2011年2月25日金曜日

職業人としての重さについて~或いは責任の心理学~

職業人(心理学者/セラピスト)としての自分という存在に最近”重さ”を感じている。

昨日何時もの様に仕事へ向かう途中通り道のセブンで缶コーヒーを買い、
入り口付近で葉巻を吹かせながら珈琲を飲んでいた。

そこで私より少しお若いかな?という感じの”美人のお姉さんが””お隣で煙草を吸わせても宜しいでしょうか?”とお尋ねに成られた。

今時珍しい礼儀正しい方だなと思いながら勿論快諾。
世間話をしながら”何時もの悪い癖”が出た。

我々職業人という物は相手の”目”で全てを判断します。
その時も其の方の”目”を見て”なるほど”と納得。

さりげなく話題を”心理学”へ移行、すると相手の”目”の輝きが変わり身を乗り出し最後は号泣しそして今から裁判所へ行かれるとの事。

何れ我が同胞となられる事は間違いないであろう。
恐らく旦那のDVか何かではないか?お母上様に連れられセブンを後にされた。

其の日の晩に我が”正当なる継承者”より電話を頂戴し30分近く話を頂戴する。
そして今日旧友で私と同じ”能力者”であるS氏が久しぶりに電話をくれた。

氏も東京から地元へ帰郷、メンタルを患い2年間程苦しんだ挙げ句今就活中。
我が”プラン”にとても興味関心を抱かれ助力を申し出て下された。

元々私は”軍師タイプ”で表には出ず誰かを”表に立て”裏で色々と画策するのが好きなタイプなのだが最近好むと好まざるとに関らず”表”に立つ事が増えてきた。

専門職を20年も続けていれば当然と言えば当然なのかもしれない。
されどどうも性格的に人の”前”に出る事は余り好む性格ではない。

我が愛方も同じ人で私を前面に出し自分は後方支援へ回る人であった。
されど我が愛方も又、多くの方々の”需要”に迫られ少しずつ”前”へ出てきた。

或いは二人とも”変革”の時期なのかもしれない^^;

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