常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2013年2月15日金曜日
2013年2月13日水曜日
バレンタイン心理学〜貴方が私を選んだ理由〜
明日はバレンタイン。
女性が男性にチョコに思いを載せて渡す日。
大事なのはチョコの値段やプレゼントに非ず。
渡す相手への”思い”である。
どんな高級チョコでもどんなブランド品でも嫌いな人や赤の他人からは貰わぬ筈。
その他大勢の超高級チョコよりたった一人の為のチロルチョコ1個を私は選びたい。
二十代の頃、地元百貨店のチョコ売り場でバレンタイン時期辱めを受けた。
唯、チョコを眺めていただけなのに心ない老齢の女性店員に侮蔑の言葉を受けた。
”モテナイ男が自分の為にチョコを買っても恥ずかしいことではない”と。
一晩中泣いた後”本チョコしか貰わない”と決めて男を磨く決意をした。
あれから二十年以上が経過、今年も又、”世界で立った一つのチョコ”が届く。
私の為に一ヶ月以上前から全てのチョコ売り場のチョコをメモりその年の最高の一枚を選んでくれる”唯一無二のチョコ”が。
10年間その思いを私は受け取り続けている。
貴女の大切な人に貴女の大切な思いを届けよう。
その思いは必ず届きます。
『好敵手の心理学〜或いは孫子の兵法〜の心理学』
我が元に来られる方はその多くが同僚や或いは上司その他色々な人からお心を傷つけられその結果御心を病まれ我が門を叩く人が多い。
その経緯も様々だがその中に”執拗な迄のライバル心”を持ちすぎて御心を病まれた方も昨今その数を増してきている。
先日も目をギラギラとギラつかせた同胞が来訪、『アイツにだけは負けたくないんです、アイツに勝つ方法をどうか教えて下さい』と頭を下げにきた方が居た。
その人に私はこう申し上げた。
『貴方は孫子の兵法と言うのをご存知ですか?』
『孫子の兵法?』
生憎その方は『孫子の兵法』をご存知ではないようでした。
故に簡単に『孫子の兵法』についてご説明を申し上げました。
その中で『敵を知り己を知れば百戦危うからず』と言う言葉を差し上げました。
”ライバルに勝ちたい”と言う気持ちは人間が生物である限り必ず持つ感情です。
されどその感情の裏にあるもう一つの真実に人は中々目を向けていない。
それは”何故ライバルに勝ちたいのか?”と言う事。
”勝ちたい”の裏にある心理は”相手に負けている自分”という劣等意識です。
この劣等意識があればこそ人はライバルを見つけ其処を越えようと努力をします。
されどこの”劣等意識”こそが裏を返せば”ライバルを超える事ができない”一番の理由。
先の話に戻ると”敵を知り己を知れば”百戦は危うからずです。
この場合、重要なのは”敵を知る”事ではなく寧ろ”己を知る事”の方。
何故か?
相手は自分の目で”見る事”が叶います、当然”見る事”が叶うので弱点も見つけやすい。
されど”己”は”自分の目”で”見る事”が叶わない存在です。故に弱点も見つけにくい。
弱点を見つけにくいということは裏を返せば其処を突かれたらお終いと言う事です。
人はライバルを蹴落とす事に目を向けても己に打ち勝とうとは中々しない。
されど”己を知り己に打ち勝つ”事こそ本当に”相手に打ち勝つ事”なのです。
何故ならば”相手も自分も同じ人間”だからです。
”己を知る”事は”相手を知る”事であり”己に勝つ”事は”相手に勝つ”事です。
本当に”相手を知り相手に勝ちたい”と欲するならば先ず”自分を知り自分に打ち勝つ”事。
それを同胞には常説いています。
そして先ず”己を知り己に打ち勝つ”事を教えているとある時面白い場面に気づきます。
あれだけ闘争心やライバル心でメラメラ燃えていていた目が急に穏やかな目になります。
それは何故か?
