2011年2月11日金曜日

『理解』と『共感』の心理学~或いは心のあり方の心理学~

『理解』とは『理を解する』と書く。

では『理』とは何だろう?『理学』?違う。それは療法士の世界、『理力』?スターウォーズの世界w勿論違います。
『理』とは『ことわり』と読みます。では『ことわり』とは何か?『ことわり』とは『その物の有り方、方向性』という意味です。

つまり『理解』とは『その人の物の考え方そして考え方の方向性を解する事』となります。
こう考えてくると『私は貴方を理解しています』なんて軽々しく口に出来ない事が『理解』出来ると思います。

翻り『共感』とは何でしょう、英語で書くと『Sympathy』これは『同調』とか比ゆ的に『同情』という解釈でもあります。
つまり『相手と共に心を重ね相手の感情をダイレクトに共に感じる事』これが『共感』であります。

セラピストに求められる物、それはこの『理解』と『共感』に有ります。
何故か?我が門を潜る方の多くが自らの発する言葉を『理解』されず又『共感』を得られない方々だからです。

良く『貴方の言葉を理解できない。それは貴方の表現の仕方が悪いからだ』と相手を責める人が居る。
勿論そういうケースも有りますし否定はしませんがそういう風に言っている方の何割かは間違いなく『理解を示そう』と
しておられない方々も決して少なくない。はなから『コイツの話はおかしいから理解できない』と決めて掛かっている。

『理 解できない話し方』をする人もその人の話し方一つ一つを丁寧に聞きこれが間違っている、それは○○だからだという事をちゃんと教えてあげる。何度か同じ間 違いをしてもその都度それを面倒くさがらずに直してあげる。この作業をする事により多くは『理解できる話し方』が出来る人になります。

勿論根気と努力と寛容さが求められますし誰でもできる事ではないかもしれない。
されど『本当にその人を愛し必要とする』ならば話は別、それが出来て『当たり前』です。

寧ろそれが出来ないという時点でその方に対する『愛』が足りないと私は判断します。

私と愛方が出会ったのは私32歳、愛方26歳の時。最初は『話が理解できない人』でした。
主語が抜ける、述語が抜ける、説明が長い、まどろっこしい等等そりゃあ大変でした^^;。

されど私は8年間、辛抱強く愛方の話を聞き一つ一つ訂正をしていきながら『理解』をしようと勤めました。
その結果今では私の方が時に『主語』や『述語』が抜け落ち愛方から注意を受ける始末に^^;;

今は『理解できない人』は『説明上手な人』となりました。
愛方は言います『殿(私の呼称)みたいに辛抱強く聞いてくれた人は他には居なかった』と。
そしてそれは同胞や生徒方々も異口同音に同じ事を申されます。

されど私は愛方や生徒、同胞方々にこう申し上げています。
『だって愛がある物、愛が有ればちゃんと相手の話を聞こうとするし理解し様と努める筈。其れができないのは愛が無い証拠。そういう人間に言っても無駄だし言う価値も無い』と。

愛方を初め多くの方々は笑いますがその後必ず笑顔となります。

心理職に求められる物、それは技術でも知識でもなく『理解』と『共感』である。
私はそう信じ20年以上このお仕事を続けて参りましたしこれからも続けていく所存でございます。

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