2011年1月6日木曜日

ムラ社会の心理学~社会民族学から精神心理学への心理学的アプローチ~

題名は厳ついですが内容は何時ものようにゆるゆるです。

年末年始結構な数の診療のご依頼を頂戴し、今の所有り難い事に今月の予定はほぼ埋まりつつあります。
まぁ何度も申し上げている通り私のような職業が儲からない社会というのが本来的には望ましい社会であります。

私自身は私のような職業の者が一日も早く廃業乃至は転職しなくてはいけなくなる社会となる事を望んでいます。
大抵の場合心理職をやっている人間は人の”心の機微”が解るので著述業には向いています。

そっちで大半は食っていけるので(本物の心理職なればですが^^;)問題は無いと思っています。

閑話休題

ご依頼の都道府県を見てみると中央よりも圧倒的に地方が多い、此れが今の傾向です。
人口増や就職率、生活費の高さなどから一般的に田舎より都会の方がお心を病まれる方が多いように見えます・

ですが実際は逆、都会より田舎の方がお心を病まれる方が多いのです。

理由は幾つか有ります。

一つには典型的『ムラ社会の風習』に有ります。

今の個人尊重主義は近代以降の風潮であり今だムラ社会に於いてプライバシーを守ることは難しい状況にあります。『向こう三軒両隣』的で『隣は何をするひとぞ』と覗きに来る人が多いと聞きます。
実際我が居住区を見てもご近所さんが”何でそんな家庭内の内部事情までアンタしってんの?”という位詳しい(笑)
コップを壁につけているか或いは盗聴器でも仕掛けてんじゃないの?と疑いたくなるほどです^^;。

又『ムラ社会に於けるネットワークの情報伝達率の高さ』もその一つ。

何か事が起これば一日所か1時間もあれば村中に噂が広まります、しかも事実にかなりの尾ひれ雌ひれが付いてw
これでは個人的に何かをしようとか成そうと思っても無理で中々ムラ社会に於ける『個』を持つ事は困難を極めます。

更には『ムラ社会に於ける因習の伝承率』も其の一つ。
今時そんなの流行らないよと鼻で笑いたくなる程、ムラ社会という物は伝統とか格式とかを重んじます。

伝統や格式は其の時代時代に沿って作られた物でありそれらは本来的には可変的で在るべき。
しかしムラ社会に生きる人たちにとってそれは”聖域”であり冒さざる領域であり守るべき掟のようになっています。

そういう”精神的閉塞感”が個人主義の特性と反発しあいその結果お心を病まれる方が多いのです。
さりとて御心病まれているので都会へ出るのが怖く中々悪循環から断ち切れないというのが実情です。

”田舎ですらやっていけないのに都会でやっていける筈が無い”と思い込んでる、これこそが”負の刷り込み”です。
その”負の刷り込み”を”正の刷り込み”に変え田舎よりも寧ろ都会の方が住み易い事をお教えする。

そして何より”ムラ社会から脱却する事”をお教えする、それが私の仕事であると私自身位置づけています。

其の為には先ず何より”ムラ社会に住む方々”へ向けて”自分は○○である!”と自分自身をちゃんと言える事。
誰が何と言おうが私は私である!という事を揺ぎ無い自分自身に対する自信を持つ事。

それこそが”ムラ社会脱却の鍵”であると私は考えています。

”伝統や格式”を守る事も勿論大切です、それらは”歴史”であり”人々が生きてきた証”でもあります。
されど”伝統や格式”に”縛られすぎて””個を失う”となるとこれはもう”伝統や格式”で片付けられる問題に非ず。

先人たちが”生きていく上で見につけた業”は現代人が又、現代で”生き抜く上で身に付けた経験や知識”でもって作り変えるべきは作り変えていく、そういう柔軟性を持たせてあげたい。それが”ムラ社会存続の鍵”であると考えます。

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