…。

既に一種の『社会的病理』となりつつあるこの問題はしかし何故か日本の精神医学会では軽視される傾向にある。
私は古くからこの問題に取り組み改善策を色々と練ってきた。

その中で私が辿り着いた一つの結論、それは題名にも有る”ノーメイクは最強の攻めメイク”であるという事。

顔に色を乗せるのは古来呪術的な意味合いがあり神と繋がる為現世と隔絶する為に行われた物が発祥である。
つまりメイクをする事自体が”別人格”を作り出す事を本来的な目的として作られた物である。

だがこの”別人格”を作り出すという考え方、実は二通りあるのである。
所謂”攻めメイク”と”守りのメイク”。解りやすく言えば”見せるメイク”と”隠すメイク”の違いである。

”すっぴんを見られるのが恥かしいから隠す為にするメイク”これは守りのメイク。
”より綺麗な私を多くの人に見せたいからするメイク”これは攻めのメイク。

前者のメイクは人を遠ざけ、後者のメイクは人をひきつける。

つまり”人をひきつけたり遠ざけたりする事”は”メイクによって色を載せる事”ではなく”メイクをする際の心理的作用”によって決まるのである。幾ら綺麗に顔に色を載せてもそれが”守りのメイク”であるならば乗せた色は色あせる。

裏を返せば”心が攻めの状態”の時はアドレナリンやドーパミンホルモンやオキシトシンの分泌が促され肌活性が起き
メイクをせずとも表情は活き活きとして艶を全開に表に出す事ができるのである。

実際私がリアルで知る人の中で敏感肌でメイクができない人の肌はとてもぷりぷりの絹肌で且つ美人がとても多い。
されど”メイクが出来ない自分”という存在を過小評価しそれが”表”に出ていない、それが私には歯痒くてならない。

故に私は”メイクをしなくても充分綺麗である自分”という物をその方々にお教えし自らが”得で選ばれた存在”である事をお教えしている。人により理解は様々だが皆一様に”自らの隠れた美しさ”に目覚め明るい人生取り戻している。

最強のメイク・マジック、それは”心”が決めるのである。

2011年1月27日木曜日

誤解の心理学~親切が仇になる時(笑)~

私は決して”モテ男”ではない。まぁアイコン見て貰えば一目瞭然(笑)

だが何故か学生頃より”色恋沙汰”に巻き込まれる事が多かった(爆)
人の彼女を奪っただの人の妻を奪っただのという話は枚挙に暇が無い^^;。

私は『不倫は文化ではなく立派な犯罪』であると公言している人。

故に浮気や不倫だのは私の辞書には存在しない、浮気する時は相手が移る時。
されど今だその風潮は止まず駅員の彼女を口説いただの何だのと面倒この上なし

一つには”人の心の尤も近い部分に触れる事が出来る”というのが原因であろう。

されどこれは職業柄やむを得ぬ事、それができなければセラピストとしてやってはいけぬのですから。

そして”困っている人を見ると放っておけない”そして”その人の心とシンクロし人事である筈の問題が自分事”になってしまうという悪癖が(笑)

人事が自分事になる訳ですから当然人の悩みが自分の悩みとなり真剣に悩む。
答が見つかれば相手は喜びそこまで親身になってくれる人は居ないとなる^^;。

んでそういう”誤解”が生まれてしまう訳である(笑)でもそれはそれで仕方ない事。

だからといって”お節介”を止めるつもりは毛頭なし、私は私。これからもこのまま。

2011年1月25日火曜日

生体心理学と生体エネルギーについて

題名は厳ついですが内容は何時ものようにゆるゆるです(笑)(書いている人間がゆるゆるなのに難しい話は無理(笑))
今日久しぶりに駅で女性駅員のOちゃんに会った、一寸太目の上戸彩という感じの娘で駅では人気の女の子である。
基本御馬鹿キャラだが仕事はきっちりこなし決して人に嫌な顔を見せずというプロ根性逞しい娘で上の覚えもめでたい。
彼氏が元・同じ職員(つまりJR職員)だったが職場が合わず退職しそれ以降ぷらぷらとしているらしくそれが悩みの種。
本来ならば去年末の段階で就職が決まらねば離縁の予定だったが彼女の優しさが災いし今も関係は続いているという。
んでそのOちゃんと会った時の会話。
『最近彼氏とやってるかい?ちゃんとやらないと駄目だぞ』
『は~い、それが彼氏最近一寸お疲れ気味で~』
『そりゃあいかん、鰻かすっぽんでもくわさねぇとな』
『あはは、そ~ですねぇ、そうしないといけないかも』

