2011年1月28日金曜日

ノーメイクの心理学~或いは最強の攻めメイク~

我が同胞の中には”醜形恐怖症”ですっぴんで外には出られないとする人が数多く居る。
だが我がセラピーを受けた後、殆どの方が”濃いメイク”から”ナチュラル”乃至は”ノーメイク”で外を歩けるようになる。

又、同様に我が同胞方々の中には肌が過敏で化粧品が合わずメイクができない人も大変多い。
この数は年々増加傾向に有り10年前と較べてもその比は歴然としている。

一つには食生活の問題やストレス社会の問題、生活時間の乱れや生育過程における諸問題等色々な問題が絡んでくる
単なる”敏感肌”ではないケースも侭あって中々一本道で通れる物ではない。

本当はメイクをしたい、他の女性見たくおしゃれを楽しみたいけれど私は…と後ろ向きな人生を送る人がとても多い。
それが元で人間関係が崩れたり自己嫌悪から欝に移行する人、酷い人となると二重人格や多重に移行する人も…。

既に一種の『社会的病理』となりつつあるこの問題はしかし何故か日本の精神医学会では軽視される傾向にある。
私は古くからこの問題に取り組み改善策を色々と練ってきた。

その中で私が辿り着いた一つの結論、それは題名にも有る”ノーメイクは最強の攻めメイク”であるという事。

顔に色を乗せるのは古来呪術的な意味合いがあり神と繋がる為現世と隔絶する為に行われた物が発祥である。
つまりメイクをする事自体が”別人格”を作り出す事を本来的な目的として作られた物である。

だがこの”別人格”を作り出すという考え方、実は二通りあるのである。
所謂”攻めメイク”と”守りのメイク”。解りやすく言えば”見せるメイク”と”隠すメイク”の違いである。

”すっぴんを見られるのが恥かしいから隠す為にするメイク”これは守りのメイク。
”より綺麗な私を多くの人に見せたいからするメイク”これは攻めのメイク。

前者のメイクは人を遠ざけ、後者のメイクは人をひきつける。

つまり”人をひきつけたり遠ざけたりする事”は”メイクによって色を載せる事”ではなく”メイクをする際の心理的作用”によって決まるのである。幾ら綺麗に顔に色を載せてもそれが”守りのメイク”であるならば乗せた色は色あせる。

裏を返せば”心が攻めの状態”の時はアドレナリンやドーパミンホルモンやオキシトシンの分泌が促され肌活性が起き
メイクをせずとも表情は活き活きとして艶を全開に表に出す事ができるのである。

実際私がリアルで知る人の中で敏感肌でメイクができない人の肌はとてもぷりぷりの絹肌で且つ美人がとても多い。
されど”メイクが出来ない自分”という存在を過小評価しそれが”表”に出ていない、それが私には歯痒くてならない。

故に私は”メイクをしなくても充分綺麗である自分”という物をその方々にお教えし自らが”得で選ばれた存在”である事をお教えしている。人により理解は様々だが皆一様に”自らの隠れた美しさ”に目覚め明るい人生取り戻している。

最強のメイク・マジック、それは”心”が決めるのである。

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