己を知り己に打ち勝つと人は”人と争う事の無意味さ”を知るのです。
”戦い”とは”相手の力量が解らない為に起こる愚行”です。
されど相手の戦力が解れば”勝てる相手”か”勝てない相手”かが解ります。
”勝てる相手”なら態々勝負を挑む必要もありません。
”勝てない相手”なら勝負を挑む事すら愚かな事です。
もっともっと自分を高めて”相手に勝てる自分”になる方がより堅実であり実り多いです。
もっともっと自分を高めて相手の”闘争意欲を無くす自分”になる方がより賢明です。
”勝つ事”とは”相手を打ち負かす事”だけではありません。
”自らの強さを見せる事”も又、”勝つ事”の大事な要素の一つです。
”戦わずして勝つ”私にはそれが一番恰好良いように思えます。
先ずは己を深く知る事、相手に勝つ為に何が足りていて何が足りないかを知る事。
その上でどうすれば勝てるかを精査しそれを得れる自分となるよう自分磨きをする事。
それが叶えばもう”戦う相手”ではなくなり”無益な争い”は避ける事が出来ます。
そういう自分を他者が見ると”あの人は本当に強い人だ”と思うようになります。
そうなればライバルよりも助力者の方が増えて行きます。
”権力”とは”強さを示す”事ではありません。
本当の”権力”とは”己の偽らざる姿”を見せられる事です。
そういう人に人は惹かれそしてついていきます。
そういう自分になれるようどうすれば良いか?それをお教えして来た二十年です。
されどそれを教えている張本人はまだまだ”自分の本当の強さ”は知らぬままですがw
ということで今日も最後のフォンセッションを終えそろそろ休ませて戴きます。
皆様方も良き夢をm(_ _)m
2013年2月12日火曜日
一般的解釈の次元性と範囲性及び人間力の大切さについて
”私は違うんだけど一般的にさ〜”と言う出だしで話を切り出す人の場合その殆どが話者も”一般的”な範疇に含まれている場合が多い。
何故なら本当に”一般的な話”ならば人は態々”一般的には”という言葉を使わない。
まして”私は違うんだけど”という念押しは絶対にしない。
”一般的には”とか”私は違うんだけど”を言う時点でその人もその範疇の人である事を話者自体が潜在的に認めている事を示している。
話者自体がそれを認めずそれを認められていないと認識していれば当然前置きは不要。
或いは自分は認めているけれど聞き手はそれを認めていないかもしれないからという逃げ口上を使う人も居るがそれも無駄な事。
全ての人が”一般的解釈”を持っているとは限らない。
何故なら”一般的解釈”には時限性と範囲性があるからである。
或る限られた時間内と或る限られた地域においてのみ”一般的解釈”は通用する物であり”一般的解釈”に普遍性は存在しない。
戦争時相手国の兵士を殺める事は”一般的解釈”が成り立っていた。
されど現代においてそれは”一般的解釈”を得られる物ではない。
医学も同じ。
江戸時代等昔は”加持祈祷”も立派な”治癒行為”であった。
今でも一部の地域では”加持祈祷”を治療目的で使う集落も存在している。
されど現代における”一般的解釈”において加持祈祷は”治癒行為”として認められていない。
このように人間が発する言葉と言うのは必ずその人の”心の状態”を示している。
時限性と範囲性を持っているのは何も”一般的解釈”だけではない。
人の持つ全ての物(地位や名誉や財産や美貌等)には時限性と範囲性がある。
紫式部の時代、女性は長い黒髪が美人とされていた。
髪が長ければ長い程黒ければ黒いほど美人だと言われた。
されど現代においては長くても黒くても”美人”だと認識をする人は全体的に多くない。
バブル時代”海苔弁眉毛”が美人とされていたが最近は”細眉げ”が美人だとされている。
このように人間が行う全ての事には”時限性と範囲性”が存在している。
されど”時限性と範囲性”が唯一及ばない物がある。
それが”人柄”という物である。
”人柄”だけは凡ゆる次元性と範囲性を超越する物である。
人間の魅力は見た目や社会的地位や財力、或いは腕力で決まる物ではない。
真の人間的魅力とは”人柄”であると私は考えている。
その意味において現代人に一番欠けていると思うのは”人間力”であると思う。
どんな場面においても”人間力”に勝る物はない。
就職試験などでも学歴や職歴を問われるが結局最終的には”人柄”を見られる場合が多い。
そして”学歴や職歴”で選んだ人材は大抵使い物にはなっていない。
やはりその人の”人間力”は体から滲み出ておりそれが仕事をする糧となっている。
我々はその”人間力”を鍛える事で様々企業への同胞の就職斡旋も行い果たしている。
これからも一心理職として”人間力”を鍛えられる人間でありたいと願う。
それ以上に自分自身の”人間力”も落とさず養って行ける自分であるよう精進をしたい。
と言う事で今日も最後のフォンせションを終えそろそろ休ませて戴きます。
皆様方も良き夢をm(_ _)m
2013年2月9日土曜日
『衰えの心理学〜或いは経年の心理学』
去年の紅白の初代ガールズバンド解散ライブに驚愕された方も少なくないであろう。
それ以外にも去年一昨年と昭和、平成を騒がせたバンドの復活ブームであった。
その波は今年も来ているらしく今年も復活バンドブームは暫く続きそうな勢い。
少し前は60年代や70年代が懐かしがられたが最近は80年代や90年代が懐かしがられる世代となり我々も段々団塊世代へとなりつつあり寂しい感じもする。
去年の紅白を見られた方の多くが”経年による声の衰え”を多く感じられたそうだ。
されど本当に”経年による声の衰え”が原因なのだろうか?
