2013年5月9日木曜日

常態行動心理学的聞く事の大切さについて


我々の仕事は人の話を聞く事が商売の仕事です。

されどその聞き方というのはとても重要です。

以前もお話しましたが嘗ての同胞が或る精神科を訪ねた時の事。

同胞の顔を一度も見ずパソコンに向かい同胞の話をデータ入力し途中同胞の話を遮り他の人のデータを引っ張り出してきて診断結果を出し処方箋を書いたとの事。

それに同胞は不信感を抱き再度我が門を叩いたという訳です。

氏は大学時代の同級生(年齢は六歳下ですがw)で在学中より面倒を見ていました。

私は一発で季節性疲労と慣れない都会暮らしでの疲労が原因だと悟りました。

されど同胞の話を辛抱強く聞き時に頷き時に進言し会話のキャッチボールを楽しみました。

私は一切の処方をしませんでしたが同胞はとても元気になり職場復帰を果たしました。

この仕事において聞く事はとても大事ですがもっと大事なのは聞いている事を示す事。

唯、黙って聞いているだけでは意味がありません。

先に述べたように頷きながら時に同胞の意見を反芻したり意見を被せたりしなくてはいけません。

聞くだけなら誰でも出来ます、聞きながら如何に同胞を導くか?それを常、頭の中で考えながら話の次の展開を考えねばなりません。

熟練された腕と経験が物を言う世界です。

これとは別に親子関係や恋人関係は黙っていても通じ合う部分が有ります。

これこそが”場の共通性”及び親子でいう所の”生来型遺伝子”と”学習型遺伝子”による遺伝子継承です。

同じ場に長く居ると場の共有率が上がり何を考えているかが解り易くなります。

相手の思考を読むのは言葉だけとは限りません。

相手の一挙手一投足を常、観察し其処から感情を読み取る事も出来ます。

これこそが”常態行動”なのです、普段の無意識行動の中にその人の感情を読み取る情報が沢山溢れておりそれを同じ場を形成する人々は無意識にそれを受け取り実行している。

それが常態行動の恐ろしさです。

親子の場合これに遺伝子継承が加わるのでより伝承率は高くなります。

”親は子の鏡、子は親の鏡、ほんに二人は合わせ鏡”と都々逸にあるのがその証拠。

昔の人はこれを生来的にちゃんと理解をしていたのです。

親と子の間に不要な言葉は要りません、勿論それでも言葉を掛ける事は必要です。

されど最低限度の言葉が有れば後は場の共有率と生来型及び学習型遺伝子がそれをちゃんと学んでくれています。

親が親としてちゃんと生きていればそれを見ている子供はそれをちゃんと学習します。

言葉や態度で示さずとも日々の生活の中で子供はちゃんとメッセージを受け取ってます。

我が元には親子関係に悩む多くの方が来訪されお子さんとの接し方に悩む親御さんが多く来訪されます。

そういう方々にこういうお話を差し上げ得心されています。

親としてちゃんとした姿、生き様を子供に見せる事、それは百の言葉より説得力のある事です。

子はちゃんと親を見ています。

親がちゃんとした生き方をしていれば子供はそれを必ず踏襲します

逆を言えば幾ら子供に熱心に教育を施しても自らの行動に理念無き物は子供はまともに育ちません。

本当に子供を正しく育てたいと願うなら先ずは自身の生活こそ正すべきと考えます。

って事を昨日書きながらデータが吹っ飛んだんです(^_^;)

やっと書き上げる事ができました。

と言う事で今日も最後のフォンセッションを終えそろそろ休ませて頂きます。

皆様方も良き夢をm(_ _)m

心理職に求められる物とは何か?