傍から見たらセクハラ発言連発で真面目ちゃんが近くに居たらお叱りを受けそうな会話(笑)
だがこれは中年男の下世話な会話ではなく到って真面目な話。

Oちゃんも私が冗談は言うが基本真面目である事をちゃんと理解している人。
この間も彼氏の事で相談しに来て私のアドバイスが活きたと喜んでいた。

私は地元の駅では何故か”新人教育係”となっているらしく(私はJRの人ではないw)上から新人を任されている(笑)
彼女がまだ新人だった頃からずっと面倒を見ているので彼女の同期前後からしてみたら”教官”みたいな感じである。

故に若い駅員の全員から悩み相談を受けるし”此処だけの話”も沢山入る(それを聞かされる身にもなってくれ^^;)。
職業柄守秘義務は守らねばならず結構ストレスは溜まる仕事である(且つ全く儲けには直結せぬし^^;)。

閑話休題

人間を含む生物に須らく”生殖器”が付いているのは種の保存の為だけではない。
それは自らの”生体エネルギー”を補充しそれを”生命力”に活かす為である。

人間でいう所の”リピドー”というのは人間が生きる為に必要な生命エネルギーの一つである。
もしそれが不要な物ならば”理性と欲望”という相反する物が人間という”器”に同梱している筈が無い。

”リピドー”は人間が生きて行く上で欠くことが出来ない”生体エネルギー”を作り出す重要な役割を持っている。
故に無理に其れを抑えたりそれから遠ざかる事により”生体エネルギー”が弱まり”人間性”が徐々に失われていく。

さりとてそれを前面に押し出してしまえばそれこそ”変態”とか”ストーカー”となってしまう訳でその兼ね合いは難しい。
だが”生体エネルギー維持の為の性衝動”自体を全否定する向きには一心理学者としては容認しかねる。

今の性犯罪の幾つかはこういう背景を持っていると私は考える。

人が人を愛する事は極自然な行為でありその先に性衝動が合ったとしても何ら不思議な事ではない。
それらを否定する事は人類の歴史その物を否定する事に繋がる事を婦人団体他それら否定派には理解して欲しい。

今、アナタが此処に存在しているのもそれらのお陰であるという事を忘れないで欲しいと思う。
そう考えると案外もっとフランクに物事が見える気がするのは私だけだろうか?^^;

2011年1月23日日曜日

SmartPhoneの心理学~或いはタッチパネルの心理学~

昨日いよいよauアンドロイドを手に入れ私も遂にSmartPhoneデビューである。
SmartPhoneに関してはこの一つ前に(正確にはPhoneではないが)ipadでタッチパネル型は経験をしている。

電話の変遷から言えば手回し式からダイヤル式となりプッシュ型へと移行しそして今タッチパネルの時代を迎えている。

もっと原始的な物から言えば糸電話からのスタートと言っても良いかもしれない^^;

だが先日タッチパネルの新たな弊害の場面に遭遇した。
齢70と思しき男性、或る機械の前で悪戦苦闘していた、一生懸命画面をタッチするも無反応…随分お困りの様子。

近くによって見ると”タッチパネル式”ではなく”ボタン式。ちゃんとボタンも大きく表示されていた。
だが最近は何処へ行ってもタッチパネル式が横行している為そのご老体もタッチパネル式だと勘違いしていた様子。

又、或る場面では此方はタッチパネルなのだが全く機械がタッチを認識してくれていない。
見ると随分画面が人間の皮脂で汚れており指紋認証が困難な状態になっている事に気づいた。

汚れをふき取り再度タッチしてみてとお教えしその通りに実行したら見事機械はその機能を発揮してくれた。
ご婦人はいたく喜ばれ何度も頭を下げられ随分恐縮した物である。

更に脳梗塞を患われ手がご不自由な男性にとって狭いタッチパネルは求めるキーを押す事自体が大変困難である。
何度も誤押でやり直しとなりかなり精神的に参られていた様子、私が代行し処理をしこちらも深々とお辞儀をされた。

閑話休題

新幹線のハンディーキャップトイレで緑と赤のボタンを良く見かけるがあれも使わない人には大変解り辛い物。
開け方が解らない人、中に入って閉め方が解らない人、用を足して部屋からの出方が解らない人など多数である。

大抵此れも私がその場に居合わせていたら必要に応じてご指示乃至はボタン自体を押して差し上げる事もある。
私のようにそれしか使えない者なれば機能も覚えよう物だが普段余り使い慣れていない方にはあれは解り難い。