同じ日”年忘れ日本の歌”と称して昭和を代表する大御所様方々が別番組で多数出演なされていた。
紅白出場ガールズバンドよりも10年20年以上年長者の方々ばかりであったがその声量は豊かで声に艶も有り”経年による衰え”を余り感じる事はなかった。
中には御年60を超えて足が遥か高く頭上迄上がる女性歌手もいて観客の度肝を抜いていた。勿論その方の声量も豊かで全盛期の頃の声量と比べても殆ど遜色は無いであろう。
もしも”経年による衰え”が原因ならば先の初代ガールズバンドの方が声量があって然るべしであるはずなのだが?これは一体どう言う事であろうか?
実は此処に常態行動心理学の真髄が眠っている。
初代ガールズバンドと往年の歌手方々の違いは”常態行動の違い”と言い換える事ができる。初代ガールズバンドの方は”復活バンド”でありそれまでの活動は個々で行われその活動も継続的な物では無かった。
翻り”昭和の大御所歌手方々”は普段から地方を回り常にリサイタルやコンサート会場或いはディナーショー等に参加し常、歌手活動を行っている方々で。
人間の細胞の衰えは実は経年による物よりも環境による物の方が変化は大きい。
つまり初代ガールズバンドの方が環境による変化が大きかった為に衰えが激しかったというのが実はこの謎の正体である。
大御所様方々はお呼びがあれば何処へでも参上しその美声を美姿を観客に披露された。
翻り初代ガールズバンドは観客の前へ出る回数少なく練習回数も少なかった。
人間の常態行動は”普段と同じ生活”をする事でアンチエイジングが叶うとある。
大御所様方々は全盛期の頃と変わらぬ忙しさで日本国中を飛び回りその美声を震わせた
翻り初代ガールズバンドは全盛期の頃の忙しさはなくなり個々の活動に勤しんだ。
人に常、見られるお仕事の人は”見られる事”が常態化されている。
つまり幾らスタジオに篭って練習をしても”舞台で歌う事”に意義が有るのである。
舞台女優が舞台で死ぬ事を本望とするのは其処が自分が居るべき場所であるから。
人間は本来自分が居るべき場所にいる限り経験の衰えは抑える事ができるのである。
それはその仕事に邁進している間は細胞活性が常行われているからである。
細胞は死滅と再生を繰り返しておりある一定の年齢を過ぎると死滅率が上がるとある。
されどそれはメンタルアップによりその死滅率を抑える事が可能である事は我が研究により明らかとされている。
衰えとは自らがそれを認め意識をした時から始まる物である。
裏を返せば自らが衰えを意識せずそれを拒否し続ければ衰えを感じる事はない。
本当に若々しい人生を送りたいのであるならば若い頃と変わらぬ生活を送る事。
それが究極のアンチエイジング法だと私は信じて疑わない。
2013年2月4日月曜日
心理学的プロスペクト理論の私的理解と感情転移についての一考察
プロスペクト理論(プロスペクトりろん、英: Prospect theory)は、不確実性下における意思決定モデルの一つ。選択の結果得られる利益もしくは被る損益および、それら確率が既知の状況下において、人がどのような選択をするか記述するモデルである(Wikipediaより)
解りやすく言えば人が何かを選択する度に利益或いは損益を被る可能性が有りその確率により人がどういう選択をするか?という事を図る一つのモデルであるという事。
我が『選択心理学』にも同様の考え方が有ります。
されどこの『選択』と言う行為は自己表現の一つであり自らの経験から導き出される答えというだけでなくその選択により自分が他者にどう見られるか?という観点から過去の経験から得られる答えとは違う答えを敢えて導き出す事もありそれは人間が爬虫類等のような変温動物とは違い恒温動物である事に起因。
つまり変化に弱いという性質を利用した心理効果を期待しての選択というのも有ります。
学説的解釈と経験的解釈とでは解釈の違いに随分と開きがあります。
学説的解釈は前者を優先し経験的解釈は後者を優先する傾向に有ります。
例えば芸能人がチャリティー等で寄付金を集めたり寄付金自体を自腹を切る行為はそれ自体は損益を被る行為ですがそれにより好感度を得てそれが仕事獲得に繋がればそれは結果増益となります。