心理職が求められる理由は私はセカンドオピニオンだと位置付けています。

大抵お心を病まれた方は最初精神神経内科や近くの個人医院を尋ねられます。

されど納得の行く結果を得られない方が我が門を潜られるケースが多い。

言わば最後の砦です。

此処で食い止めねば或いはその人の人生に終止符が打たれるかもしれない。

そういう覚悟で我々は何時も事に当たっています。

それとやはり医療機関とは違ったアプローチ違った結果が出ないと意味がないとも思っています。

医療機関と共通見解である場合やっぱり此処も同じかと思われたら我々は其処でお払い箱です。

態々保険適用外の所へ足を運ばれるのですから絶対に違いは見せたい、専門職の意地に賭けて。

我が門を潜られると言う事はその前の段階で納得の得られる結果を見出せなかった訳でそれが我が元でも同じ結果ならば同胞の心は悶々としたままです。

それは新たな不安材料を増やすだけであり解決には至りません。

それと我々は防波堤であるべきだとも思っています。

此処があるから大丈夫という言わば駆け込み寺的位置づけでありたい、そしてそれが精神疾患を患う抑止力に繋がればと願っています

私自身もそうですが人間逃げ場が有ると案外頑張れます。

逃げ場があるという安心感を得る事、我々の側から言えばそれを提供する事が大事だと思って居ます。

私は家族のようにされど家族よりも説得力があるやり方で接するように努力をしています。

『張りと艶の心理学〜或いは補える物と補えない物の心理学〜』


深夜の通販番組を見ていると女性の肌の張り艶を取り戻す商品のオンパレード。

確かに女性にとって肌の張り艶は重要である事は充分理解しています。

されど此処で大きな誤解と商品販売会社の販売戦略による嘘に騙されないで欲しい。

加齢と共に張り艶は失われると有りますが実は大嘘、張り艶は加齢と共に失われない。

確かに張り艶において重要である水分量と言う物は加齢と共に減少して行きます。

されどその減少して行く水分保湿を補う為に”皺”という生態学的作用が働いています。

水を貯めるのに穴を掘る様に肌も保湿力、保水力を高める為には溝が必要です。

その為に”皺”が出来てその”皺”に体内水分を閉じ込め保水力、保湿力を保っています。

これを無理に除去すると肌の保湿力、保水力はより衰え肌の老化は促進されます。

艶は若い頃よりも年齢を重ね様々な経験をする事により増して行く事は既知の通り。

幾ら10代のアイドルが大人メイクをしても其処には無理が生じ正直見ていて痛い。

本来無い筈の色香や艶をメイクやライトの当て方で出そうとすれば無理が生じます。

その無理はストレスとなって肌に追い打ちをかけます、芸能人の肌が汚い理由がそれ。

若い内から厚化粧し更に肌にメンタルストレスを掛ける事が原因です。

では”張り”はどうするか?

実はこれも加齢に伴うやり方で維持が可能です。

”張り”において一番重要なのは”細胞活性”である事は皆さんご存知でしょう。

ではその”細胞活性”において一番重要な事は?

