2011年2月27日日曜日

社長の心理学~或いは『株式会社アークインターネット』代表取締役関口社長に見る究極の帝王学の心理学~


去る2/26名古屋で『株式会社アークインターネット』代表取締役社長の関口氏とお会いする幸運に恵まれた。

名古屋のソーシャルネットワーキングコンサルティングシェアNo.1を誇る関口社長とは如何なる人物か?
我が胸は嫌が上にも高まり昨日は寝不足、新幹線特別室でも大抵着くまで爆睡の私が一睡も出来なかった。
それが既に社長の”品格”を現しておられると自分の中で感じていた。

そして実際に名古屋駅で社長とお会いしてその”予感”は”確信”へと変わって言った。

名立たる会社の社長という職に就いておられる方とお会いする機会は決して少なくは無い。
職業柄そういう方々とお会いする機会は多いが私が心から『社長』と呼んで憚らない人、それが関口社長である。

先ず私はしょっぱなからポカをしてしまい『金の時計台』と『銀の時計台』を見間違えてしまった。
この時点で大抵の社長は眉根を多少寄せるが関口社長は破顔一笑、満面の笑みを称え威風堂々と現れられた。

一発で”会社経営者”然とした出で立ちで立ち居振る舞いも威風堂々としキリっとしたお顔は俳優?と見間違うほど。
このままドラマで社長役をやられたとしても或いは刑事部長の役でも全然イケそうな感じのイケメン社長であられた。

緊張する私を気遣って下さり常、後ろを振り返り進路を確保してくださる関口社長、そのお心遣い感涙の極みです。
そのまま『名古屋マリオットホテル』へ移動、社長御自らパンフレットを手に取り私に手渡して何を食べたいかをお聞き下さいました。

常、相手の立場に立てる方、経営者の中には中々こういう方は日本では稀です。
さっさと店へ行き注文を決め人の意見など一切無視、会社でのお立場を外でも適応なさる人が多いのが現実です。

されど社長は違いました、私を先に席に着かせ、メニューをお渡しして下さりあくまで私の意見を尊重して下さる。
決して御自身は前へ出ず相手先ず有りきの姿勢を示される、日本人的というより寧ろ英国紳士の雰囲気でした。

会食は『中国料理 梨杏』さんのランチディナー、次から次へと出される目にも鮮やか舌も喜ぶ料理に何度も鼓を打ちながら社長の有難いお話を拝聴する機会に恵まれました。

此処で今更社長の華々しい経歴のお話しをするなどという無粋な真似はいたしますまい。
社長を語る上でそれらは単なる参考資料にしかなりません、社長を語る上で大切な事はもっと別な所に有ります。

社長を語る5つのキーワードその1『傾聴力』
人の上に立つ者は我が亡父もそうですが兎に角人の話を『聞く耳』を持つことが大切です。
自分の話しばかりして相手の話を聞かない社長は多いですがそれでは社長としては二流三流です。
本当の一流の社長は自らは一歩下がって相手の話をしっかりと聞く、そして有無益を取捨選択し必要な物のみ選択
正に関口社長はそういう”聞く社長”であられました。

社長を語る5つのキーワードその2『表現力』
人の上に立つ者は自らの”商品”をしっかりと相手に売り込む力が必要である。その為には『表現力』は必要不可欠。
されど多くの方はこの『表現力』と言う言葉を見誤られておられる。
真の『表現力』とは聞き手のレベルに合わせて自らの話を可変的に変える事が出来る人。
関口社長は浅学菲才な無学者の私にも解る言葉解る表現で一つ一つを丁寧に且つご説明戴きました。

社長を語る5つのキーワードその3『発想力』
私は心理学者であり心理学畑の人間である、心理学畑の人間の研究対象は”心”である。
如何にして”病を治すか?”これはもう”発想力”に頼るしか方法は無い(薬に頼る者はそれこそ二流三流である)。
故に心理職にある人間は常、”発想力”を豊かに柔軟にしておかねばならない。
だがその専門職の私ですら社長の”発想力”の妙には頭が下がる。よくもここまで!と舌を巻くほどである。
私は”セラピスト”が本業だが実際この仕事は中々”儲け”に繋がらない。
其の現状も社長はご存知で”如何にして儲けるか?”のお知恵を色々とご伝授下された。
其の発想力たるや”舌を巻く”どころか”参りました”と投了レベルである(笑)

