常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2013年2月12日火曜日
一般的解釈の次元性と範囲性及び人間力の大切さについて
”私は違うんだけど一般的にさ〜”と言う出だしで話を切り出す人の場合その殆どが話者も”一般的”な範疇に含まれている場合が多い。
何故なら本当に”一般的な話”ならば人は態々”一般的には”という言葉を使わない。
まして”私は違うんだけど”という念押しは絶対にしない。
”一般的には”とか”私は違うんだけど”を言う時点でその人もその範疇の人である事を話者自体が潜在的に認めている事を示している。
話者自体がそれを認めずそれを認められていないと認識していれば当然前置きは不要。
或いは自分は認めているけれど聞き手はそれを認めていないかもしれないからという逃げ口上を使う人も居るがそれも無駄な事。
全ての人が”一般的解釈”を持っているとは限らない。
何故なら”一般的解釈”には時限性と範囲性があるからである。
或る限られた時間内と或る限られた地域においてのみ”一般的解釈”は通用する物であり”一般的解釈”に普遍性は存在しない。
戦争時相手国の兵士を殺める事は”一般的解釈”が成り立っていた。
されど現代においてそれは”一般的解釈”を得られる物ではない。
医学も同じ。
江戸時代等昔は”加持祈祷”も立派な”治癒行為”であった。
今でも一部の地域では”加持祈祷”を治療目的で使う集落も存在している。
されど現代における”一般的解釈”において加持祈祷は”治癒行為”として認められていない。
このように人間が発する言葉と言うのは必ずその人の”心の状態”を示している。
時限性と範囲性を持っているのは何も”一般的解釈”だけではない。
人の持つ全ての物(地位や名誉や財産や美貌等)には時限性と範囲性がある。
紫式部の時代、女性は長い黒髪が美人とされていた。
髪が長ければ長い程黒ければ黒いほど美人だと言われた。
されど現代においては長くても黒くても”美人”だと認識をする人は全体的に多くない。
バブル時代”海苔弁眉毛”が美人とされていたが最近は”細眉げ”が美人だとされている。
このように人間が行う全ての事には”時限性と範囲性”が存在している。
されど”時限性と範囲性”が唯一及ばない物がある。
それが”人柄”という物である。
”人柄”だけは凡ゆる次元性と範囲性を超越する物である。
人間の魅力は見た目や社会的地位や財力、或いは腕力で決まる物ではない。
真の人間的魅力とは”人柄”であると私は考えている。
その意味において現代人に一番欠けていると思うのは”人間力”であると思う。
どんな場面においても”人間力”に勝る物はない。
就職試験などでも学歴や職歴を問われるが結局最終的には”人柄”を見られる場合が多い。
そして”学歴や職歴”で選んだ人材は大抵使い物にはなっていない。
やはりその人の”人間力”は体から滲み出ておりそれが仕事をする糧となっている。
我々はその”人間力”を鍛える事で様々企業への同胞の就職斡旋も行い果たしている。
これからも一心理職として”人間力”を鍛えられる人間でありたいと願う。
それ以上に自分自身の”人間力”も落とさず養って行ける自分であるよう精進をしたい。
と言う事で今日も最後のフォンせションを終えそろそろ休ませて戴きます。
皆様方も良き夢をm(_ _)m
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