案外これを知らない人が多いのです。

実は”細胞活性”において一番重要な事は”メンタルアップ”なのです。

朝、女性は必ず鏡の前に立ち今朝の肌の調子を見られると思います

されど肌の調子を見る事はあってもその時の”メンタルバランス”まではみないでしょう。

されどこの”メンタルバランス”こそが”張り艶”を与える重要素なのです。

肌はメンタルと密接に繋がっておりメンタルが上がると肌質も上がります。

それはメンタルが上がるとドーパミン、アドレナリン、フェロモン、そして何より幸福物質と呼ばれる”オキシトシン”の分泌率が上がります。

すると細胞活性がなり、当然肌艶は良くなります。

”肌艶”が良くなると当然”張り”も出てきます、何故なら細胞活性がなるからです。

加齢と共に水分量は失われても張り艶迄失われる事はありません。

細胞活性力はメンタルアップにより幾らでも上げる事ができるのです。

細胞は365日を掛けて全て生まれ変わると言われています。

されど実際は箇所によりその速度はマチマチで顔の肌は1日で変わります。

その変化を具に観察しメンタルアップを計る事で加齢と共に失われると信じられている肌艶は幾らでも上げる事が出来ます。

されどその”上げ方”には一寸したコツが必要です。

それは二十年以上の年月を掛けて私が編み出した秘策が有ります。

もしもそれを知りたいと思われる方は是非メッセを下さい。

特別にその秘策をお教えします。

大抵の自己啓発本に抜け落ちている事且つ私が自己啓発本が嫌いな理由でもありますw



目標を達成する為にゴールを決めるやり方自体は間違いでは無い。

されどもっと大事な事はゴールに向かって自分が進んでいる事を自覚する事。

例えば山のような宿題や仕事でもゴールに向かって着実に減っている事を自覚するやり方と唯、我武者羅に手をつけるのとでは効率は全く違ってきます。

人間は増減に敏感に反応する性質を持っています。

それは人間が恒温動物である事に起因しています。

人間にとって最も耐え難い苦痛は五感を奪われる事。

これは既に実験データも出ているものです。

何故か?それは五感を全て奪われた時ゴールを人間が失うから。

無間地獄というのが人間が最も耐え難い苦痛なのです。

だからゴールを設定するだけじゃなくゴールに近づいている自分を自覚する事。

その事によりアドレナリンやドーパミンが多く分泌され処理速度や正確さも増します。

啓発本等では此処を省いているものがとても多い。

当たり前の事だけど実はこれがとても大事なのです。

『言って欲しい言葉を言って上げる心理学』或いは『オリジナル場当たり数心理学』


『言って欲しい言葉を言ってあげられる存在』
私は自らの立場をそう捉えているし実際に多くの方々からそういう言葉を頂戴している。

人間は自らが言って欲しい言葉を言って貰えるととても嬉しく思う

それは心が通っている証であり自らの存在意義が認められた証だからである。

『言って欲しい言葉を言ってくれる人』というのはそれほど数的に多くはない。

それはその人を具に観察しそして見つめ続けていなければ出来ない事だからである。

だが、我々心理職の人間は長年見続けていなくても一瞬でそれを見抜く事ができる。

それ故に我々は心のプロフェッショナルであり続ける事が出来る。

人間という大枠で括れば一人の人間を具に観察していればその人の周りが分かる。

『場当たり数』という言葉は数学の言葉だがそれは心理学の世界でも適用可能である。

『場当たり数』…全体における部分が解れば全体が見えるという物である。

心理学の世界でもこの『場当たり数』が存在する。

その場を構成する構成員を一人見るだけでその場の雰囲気や他の構成員の思考が読める。

面白い話をすると大抵愛方を見ていると愛方の職場の人間関係が見えてくる。

付き合って10年、何度か職場を変わっているがその度に私は愛方に助言をしている。

そして大抵の場合その助言はそのまま当て嵌まり愛方の度肝を抜いている。

種を明かせば何の事は無い。

愛方から見た職場の雰囲気、そして何より愛方の変化を見ていれば職場の人間関係がはっきりと見えてくる。

それが解れば各々の社内での立ち位置的にこういう思考を持ちこういう行動を取るだろうというのは容易に想像できる。

容易に想像できると言う事は先読みが出来るので愛方の危機回避に役立つ。

愛方はとても喜んでくれるが実はこれは私自身のスキル向上にも一役買っている。

危機回避が出来るので愛方は喜んで自分の今の職場の話をしてくれる。

そうなるとより人間関係が見えてくるので適切な助言ができる。
