2011年1月23日日曜日

SmartPhoneの心理学~或いはタッチパネルの心理学~

昨日いよいよauアンドロイドを手に入れ私も遂にSmartPhoneデビューである。
SmartPhoneに関してはこの一つ前に(正確にはPhoneではないが)ipadでタッチパネル型は経験をしている。

電話の変遷から言えば手回し式からダイヤル式となりプッシュ型へと移行しそして今タッチパネルの時代を迎えている。

もっと原始的な物から言えば糸電話からのスタートと言っても良いかもしれない^^;

だが先日タッチパネルの新たな弊害の場面に遭遇した。
齢70と思しき男性、或る機械の前で悪戦苦闘していた、一生懸命画面をタッチするも無反応…随分お困りの様子。

近くによって見ると”タッチパネル式”ではなく”ボタン式。ちゃんとボタンも大きく表示されていた。
だが最近は何処へ行ってもタッチパネル式が横行している為そのご老体もタッチパネル式だと勘違いしていた様子。

又、或る場面では此方はタッチパネルなのだが全く機械がタッチを認識してくれていない。
見ると随分画面が人間の皮脂で汚れており指紋認証が困難な状態になっている事に気づいた。

汚れをふき取り再度タッチしてみてとお教えしその通りに実行したら見事機械はその機能を発揮してくれた。
ご婦人はいたく喜ばれ何度も頭を下げられ随分恐縮した物である。

更に脳梗塞を患われ手がご不自由な男性にとって狭いタッチパネルは求めるキーを押す事自体が大変困難である。
何度も誤押でやり直しとなりかなり精神的に参られていた様子、私が代行し処理をしこちらも深々とお辞儀をされた。

閑話休題

新幹線のハンディーキャップトイレで緑と赤のボタンを良く見かけるがあれも使わない人には大変解り辛い物。
開け方が解らない人、中に入って閉め方が解らない人、用を足して部屋からの出方が解らない人など多数である。

大抵此れも私がその場に居合わせていたら必要に応じてご指示乃至はボタン自体を押して差し上げる事もある。
私のようにそれしか使えない者なれば機能も覚えよう物だが普段余り使い慣れていない方にはあれは解り難い。

グローバルデザインとして本来的に機能すべき物が余計物の煩雑さを産み新たな弊害を生んでいる場合がある。
こういう時社会学を学んだ者として”本当に人に優しいグローバルデザインとはなんぞや?”と思いを馳せる事もある。

閑話休題

タッチパネル時代の幕開けによりこれからどんどん同方式の機械は続々と増えていくだろう。
体にハンディーを背負った方や煩雑な機械操作が苦手な方にとっては本来助け舟となるべき筈の物である。

だが実際蓋を開けてみた時果たして本当にそうなっているか?人間がタッチパネルに翻弄されていないか?と思う。
時代の波を作るのは時代ではなく人である、なれば又タッチパネルの波も場合によっては方向転換も必要であろう。

時代の進化に人が合わせるのではなく人の進化に時代が合わせる、そんな時代が来る事を切に願う物である。
と、Androidに四苦八苦する40過ぎの一心理学者のオサーンは思うのである(爆)

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