2011年2月1日火曜日

心理職の意地と誇り~或いはプロとしての資質について~

今日は本来対面セッション1件、メールセラピー2件、電話セラピー3件の予定であった。
だがこの内電話セラピー三件に関しては反故にされた(一件は連絡済)。

私は自分に厳しく人にもそれなりに厳しい姿勢で接してきた、それは”心理職としての意地と誇り”があるからである。
ご存知の通り、”心の病”は薬では治らない、一時的に症状を緩和乃至は軽減できたとしても完治には至らない。

”心を治すには心”私はこれを信条とし20年以上お仕事をさせて貰っている。
幸いというべきか不幸というべきかこの冬の異常気象は人の心も蝕み多くの同胞からセラピー依頼が舞い込んできた。
頼まれれば基本、嫌とはいえない性格の人、必要とされれば何処へでも参るしどんな事も厭わない。

だが、それは”同胞も又本気”である事が絶対条件である。
セラピストである私は本気されど同胞は生半可では片手落ちという物。

勿論そういう風に導くのも我が仕事であり私なりに精一杯お勤めをさせて頂いている。
だが幾ら此方が”本気”で接しても”本気”ならない人が居る、生来の物なのか病が成せる業なのか…。

私とて人間であり心も感情も持ち合わせている、我慢にも限界が有るし時間にも限りという物が有る。
幾ら此方が”本気”を見せても一向に”本気”を見せぬ同胞は申し訳ないが切る方向にさせて貰っている。

それで”本気”を見せてくれればまだマシな方、それでも尚、”本気”を見せない所か中には”悪態”をつく不心得者も…
自らの”御心”を病んだのをまるで私のせいだといわんばかりで噛み付いてこられては流石の私も我慢ならん。

中には大激論の末、袂を別つ者も居る、それはそれで断腸の思いなれどやむをえない事である。

閑話休題

日本に於ける心理の理解という物はまだまだ諸外国と較べるとかなり認知度は低いと言わねばならない。
確かに多くのお心を病まれておいでの方は家から出られず経済的困窮状態にある事は理解を示す。

経済的に苦しい方には分割や場合によって完全フリーも居る、中には私が自腹切って対面セッションに行く場合も。
それはそれで結構大変でありそれが毎回となると流石の私も経済的にも肉体的にも限界が来る。

そうなれば他の同胞へも影響が出てそれでは本末転倒故そういう事が長く続く方も又断腸の思いなれど切っている。
中には最初から全く”払う意思”の無い者も居る、最初から”お金が無い”事を言明しその上で助力を乞う不心得者も…

残念ながら私は”神”や”仏”ではない、一介の人間である。神や仏なら慈悲の心で接してくれるだろうが私は無理だ。
私とてこのスキルを得る為に割いた時間や労力やお金は相当な物、それらの対価を全く払う意思の無い者に我が業を行うつもりは無い。

閑話休題

何だか今日は愚痴ばかり書いている気がする(笑)見られる方には大変申し訳ないと心からお詫びを申し上げる。
只、”心理職”という職業がどういう職業でありどういう大変さがあるのか?その一端を少しでも御理解戴きたかった。

今日三件反故(一件は連絡有り)をした方はもう私は二度とその方を診ることは無いだろう。
その時その方々が自らの愚行を恥じるのか?それとも噛み付いてくるのか?それでその人の後の人生が決まる。

私はそう考えている。

私が常、同胞に言う言葉が有る。”心を患っている事を免罪符にするな”。

多くの方々は自らの病と懸命に戦っておられるが中には”私は心を病んでいるのだから”と全てに依頼心を持つ者も。
それは”単なる甘え”であり社会人として許されざる行為である、私はその”甘え”を決して許しはしない。

それを許してしまえば”社会復帰”は叶わない、敢えて心を鬼としそこを乗り越えさせるのも又心理職の仕事。
私はそう考えている。

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