同時に人間関係及びその立ち位置からの思考形態のサンプリングが可能となる。

それは実際に同胞がお悩みを持ってきた時の一助となりそれが絆を生む。

これが2000を超える我がオリジナル心理学理論の一つ『遠隔操作セラピー』となる。

つまり場を構成する構成員一人が解ればその場の雰囲気や他の構成員が解る。

その場を構成する構成員一人を変えればその構成員を持つ場全体が変わる。

解りやすい例えで言えば『家庭』と言う場を構成する構成員たる『家族』の内の一人を変えると『家庭』全体が変わる。

この場合大切な事は『家長』たる父親ではなくその末端である『子供』を変える事。

するとその『家族』の構成員の中の上位に位置する親は焦りに焦りまくる。

何せ養い手よりも養われ手の方が上手を行くのだから養い手の面目丸潰れである。

そうなれば親というプライドに掛けてその養われ手を越えねばならなくなる。

結果、家族全体が良い方向へ転がり人間関係が円滑に運ぶようになる。

この方法で親子関係、夫婦関係、兄弟関係修復に二十年寄与してきている。

一言で現すと簡単のように見えるがこれは実は諸刃の剣。

パズルのピースを一つ間違えても嵌らないように一つ間違えたら一気に崩壊してしまう。

故に慎重の上にも慎重に且つ時に大胆に行動していかねばならない
繊細さと大胆さという相反する能力の両方を駆使せねばとても出
来ない所為である。

それ故にとても神経をすり減らす作業だがそれをなし得た時の満足感は計り知れない。

何より心がすれ違っていた家族が一つにまとまった時の喜びは一入である。

その瞬間を味わう為の努力だと言っても過言ではない。

そしてこれは何も家族だけに留まらない、会社、学校、その他集団生活をしなくてはいけない全ての場所に適用が可能である。

その為に経営コンサルタントやスクールカウンセラーとして多くの場所からお声掛けを頂戴し今も全国を飛び回っている。

肩書きなんぞどうでも良い、とにかくその場の人間関係を円滑に運べれば良いのだ。

こうして二十年間様々な人間関係のトラブル回避に寄与してきた。

これからも2000を超える理論の精度を高めながらより多くの人間関係修復に努めて行きたいと思う。

私がイレイザーと呼ばれる所以です。



どんなに辛い出来事もそれは”過去”です。

ある人は”私は今も辛い現実に居ます”と言います、されどそれも”過去”です。

人間は過去は”語れる”けれど現在は”語る”事は出来ません。

何故ならそれは”現在進行形”だからです。

それを”語れる”限りそれらは全て”過去”です。

そしてその”過去”は塗り替えられる。

何故なら過去も未来も現在という時間軸を基軸にせぬかぎり存在し得ないから。

つまり現在を変えればそれが蓄積され”過去”となりその先にあるのが”未来”です。

どんな辛い過去も私が塗り替えます。

薔薇色に…

奇跡の心理学〜或いはご先祖の霊を敬う事は自らを敬う事の心理学〜



この連休、御先祖様の霊を弔う為お墓参りに行かれた方も多いかと思います。

我が先祖代々のお墓は長い階段の遥上に有り車椅子で昇降出来ないので家の仏壇に手を合わせる事でご先祖様方々には御勘弁を願いました。

私は決して信心深い方では無く寧ろ罰当たりな事ばかりしている人間ですが先祖の霊を弔う事、お墓を見たら手を合わせる事だけは生まれてこの方忘れた事が有りません。

それは先祖の霊を敬う事は自分を敬う事と同じだからです。

先祖が有って自分という存在がこの世に存在しているのです。

御先祖様の存在が無ければ今の私は絶対にこの世には存在しません

故に先祖を蔑ろにするという事は自分自身をも蔑ろにする愚行です

更に先祖の霊を弔うという事は自分と向き合う時間を持てるという事でもあります。

まさかBGMを聞きながら何かをしながらご先祖の霊を弔う馬鹿は居ないでしょう。

静寂の中で両手を合わせご先祖様の魂と会話をする事は自らの内観でもあります。

そうすると脳科学的には潜在意識と繋がりそれらは宇宙意思と繋がる事になります。

何か強い望みが有りそれを実現したいと願いつつ御先祖様と向き合う事はその願望に真摯に向き合うのと同じ意味合いを脳科学的には持ちます。

故に御先祖様に手を合わせ、御霊を弔う事で奇跡を起こせるのはそういう理由からです。

奇跡は奇跡ではありません、奇跡とは奇する跡とかきます。

跡があるという事はその跡を残してきた存在が必ずあるという事です。

それこそが自らが奮闘努力し歩いてきた道程でありその先にある物が奇跡なのです。

御先祖様の霊に手を合わせその御霊を弔う事の大切さが少しは御理解戴ければ幸いです。