社長を語る5つのキーワードその4『サービス力』
今回社長へは地元の名産品を二品お持ちさせて戴いた(というかこれ以外に差し上げる物が無い程の田舎であるw)
社長からはお昼の中華ディナー代、そして母へのお土産も頂戴した。
お話の中でも”ケチらない”されど”無駄金は使わない”というきっちりとした経済観念をお持ちであった。
又、此処では割愛するが経営ノウハウなど”これ私に話しても大丈夫?”的な話も沢山拝聴させて戴いた。
その社長の”サービス力の旺盛さ”に私は”本物”を見た心持であった。
一部の経営者の中には”奢って貰って当然”というふんぞり返った者も居る、そういう会社の社長は所詮其の程度。
関口社長のような大物には慣れぬ小物レベル。こういう”度量の大きさ”も社長を語る上で重要なキーワードである。

社長を語る5つのキーワードその5『人間力』
や はり最後に出るのはやはり『人間力』である。社長が今の会社を興される迄にはそれこそ順風満帆では無かったようである。様々な紆余曲折を得て又、会社を興 されてからも名古屋No.1のシェアを獲得なさるまで又獲得なさった後も悪評等に随分悩まされた御様子。されど社長持ち前の『人間力』でそれらの難関を見 事クリアー、総勢200有余名の社員を抱え、年商10数億の社長となられた訳である。そして何より私が感動したのは社長の『夢』であった。
勿論それが最高到達点ではなく恐らく社長にとっては其処も又『通過点』の一つであられるであろうがこれこそ真の『国際貢献』であるという真の『人道支援』であるというお話を拝聴した。
中身は敢えて割愛するがそれは是非社長の口から直にお聞き願いたい。

最後は駅構内の改札で私がエレベーターに乗るまでずっと立ったまま笑顔で手を振って下さった。
此れほどまでに胸が熱くなる出会いと言う者を私は余り経験した事が無い。

”又会いたくなる人”それが関口社長その人であった。

余談だが社長は実は我が亡父に瓜二つであった、本当に兄弟ではないか?と思う程面影が亡父に似ていた。
それ故社長とお会いした時我が亡父と会っている心持にて目頭が熱くなるのを懸命に堪えた物である。

最後となりましたが今回の関口社長との会談に際し社長へ向け”私を頼む”とお口添え下された我が川村師匠に心よりの敬意を表し今回の話を結としたく存じ上げます。

2011年2月25日金曜日

職業人としての重さについて~或いは責任の心理学~

職業人(心理学者/セラピスト)としての自分という存在に最近”重さ”を感じている。

昨日何時もの様に仕事へ向かう途中通り道のセブンで缶コーヒーを買い、
入り口付近で葉巻を吹かせながら珈琲を飲んでいた。

そこで私より少しお若いかな?という感じの”美人のお姉さんが””お隣で煙草を吸わせても宜しいでしょうか?”とお尋ねに成られた。

今時珍しい礼儀正しい方だなと思いながら勿論快諾。
世間話をしながら”何時もの悪い癖”が出た。

我々職業人という物は相手の”目”で全てを判断します。
その時も其の方の”目”を見て”なるほど”と納得。

さりげなく話題を”心理学”へ移行、すると相手の”目”の輝きが変わり身を乗り出し最後は号泣しそして今から裁判所へ行かれるとの事。

何れ我が同胞となられる事は間違いないであろう。
恐らく旦那のDVか何かではないか?お母上様に連れられセブンを後にされた。

其の日の晩に我が”正当なる継承者”より電話を頂戴し30分近く話を頂戴する。
そして今日旧友で私と同じ”能力者”であるS氏が久しぶりに電話をくれた。

氏も東京から地元へ帰郷、メンタルを患い2年間程苦しんだ挙げ句今就活中。
我が”プラン”にとても興味関心を抱かれ助力を申し出て下された。

元々私は”軍師タイプ”で表には出ず誰かを”表に立て”裏で色々と画策するのが好きなタイプなのだが最近好むと好まざるとに関らず”表”に立つ事が増えてきた。

専門職を20年も続けていれば当然と言えば当然なのかもしれない。
されどどうも性格的に人の”前”に出る事は余り好む性格ではない。

我が愛方も同じ人で私を前面に出し自分は後方支援へ回る人であった。
されど我が愛方も又、多くの方々の”需要”に迫られ少しずつ”前”へ出てきた。

或いは二人とも”変革”の時期なのかもしれない^^;

超心理学者の心理学~或いは自死遺族の為に出来る事の心理学~

私は心理学者としての顔とは別にもう一つ、超心理学者(霊能力者)としての顔を持つ。
私が超心理学者となった一番の理由はお心を患っておられる原因が心理的な物か或いは霊的な物かを見極める為。

