常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2013年2月13日水曜日
『好敵手の心理学〜或いは孫子の兵法〜の心理学』
我が元に来られる方はその多くが同僚や或いは上司その他色々な人からお心を傷つけられその結果御心を病まれ我が門を叩く人が多い。
その経緯も様々だがその中に”執拗な迄のライバル心”を持ちすぎて御心を病まれた方も昨今その数を増してきている。
先日も目をギラギラとギラつかせた同胞が来訪、『アイツにだけは負けたくないんです、アイツに勝つ方法をどうか教えて下さい』と頭を下げにきた方が居た。
その人に私はこう申し上げた。
『貴方は孫子の兵法と言うのをご存知ですか?』
『孫子の兵法?』
生憎その方は『孫子の兵法』をご存知ではないようでした。
故に簡単に『孫子の兵法』についてご説明を申し上げました。
その中で『敵を知り己を知れば百戦危うからず』と言う言葉を差し上げました。
”ライバルに勝ちたい”と言う気持ちは人間が生物である限り必ず持つ感情です。
されどその感情の裏にあるもう一つの真実に人は中々目を向けていない。
それは”何故ライバルに勝ちたいのか?”と言う事。
”勝ちたい”の裏にある心理は”相手に負けている自分”という劣等意識です。
この劣等意識があればこそ人はライバルを見つけ其処を越えようと努力をします。
されどこの”劣等意識”こそが裏を返せば”ライバルを超える事ができない”一番の理由。
先の話に戻ると”敵を知り己を知れば”百戦は危うからずです。
この場合、重要なのは”敵を知る”事ではなく寧ろ”己を知る事”の方。
何故か?
相手は自分の目で”見る事”が叶います、当然”見る事”が叶うので弱点も見つけやすい。
されど”己”は”自分の目”で”見る事”が叶わない存在です。故に弱点も見つけにくい。
弱点を見つけにくいということは裏を返せば其処を突かれたらお終いと言う事です。
人はライバルを蹴落とす事に目を向けても己に打ち勝とうとは中々しない。
されど”己を知り己に打ち勝つ”事こそ本当に”相手に打ち勝つ事”なのです。
何故ならば”相手も自分も同じ人間”だからです。
”己を知る”事は”相手を知る”事であり”己に勝つ”事は”相手に勝つ”事です。
本当に”相手を知り相手に勝ちたい”と欲するならば先ず”自分を知り自分に打ち勝つ”事。
それを同胞には常説いています。
そして先ず”己を知り己に打ち勝つ”事を教えているとある時面白い場面に気づきます。
あれだけ闘争心やライバル心でメラメラ燃えていていた目が急に穏やかな目になります。
それは何故か?
己を知り己に打ち勝つと人は”人と争う事の無意味さ”を知るのです。
”戦い”とは”相手の力量が解らない為に起こる愚行”です。
されど相手の戦力が解れば”勝てる相手”か”勝てない相手”かが解ります。
”勝てる相手”なら態々勝負を挑む必要もありません。
”勝てない相手”なら勝負を挑む事すら愚かな事です。
もっともっと自分を高めて”相手に勝てる自分”になる方がより堅実であり実り多いです。
もっともっと自分を高めて相手の”闘争意欲を無くす自分”になる方がより賢明です。
”勝つ事”とは”相手を打ち負かす事”だけではありません。
”自らの強さを見せる事”も又、”勝つ事”の大事な要素の一つです。
”戦わずして勝つ”私にはそれが一番恰好良いように思えます。
先ずは己を深く知る事、相手に勝つ為に何が足りていて何が足りないかを知る事。
その上でどうすれば勝てるかを精査しそれを得れる自分となるよう自分磨きをする事。
それが叶えばもう”戦う相手”ではなくなり”無益な争い”は避ける事が出来ます。
そういう自分を他者が見ると”あの人は本当に強い人だ”と思うようになります。
そうなればライバルよりも助力者の方が増えて行きます。
”権力”とは”強さを示す”事ではありません。
本当の”権力”とは”己の偽らざる姿”を見せられる事です。
そういう人に人は惹かれそしてついていきます。
そういう自分になれるようどうすれば良いか?それをお教えして来た二十年です。
されどそれを教えている張本人はまだまだ”自分の本当の強さ”は知らぬままですがw
ということで今日も最後のフォンセッションを終えそろそろ休ませて戴きます。
皆様方も良き夢をm(_ _)m
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