一寸した事でも動揺するし一寸した事でも落ち込むし一寸した事に深く傷ついたりする。 |
常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2010年10月30日土曜日
人の心は脆弱でもありとても強固でもある
フリーセラピストというお仕事…
海外ではメジャーな仕事で欧米では精神科医よりも社会的地位の高い地域もある程。(ドイツに於けるマエストロと同じ位置づけ)。 |
素人が軽々しく口にするな!
インプリンティングという言葉が精神医学の世界にはある、直訳すれば『擦り込み』という意味である。
有名な話だと1970年代米の某映画のコマの中に某炭酸飲料水メーカーのコマーシャルを何万分の一コマ単位で入れた所、その映画を見終わった後の売り上げがかなり伸びたという報告がなされている。
人間で言う所の”癖”もこのインプリンティングのせいである。
某お笑い芸人が首を傾げるのも最初は業とだった物が繰り返されることで本当の”癖”となってしまった。何度も同じ行為をする事によりその行動や思考が脳に”刷り込まれ”て仕舞う訳である。
我が元にはこの”擦り込み”による被害者が毎年かなりの数やってくる。
小さい頃より親・兄弟・近所や学校仲間から”貴方は○○な人よね”という間違った情報を植えつけられる。例えば線が細くて声が小さい人に”性格的におとなしい人”だとか”クラシックが好きそう”だとか…。
んでそれがそのまんまなら問題は無いんですがそれが違っていた場合最悪”人格剥離”に繋がりかねない。
本当は○○な人なのに周囲から長年△△な人と言われ続けその違和感の中でずっと生活を送ると人は自分という存在が解らなくなる、自分と言う存在が希薄になり、最悪嫌いになる。そうなるとかなり厄介だ。
ある元・自動車メーカーの販売員さんだった人は元々ロックが好きでロッカーになりたかった。
しかし小学校から大学を出るまで親の意向にずっと沿う生き方しか出来ず結果リーマンとなった。
偶々ご縁を頂いてお会いしたのだが私は彼の今の職業が向いて居ない事をすぐに見抜いた。
そして本当は”ロックをやりたいのでは?”という事も直ぐに解った。
それを告げると彼はとても驚いた様子だったが同時にとても安堵しとても喜んで居た。
それは”やっと本当の自分を解ってくれる人と出会えた”という喜びであっただろう。
話に華が咲き、私はロッカーへの道を歩む事を説いた、苦しいけれど充実した日々を送る事を説いた。
その後彼から連絡を貰い、会社を退社、親元から離れ今はアマチュアバンドで頑張っているという。
インディーズでのデビューのイベントに参加するのだという、私はエールを送り彼はそれを受取った。
私のもう一つのブログの方にもこれと似たような被害を受けた人が居る。
その人は昔、重篤なうつ病で精神神経内科に通っておられた。
しかし周囲の友人・知人は皆、口を揃えて”うつ病は贅沢病だ、甘えだ、もっと不幸な人は沢山いる。
もっと強くなりなさい、もっと我慢なさい”と言う…。
私から言わせて貰えば何も知らない素人が余計な事を言うんじゃない!と一喝してやりたい気分である。
故に素人の戯言に耳を傾ける必要はなし、貴方は貴方で居るべきだと説いた。
氏は今、そういう自分のような鬱の人の心を影で支えるボランティアをしている。
同じ事は引きこもりでもあった。
何年も引き篭もって家から出られない少年が居た。
彼が何年も引き篭もっていたのにはそれなりの理由がある。
だが友達や学校の先生はじめ一番理解していなくてはいけない両親ですら彼の”本音”を理解出来ず、
学校へ行け、引き篭もりはお前のワガママだ。そんな事をしていたら社会の落伍者となると彼を責めた。
学校の通学途中彼は陸橋の上から身を投げようとし偶々その時居合わせた私によって未然に防がれた。
私は近くの公演で彼から話を聞きそして激しい憤りを覚えた。
直ぐ彼を家へつれて帰り事情を両親に説明、そして両親を諭し理解を求めた。
ここら辺りは私の独断場である、両親の心を”懐柔”する事など朝飯前だ(笑)
先ず彼の一番の理解者でなくてはならない親が彼の味方にならないと彼は変われないと思った。
故に親を懐柔し彼の側に付かせた。
その後学校へも赴き、教育委員会とのパイプを持っていると嘯き(笑)教員を説得。
虐め撲滅へ尽力してもらうよう進言(半ば脅し)てきた(笑)。
その後暫くして彼は復学、今は社会人として皆と共に忙しい日々を送っている。
兎に角周りの戯言に耳を傾けることを先ず止めて頂きたい。
そして何より回りが自分勝手に無遠慮に傍若無人なる発言をする事を控えて欲しいと思う。
うつも引き篭もりも”贅沢病”に非ず、本当に苦しんでいる人の心を抉る真似だけは勘弁願いたい。
人の本質を知る…
別ブログの方にも我が同胞は沢山居るので一応その旨告知させて頂いた。 |