元 々幼少の頃より”見えざる者の姿を見””聞こえざる者の声を聞き””触れざる存在に触れる”事が出来て居た為、第一の師匠に”霊能力の開眼”をして貰った時も余り実感という物は沸かなかったがその後”霊障(霊的妨害)”に遭う様になり好むと好まざるとに関らず自らの持つ能力を知る事となる。

その後『類は友を呼ぶ』がの如く多くの霊能者と出会い、其の事により”霊能力の種類”を一つずつ増やして行き今が有る。愛方とであったのもある種”必然的で会い”であったのかも知れぬとは今は思う。

今はそれが”心理的病理”なのか”霊的病理”なのかを見極められるようになった。

こうやって見てみると案外”霊的病理”が多い事に驚かされる。

それを精神科医や一部の心理系の人々は”精神的病理”として扱おうとするのだから”治らなくて”当然(笑)
悪化こそすれそれが”治る”事は無い、だって”憑依”されている物を”除霊”せずして”治る”物ではないのだから^^;。

もう一つ、超心理学者として大事なお仕事が実は上記以外にも有る。
それは”自死遺族の方のメンタルケア”である、これは我々”超心理学者”でなければ絶対にできない事である。

何故か?”亡くなられた方の声”を届ける事ができるのは我々”超心理学者”だけだからである。
其のお陰で年間100件を越えるご依頼を頂戴し其の度に東奔西走する日々である。

だがこれでも私の目から見れば”氷山の一角のその又一角”そういう事を知らず日々を悶々と過ごしておられる方も多数居られるに違いない。

事実、お身内の自死に遭われて以後”過食や拒食”に走ったり、”燃え尽き症候群”になって育児放棄や家事放棄をして家庭が崩壊したり果ては”人の道に外れる行為(不倫)”に走る方も居られる。

見ていてとても胸が痛むし嘆かわしい限り、そういう方々の”メンタルケア”も又我々超心理学者のお仕事である。
霊界と現世を繋ぐメッセンジャーとして”霊界でのお身内のご活躍やお声”を届ける事で”生きる気力”をお与えする。
”生きる糧”をお与えし”亡くなられた方”へ恥かしくない生き方、堂々と胸を張れる生き方、安心して極楽浄土へ渡っていただける生き方を提唱している。

更に我々超心理学者にとって厄介なお仕事がもう一つ実は有る。

そ れは”自死された方は成仏できず地縛霊となり未来永劫成仏できない為、其の方々を浄霊し霊界へおつれする”という事である。言葉にすると簡単だが此れが中 々にして厄介。現世に当然”未練”を残して居られる訳だから素直に”はい、霊界へ上がります”とは中々ご同意戴けない。

そして尤も厄介なのはそういう”成仏できない霊”が集合体となり”悪霊”と成り果てるケースである。
まぁ俄に信じがたい話なのだが負と負を足しても負が増えるだけで負の感情を持つ魂同士は波長が合い”合体”しやすいので”負の情念”が具現化した時、それらは”悪霊”とか”怨霊”とか呼ばれる存在となる。

こうなってくるともう”浄霊”なんぞという暢気な事は言って居れない。
既に一つ一つの霊の意識は無く”現世に対する恨み”に完全に乗っ取られているのでもう”除霊”しか方法は無い。
こうなると”命と魂を賭けた生死を分ける戦い”となる訳で此方もそれなりの準備と覚悟が必要となる。

此方も死ねば同じ、あちらも負ければ”二度と”転生は出来ない訳ですから勿論あちらもこちらも正に”真剣勝負”。
何度”三途の川”を渡ったか解りませんよ^^;。それでも”遺して行く者の辛さ”を思った時、私は”負ける訳にはいかん”
と何時も自分を奮い立たせ今まで何とか勝利を収めてきました。

これからも私は心理学者としては勿論、超心理学者(霊能者)としても多くの”魂”と会話をしながら”ご遺族”と”天界に住まう魂”を繋ぐ役目を担いたいと思っています。

2011年2月23日水曜日

”口説く”と”惚れる”の心理学~或いは心理職に求められる本当のスキルとは?の心理学~

私は多くの人より”口説き上手“と言われる、大変光栄の至りであり私自身否定する物ではありません。
されど大変残念ながら”惚れさせ上手”ではない、誠に以て遺憾ではあるのだが(笑)

『口説き落す=惚れる』と多くの方は認識されておられるようであるが(所謂社会的認知という奴)実は違う。
私の中で『口説き落とす=心を開かせる』『惚れさせる=好きにさせる』と言う明確な違いが有る。

