常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2015年8月21日金曜日
常態行動心理学的自己愛幸福論について
本日のテーマは『常態行動心理学的自己愛幸福論』について。
何処ぞのダイエット食品のコマーシャルではないが『痩せたければ食べなさい』ではなく『人を幸福にしたければ貴方自身が幸福になりなさい』と私は同胞に説いている。
我が同胞は皆、とても深い他者愛を持っている。
母性愛に近いと言っても過言ではない。
然れど昔貧困に喘ぐ赤子が乳の出ない乳首を生えたばかりの歯で噛みきりその血を吸って喉の乾きを潤したとする話もある。
この話を貴方はどう捉えるだろうか?
貧困に喘ぐ村では人減らしが普通であった。
つまり子殺し親殺しである。
現代なら間違いなく殺人罪で入牢される。
生きる為には子でも親でも殺して生きる。
其が人間の深い業と言う物である。
最終的に残るのは自己愛だけである。
ならばその自己愛を高めたらどうなるか?
先の貧困村を例にとってみよう。
自己愛を高めた女性が城主に気に入られる。
お輿入れとなれば当然身内は潤う。
その潤いが村全体を潤す糧となる。
逆にしてみたら更に解りやすい。
自己愛を高めず他者愛を高める。
貧困はなくならず死亡者が増える。
これが自己愛が他者愛となる理由である。
本当に人を幸せにしたいならば先ずは己自身が幸せとなる事である。
そして汎ゆる余裕を得て其を御裾分けすればよい。
大事な事は御裾分けであり全てではない。
全てを渡すと自分が不幸になる。
そうなると又、不幸の連鎖が起こる。
人に尽くす事は大事である。
然れど尽くす事の出来る自分である事は更に大事。
尽くす事の出来ぬ自分が人に尽くすと共倒れとなり善意は時に悪意と取られかねない。
そうなると本末転倒になる。
真に人を幸福にしたいとおもうならば先ずは己自身が幸せとなる事である。
今日も元気に頑張りましょう♪
本日は日本語で。
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