先駆者で在り続ける事…
ロックの日本に於けるパイオニアとして国内は元より海外にもその足跡は多大なる影響を持っている
。
獣は死して皮を残し人は死して名を残す、氏は正にそれを王道で行った人間であると思う。
嘗て我が恩師が我に申された言葉…『○○君はパイオニアだね』。
我が地元はとても封建的な場所にて我より前に普通学級に身体障害者が入学した例は無く、
皆、養護学級や養護学校へ進んでいた。しかし我が恩師はそれを嫌い教育委員会と衝突。
自身も早くに目の光を失い福祉大学へ進学、牧師として多くの正に『迷える子羊』をお救いになられその迷える子羊の中に又、我も居た。
私がパイオニアとなれたのは偏に牧師先生のお陰であり氏の存在無くして今の私を語る事は出来ない。又、氏と同じように小・中・高校そして大学と私を支え続けた多くの方々の尽力無くして今の私は無いと思っている。
『人は生垣、人は城』神君信玄公のお言葉であり我が座右の銘とする所である。
人があるから我有り、又、我ありて人ありと私は思っている。
多くの方々が私の生き方を支持し、又、とても強靭な精神力を持っていると言われる。
確かに生半可な気持ちで出来る仕事に非ず、人の命を預かっているという重責を常背負いながら生きる事は並大抵の事ではないと思う。
だが、それ故の誇りや自信という物がある事も又、事実である。
小学校から大学を出る迄、常、私は”パイオニア”であり続けた。
そして今、仕事面に於いても私は”パイオニア”として働き続けている。
この仕事を日本で検索を掛けても中々ヒットしない。
海外で同じ様に検索を掛ければかなりの確率でヒットするのだが未だ日本では稀である。
それ故訝しがられ不安がられ疑心暗鬼の目で見られる事も暫しである。
だが一度私の仕事ぶりを見られた方は殆どの方が”あぁ”とご納得戴ける。
(それでも未だ訝しがられる人も居るには居るのだが^^;)。
精神科や精神神経内科、カウンセラーでも治せない心の病という物がある。
まぁぶっちゃければ”薬じゃ治せない心の病”という物は実際に存在する。
そういう”投薬治療では治せない心の病”を治すのが我々の仕事だと私は自らの仕事を位置づけているし又、同胞方々にとっても我々は”最後の牙城”である場合が多い。
色々な精神科や精神神経内科やカウンセラーを渡り歩いた結果我が元にたどり着いたというケースがとても多い。我が元がもし駄目ならそれでお仕舞いという方々ばかりである。
勿論物凄い重圧であるし重責である、何せ”此処が駄目なら後は死ぬのみ”なのだから。
オーバーと思われるかもしれないが相手はそんな心積もりで来られているのだから大変。
だが私はその重圧すらも楽しむ、そして同胞と同じ時を過ごし完治という頂目指して共に悩み共に苦しみ共に泣きそして共に笑い抱き合う…。
それが先駆者であり続ける事の意義であると私は思う。
恐らく清四郎氏も少なからず私と似たような感情を抱いておられたのではないだろうか?
先駆者で在り続ける事の苦悩と楽しさを自身の心に同居させながら。
氏の死に際してふとそんな事を思ったので此処で書き綴ってみた。
『治す』のではなく『闘う』のである。
我が元へ来られる方は一名の例外も無くこう仰います。
『先生、私治りますか?治してください』と…。
大抵我が門を潜る方々は精神科や精神神経内科やその他医療機関で匙を投げられた方が多く
我が門を潜る頃には他の精神医療機関には頼る場所が無いという人が多い。
勿論私とて彼らの心の病を治して差し上げたいしその心積もりである。
だが、敢えて私は彼らにこういいます。
『治すのは私ではなく貴方自身、貴方自身が治ろうという意思なくして病は克服できません』と。
私が患者を患者と呼ばず”同胞”と敢えて呼ぶにはそれなりの意味があります。
先に述べた通り、”病気という眼に見えない敵と共に闘い共に勝利する戦友”という位置づけから私は彼らを”同胞”と呼ぶのです。
勿論、尖兵は私、そしてしんがりは彼ら・彼女らです。
私が先導し、雑兵を蹴散らし、ラスボスを押さえ込んで最後の一刺しは彼ら・彼女らの役目。
いわば”あだ討ち”の助っ人のような存在であると私自身はそう自身を位置づけています。
故に『治す』のではなく『闘う』と位置づけています。
本人の”治したい、治るんだ”という強い意思なくして精神疾患を治す事は不可能。
逆を言えばその本人の”治したい、治るんだ”という強い意思の後押しをするのが私の役目。
彼らの後ろに立ち彼らが”病という見えない敵”に堂々と恐れず立ち向かっていけるだけの力を与えるのが我々専門職の仕事だと私は自らを位置づけています。
最近出会った或る同胞を見てふとそんな事が頭に浮かんだので書いて観ました。
天啓とエゴイズム
| 何か厳つい題名ですが中身は何時もの様にゆるゆる~でお送り致します<(_ _)>
|