所謂『損して得とれ』という奴。
或いは敢えて悪人を演じ友達を善人にし友達とその友達が好きな女性をくっつける場面。
青春物ドラマでありがちな設定ですがこういう自己犠牲的行動も行動自体は損益ですが結果友情は深まり或いはその友情自体に女性が好意を持って彼氏が入れ替わるという悲喜劇も現実では結構有ります。
昨日述べた『感情転移』も実はその範疇。
私は同胞に言います。
『今日私の事を嫌いになり或いは私を恨んでも構わない。私にとって嫌われる事、恨まれる事は職業的に日常茶飯事ですから。そんな事は私にとっては瑣末な事です。されど私が関わった以上プロとして貴方の御心の闇は絶対に祓わせて戴きます。それが私の存在意義でありプロとしての誇りですから』。
実際同胞に私を恨ませる事でやる気を起こさせたケースもあります。
最初は腹立ち紛れに頑張り達成感を味わいほらみたことか!と鼻高々です。
されどそれが私が敢えて行った物である事を後々同胞は何らかの形で知ります。
その時私の真意を始めて同胞は汲み取ってくれるのです。
『感情転移療法』と言う私の1000を超える療法の一つです。
これからも私の中の患者第一主義は変わる事は有りません。
その中で恨まれようが嫌われようがそんな事はどうでもいい。
我々プロの仕事はお心の闇を祓う事、その一念のみ。
心理職は案外因果な商売なんですよw
2013年2月3日日曜日
自己感情転移とその対策法について
感情転移とは施術者に同胞が感情を移してしまう心理学用語である。
感情転移には陽性転移と陰性転移がある。
陽性転移は好意的な物で陰性転移は悪意的な物である。
何れも過去の様々な経験が原因で起こる物でありそれにより陽性にも陰性にもなる。
更に陽性から突然陰性に変わる事もあればその逆もある。
所謂『可愛さ余って憎さ百倍』という奴。
思い込みが激しい性格の人や直情型の人には感情転移の移動が激しい人もいる。
以上は飽くまでも心理職とクランケの関係を示した物である。
だがそれを繰り返す事により『自己感情転移』を起こす場合が有る。
今日のメインはこちら。
例えばずっと鬱病の同胞と長い時間場を共有したとする。
するとそこに『共通の場』が存在するようになる。
所謂『場の共有性』と呼ばれる物である。
そしてこの『場の共有性』は変動性で占有率が上がったり下がったりする。
同胞と施術者の関係が深くなればなるほど長くなれば長くなるほど占有率は上がる。
すると稀に『自己感情転移』を起こす場合がある、平たく言えば『ミイラ取りがミイラ』
鬱病を長く患っている同胞と長い時間共にする事により『鬱病』を発症する物である。
まさか私がと自らの病の発症を疑いそれを認めない為に発症に気づく迄に時間が掛かる。時間が掛かれば当然それを治療する時間も長くなる。
実はこういう施術者を施術する事も私の場合少なくない^^;
やはりこの業界も広いようで狭く秘匿性があるようで同業者情報は結構流れやすい。
故に公的医療機関等はそういう意味で秘匿性が薄く個人でやっている所へ集中する。
私の場合も半々とまでも行かないが四分六分位で同業者がクランケとしてやってくる。
そういう場合は先ず場の共有率を上げて『感情転移』を自らが行う。
その理由は同胞の中の悩みの大きさを知る事とそれを我が身に移す事である。
相手は自らの荷物の大きさを理解してもらえ更に肩代りして貰えるので楽になる。
その際に大事な事は『メンタルブロック』を必ず掛けておくということと相手にプロ意識を失わせない事である。
これにより過剰な感情転移を防ぎ『ミイラ取りがミイラ』防止に繋がる。
同業者の場合持っている物がかなり大きいので絶対必要である。
そうする事で同業者のクライアントは荷卸しとメンタルブロックの大切さを学ぶ。
そして次回からはそれをご自身でやって頂けるよう御指導を差し上げている。
この仕事のクライアントは案外素人だけでなく同業者同士も少なくは無い。
『同類哀哀れむ』ではないけれど同業者で無ければ解らない事も結構ある物である。
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