私は一心理職の人間として”口説き落とす=心を開かせる”事は得意だが”惚れさせる=好きにさせる”方のスキルは皆無と言っても過言ではない^^;。40年間で付き合った彼女が今の愛方を含め二人しかいないというのがその唯一の証拠である(笑)
もし私が『惚れさせ上手』なら今頃ウハウハな生活を送っている筈(笑)されど愛方が居ない時の侘しさなんざ人様には見せられないw

『口説き落とす=心を開かせる』には『心の琴線を響かせる』事が一番である。
その為に大事な事は”具にその人の事を観察する”という事であり、これは専門職の私でなくても出来る事である。

事実、我が愛方は専門職の人ではないが私以上に私の事に関しては精通しており恐らくその精通振りは唯一無二であろう。
40年片時も離れなかった我が母ですら愛方の私通には適わないと言うのだから本物である^^;。

”愛を以て接し愛を以て見る事”それが”心の琴線”を響かせる唯一の方法であると私は思っている。
老若男女を問わず”全ての存在に愛を以て接し愛を以て具に見る”その事により”見えざる心”が見えてくると私は考えている。

”見よう”とする事、”解ろう”と努力する事、そして何より”愛で以て接しようとする事”。
それが心理職にとってもっとも求められるスキルであると私は考えている。

小手先のテクや知識や難しい単語を幾ら並べた所で所詮は”付け焼刃”。
本当に”口説き落とす=心を開かせる”事は不可能だと考える。

私はこれからも”口説き上手”でありたいと願う。

2011年2月22日火曜日

クレーマーの心理学~或いは認知欲求の心理学~

以前Twitterで知り合いの美容師さんよりクレーマー対策についてのご質問を頂戴したときの話。
美容室のご近所さんで美容室に留めているお客さんのアイドリングの音が煩いと何時もクレームを言ってくるのだとか。
最初は謝っていたがそれ以降も止む事はなく益々クレームはエスカレートする一方。
お客さんにも協力は勿論求めたが相手はお客ゆえ当然強くも出られない、クレーマーさんもお客なので同様であった。
其処で私は一計を案じ、店長へこう進言申し上げた。
『何でもいい、例えば”今日は何時にもまして肌艶が良い”とか”化粧ノリが良い”と褒めてあげましょう。当然相手は”ふん!そんなおべっか使っても何もでない わよ”と当然言います。そこで敢えて憤怒の表情を浮かべ怒りを露にし噛み付きなさい。”失礼な!私は正直な意見を述べたまで、何故わざわざお世辞を言わねば成らないのですか!幾らお客さんとは言えお世辞まで言って来店して欲しい等とは思いません!失礼します!と言って退出するように』と言いました。

言われた通りにしてみた所、相手のクレームがぴたりと止んだとの事。
これは一体如何なる事か?答は至極当然の話なのです。

クレーマーの心理の裏には”自分を認めて貰いたい”という認知欲求があるのです。
それ故クレームをだし”私は偉いのよ、私は凄いのよ”と自己暗示を掛けている訳です。

なればその”自己顕示欲求”をどういう形であれ満たしてあげれば”クレーム”をしようという考えは段々と薄れます。
勿論直ぐに効果が現れる訳では有りませんがこれを繰り返す事により明らかに”クレーム頻度”は落ちてきます。

大抵クレームをする人は”気に食わない人”と思うのが人の情けという物。
されど案外クレームをしてくる人も”自らの寂しさ”をクレームを付ける事で紛らわせている場合も有るのです。

それを逆手に取ればクレーマーから宣伝マン(ウーマン)になってくれる場合も有ります。
”昨日の敵は今日の友、昨日のクレーマーは今日の味方”となる訳です。

伝搬性精神疾患の心理学~或いは目に見えない恐怖の心理学~

 ”心の病には伝搬性が有る”とは持論だが此れに賛同を示す人は余り居られないだろう。
だが、事実お身内や配偶者に”心を病まれた方”が居るご家庭のお身内の中には”伝播している方”が少なからず居る。
そして尤も恐い事は”御自身がお心を患われている事を理解できない方”が割りと多いという事で有る。

例えば10数年前の話。

東北ご出身の女性で小さい頃から両親が行商に出ておられ家には余り居られないご家庭の話。
余り行商が上手く行かない時は娘さんを虐待して憂さ晴らしをしておられたらしい(俄には信じられない話)。

その後その娘さんはご結婚なされ何とか虐待からは逃げられたかのように見えたが実際は然に非ず。
今度は嫁ぎ先の両親と配偶者たる夫がお心を病まれており虐待は日常的に行われていたとの事。

勿論娘さんは離婚を申し出るが世間体を気にする嫁ぎ先は断固それをお認めにはならなかった。
彼女のご両親も又、自らが虐待を過去していた関係でそれを認める事は出来ず見てみぬフリをされておられた。