グローバルデザインとして本来的に機能すべき物が余計物の煩雑さを産み新たな弊害を生んでいる場合がある。
こういう時社会学を学んだ者として”本当に人に優しいグローバルデザインとはなんぞや?”と思いを馳せる事もある。

閑話休題

タッチパネル時代の幕開けによりこれからどんどん同方式の機械は続々と増えていくだろう。
体にハンディーを背負った方や煩雑な機械操作が苦手な方にとっては本来助け舟となるべき筈の物である。

だが実際蓋を開けてみた時果たして本当にそうなっているか?人間がタッチパネルに翻弄されていないか?と思う。
時代の波を作るのは時代ではなく人である、なれば又タッチパネルの波も場合によっては方向転換も必要であろう。

時代の進化に人が合わせるのではなく人の進化に時代が合わせる、そんな時代が来る事を切に願う物である。
と、Androidに四苦八苦する40過ぎの一心理学者のオサーンは思うのである(爆)

2011年1月22日土曜日

気遣いの心理学~或いはノーガード戦法の心理学~

『私の気持ちなんて誰も解ってくれない』と同胞は嘆く
『ったりめぇだ、馬鹿。てめぇから解って貰おうと努力もしねぇ奴の気持ちなんざ誰が解るか』と私。

同胞はギョ!っとした顔で此方を見つめる”信じられない、この人”という感じで。

誰もが氏を”腫れ物”に障る様に接してきた、だがそれが一番彼女の”心”を傷つけている事に実は誰も気づかない。
お心を病まれている方は人の”感情”にとても敏感である。
故に”腫れ物に触る人の心”がダイレクトに解りそれが余計にお心を傷つける結果となる。

故にわざと私は乱暴な口調で粗暴な態度で”ノーガード”の態度を相手に見せる。
最初相手は”何この人!?”と訝しがり不愉快さを露にするが徐々に”傷を癒している”事に気づき始める。

それは”気遣う振りをして相手を無意識に傷つける言葉”を決してはかないから。
粗暴な中に深い愛情を込めダイレクトな気持ちの直球を心に直に叩き込むから。

最初はとてもきついし辛い作業だが其処を超えねば先へは進めない。
私は文字通り”叱咤激励”し同胞を”完治”と言う名の頂きまで一緒に歩いていく。

完治後同胞は口々に言う”先生は口は悪いけど誰よりも愛情が深い人、だから好かれるし惚れられるのね”と。
私は言う”るっせいよ!さっさとけぇれ。もう彼氏来る時間だろ、こんな所見られてみろ、ぶっころされんぞ”と笑いながらw

同胞は言う”大丈夫!先生の事は全部彼氏には離して有るから、今度会ってお礼が言いたいってさ”。
”おいおい勘弁してくれよ、柄じゃねぇよ、さぁさ、早く行った行った”と^^;

それから暫く町で彼女と会った、勿論素敵な彼氏と一緒の所で。
私は敢えて気づかぬフリをして立ち去ろうとしたがいきなり彼女が腕に絡んできて”センセ!彼氏彼氏素敵でしょ”とw

”馬鹿、彼氏の前で何て事やってんだ、てめぇは、離れろ!”と焦る私^^;
彼氏さんは”いいんですよ、先生は特別ですから。彼女を救ってくれた恩人です。信じてますから僕は…”
”はぁ…嫌w信じるも何もそういう関係じゃありませんしね^^;やれやれ、てめぇ何彼氏に余計な事ふきこみやがった”。
”え?私は何も言ってないよ、只、”私の素敵な先生”って言っただけ、ンフ”
”ンフじゃねぇよ、馬鹿たれ、俺は行くぞ、勝手にラブラブしてろ、じゃあな”と…。

その時、私の財布から1万円札がボトリと落ちる。
彼女が慌てて”先生、お金落としたよ、1万円、大金だよ~”と。

私、手を振りながら”餞別だ、それで美味い物でも彼氏と食って帰れ、じゃあな”と手を後ろ手に振り立ち去る。
深々とお辞儀をする彼氏と一生懸命手を振る同胞、私の一番の至福の時である。

人は誰しも幸せになる権利を有している、その権利を奪う者の存在を私は決して許しはしない。
彼女の心を”傷つけた輩”には社会的制裁措置が加えられその後社会復帰は叶わなかったと聞く。

人を傷つけた物はそれがどういう形であれ必ず制裁を加えられる、それを彼らは身を以て体験しただろう。
私の家族は私が守る、これからも私はその精神を崩さず精進を重ねて生きたいと願う。