偶々知人の紹介でその方とお会いしたのだが一発で”お心を病まれている事”が解った。
勿論元々は”正常なお心の持ち主”であられた筈、それは”目”を見れば解ります。

されど幼少期に受けたDVのトラウマと結婚後に再度受けたDVとで完璧にお心を病まれてしまわれたのでしょう。
氏御自身は自分の両親と配偶者そしてその両親が如何に異常な人々であるかを訥々と語って居られました。

勿論それその物に嘘偽りは無く恐らく事実でありましょう(彼女の体の見える部分にある痣や切傷等から推察)。
されどそれ以上に彼女自身、感情の起伏が激しく、泣いたり笑ったりを1時間の間何度も繰り返しておられました。

その後一寸した事で意見の食い違いが有りすると今度は鬼の形相で此方を詰り始めます。
まるで自らが過去されたDVを相手にしているかのように…その形相たるや私自身身の危険を覚える程でした。

結局その方はその後我が元へは来なくなりどうなったかまでは知り得る事は出来ませんでした。
されどこのケース又は他の幾つかのケースを鑑みて”お心を病んでいる方の傍に永く居るとその病が伝染する”という事が良く解りました。

”悪い芽は早めに摘まねばどんどん芽が広がり最終的には摘み取れない状態になってしまう”。
私は精神疾患の現状をこのように考えています。

我が同胞も元々は”まともなお心の持ち主”であった筈です。されど余りにも回りに”悪い芽”が有り過ぎた為、
無意識的にそれらが脳へ摺込まれ”正常”から”異常”へと状態変化を起こしてしまったのです。

心理職としてこれ以上”悪い土壌”を増やさない為、そして”不幸な人”を増やさない為出来る事を精一杯やっていこうと思っています。

2011年2月20日日曜日

常態性依存(甘え)の心理学~或いはDVの心理学~

常態性依存と言うと一寸厳つい感じがしますが『甘え』と書くと随分解り易いと思います。
例えば”子供が親に甘える”、”配偶者が配偶者に甘える”、”老人が子供に甘える”等の事。
この事自体は問題ではありません、されどこれが”常態化”つまり”当たり前”となってしまう事が一番恐いのです。
誰しも最初は甘えられて悪い気はしないでしょう。
”必要とされている””求められている””私しかこの人を救えない”というある種の英雄気分になれるのですから。
されどそれも最初だけ、それが段々と嵩じてくると”苛立ち”を覚えるようになります。
”何故私だけが何時も甘えられなくては成らないのか?私だって誰かに甘えたい”となります。
されど上記に挙げた方々にとって”甘えられる人”は大抵の場合”親族”でありその”親族”も大抵の場合自分の事乃至は家庭の事で精一杯であり”甘えさせてあげる”余裕が無いのが実情でしょう。

そうなると今度は甘えてくる人に対するある種の”憎しみ”が生まれてきます。
”この人さえ甘えてこなければこんな事にはならなかった”と…。

そうなってくるとつい、口調が荒くなり態度が冷たくなり果ては暴力を奮う結果となったりと結果は惨憺たる物に…。
そうなる前にやはり”常態性依存(甘え)”の兆候が出てきた段階で早めに”芽”を摘んでおく必要が有ります。

”常態性依存(甘え)”が起きた時、一番の対処法は”感謝の気持ちを言葉で態度で示す事”であると私は考えます。
何も”お金を払え”とか”物を買え”とかではなく”有難う””感謝しています”の一言がとても重要であるという事です。

例えば結構アップアップで心に余裕が無い時でもこの一言で随分と人は救われた気持ちになる物です。

”等価交換”とは同価値交換の事、常態性依存型DVの一番の原因は”等価交換”が充分に行われていない点。
”自分の努力が他者に認められていない事への欲求不満”が原因の一つに挙げられています。

故に”心からの感謝の意”を示す事、口先だけの”形だけの感謝”ではなく”心の篭った感謝の意”を示す事。
それが”等価交換”となり、萎み掛けた気持ちを又、再度”さぁ!もう一踏ん張りしてみるか!”に変えて行くのです。

”最近いきなり妻が(夫)がキレ始めまして…先生、妻は(夫は)心を病んでしまったのでしょうか?”と来訪される方に私は何時もこの話をして差し上げています。そして大抵の場合この”心の処方箋”で多くの方が現場復帰しています。

”心からの感謝”してますか?”言葉”で”態度”でちゃんと”愛”を伝えていますか?
それが”心の潤滑油”となる事、忘れないで下さいね^^V