2010年10月30日土曜日

人の心は脆弱でもありとても強固でもある

欲望と理性と言う相反する感情が一つの”器”にある人間の”心”という存在はとても脆弱な物である。

一寸した事でも動揺するし一寸した事でも落ち込むし一寸した事に深く傷ついたりする。

だが人間は又、その脆弱であるが故にとても”強固な存在”でもある。
それは脆弱な者が集まり”絆”を得、そして”強固な存在”となる事が出来るから。

この仕事に就いて20年余りとなるがこの”脆弱性”と”強固な存在”は常私の頭を悩ませている。
そして人はその”脆弱性”の中に眠る”強い意思”を如何に呼び覚ますか?に全てが掛っている。

人は私の事を”強い”と言う、しかし私ほど”脆弱な存在”は無いと自負している。
打たれ弱いし直ぐ落ち込むし直ぐ腹を立てるし直ぐに泣く^^;

偶に同胞からも”子供か!w”と揶揄される事もある始末である(爆)
しかしそれと同時に同胞からは”凄い親近感を覚える”とも又言われている。

彼らと同じ目線で物を見、物を感じ、物を捉える事が出来るというのが私の最大の売りである。
これは私が言った言葉ではなく我が同胞方々の私に対する評価である。

そして一部の方々からは”マジシャン”という異名も頂戴している^^;。
”笑顔の魔法”を掛ける凄腕マジシャンなのだそうだ(爆)

一部の小学生からは何故か”魔法使いのおじちゃん”という言われ方をしている(笑)

昔、魔法使いに憧れRPGの使用キャラを全て”マジシャン”にしていた事が原因だろうか(爆)
今でも思う事がある、”魔法が使えたらどんなに素敵だろう”と…。

ラドクリフ君みたいに杖に乗り、火を出し、物を何かに変える事が出来たらどんなに楽しいだろうかと。

でも、私は思う、人はそれぞれ固有の”魔法”を持っているのではないだろうか?と。
人を元気にする魔法、人を笑顔にする魔法、人を明るくする魔法、人を楽しくする魔法…。

勿論その反対の暗黒魔法たる物も存在するだろう。
人から元気を奪う魔法、人から笑顔を奪う魔法、人から明るさを奪う魔法、人から幸せを奪う魔法…。

我々専門職がもしマジシャンならば多くの人々に”幸を与える魔法”を掛けたいと思う。
その為には常、勉強が必要だし修練も必要、精神力も当然鍛えねばならない。

歴史に名を残すとか何かを記すとかそんな大それたことを考えて居る訳ではない。
誰か一人でいい、私と言う存在が生きていた事を覚えてくれる人が居ればそれで充分である。

フリーセラピストというお仕事…

私の仕事は精神科医でも神経内科医でもカウンセラーでもない、日本では未だ馴染みは薄い仕事である。


海外ではメジャーな仕事で欧米では精神科医よりも社会的地位の高い地域もある程。(ドイツに於けるマエストロと同じ位置づけ)。

それは”心の専門家”であるという何よりの証である。
精神科医や神経内科医やカウンセラーが匙を投げた病気ですら我々は治す。

それが使命であると思うしそれを誇りとして日々を生きている。
彼らが各々やっている事を我々は一手に引き受けている。

又、この仕事は定点的ではなく流動的である為汎用性が極めて高い。
居を構えていない為、何処へでも移動可能である、つまり在宅医療も可能という訳だ。

”居宅介護専門の精神科医”

そういう風に我々の仕事を位置づける人もいる、当たらずとも遠からず。
基本居宅訪問を基本とし、遠方ならホテルの一室を借りてやる事もある。

この仕事に就いてそろそろ二十年が経とうとしている。
10年を一昔とするならば二昔という事となる。

短いようで長い、そして本人的には長いようで意外と短い20年であった。

その間に彼女を作り父が亡くなり兄が大病をし、そして新たな仕事が増えた。
これからも私は私と言う存在の持てる可能性を信じて前進して生きたいと思っている。

そして常同胞の心に寄り添える存在でありたいと願う。
常同胞と歩を同じくして”病”という見えない敵と闘って生きたいと思っている。

ふと偶の休みを得て思った事をつらつらと書いてみた。さぁ!今日から又仕事である。

どんな出会いが待っているか?とても楽しみである。

素人が軽々しく口にするな!

インプリンティングという言葉が精神医学の世界にはある、直訳すれば『擦り込み』という意味である。

有名な話だと1970年代米の某映画のコマの中に某炭酸飲料水メーカーのコマーシャルを何万分の一コマ単位で入れた所、その映画を見終わった後の売り上げがかなり伸びたという報告がなされている。

人間で言う所の”癖”もこのインプリンティングのせいである。

某お笑い芸人が首を傾げるのも最初は業とだった物が繰り返されることで本当の”癖”となってしまった。何度も同じ行為をする事によりその行動や思考が脳に”刷り込まれ”て仕舞う訳である。

我が元にはこの”擦り込み”による被害者が毎年かなりの数やってくる。

小さい頃より親・兄弟・近所や学校仲間から”貴方は○○な人よね”という間違った情報を植えつけられる。例えば線が細くて声が小さい人に”性格的におとなしい人”だとか”クラシックが好きそう”だとか…。

んでそれがそのまんまなら問題は無いんですがそれが違っていた場合最悪”人格剥離”に繋がりかねない。

本当は○○な人なのに周囲から長年△△な人と言われ続けその違和感の中でずっと生活を送ると人は自分という存在が解らなくなる、自分と言う存在が希薄になり、最悪嫌いになる。そうなるとかなり厄介だ。

ある元・自動車メーカーの販売員さんだった人は元々ロックが好きでロッカーになりたかった。
しかし小学校から大学を出るまで親の意向にずっと沿う生き方しか出来ず結果リーマンとなった。

偶々ご縁を頂いてお会いしたのだが私は彼の今の職業が向いて居ない事をすぐに見抜いた。
そして本当は”ロックをやりたいのでは?”という事も直ぐに解った。

それを告げると彼はとても驚いた様子だったが同時にとても安堵しとても喜んで居た。
それは”やっと本当の自分を解ってくれる人と出会えた”という喜びであっただろう。

話に華が咲き、私はロッカーへの道を歩む事を説いた、苦しいけれど充実した日々を送る事を説いた。
その後彼から連絡を貰い、会社を退社、親元から離れ今はアマチュアバンドで頑張っているという。

インディーズでのデビューのイベントに参加するのだという、私はエールを送り彼はそれを受取った。

私のもう一つのブログの方にもこれと似たような被害を受けた人が居る。
その人は昔、重篤なうつ病で精神神経内科に通っておられた。

しかし周囲の友人・知人は皆、口を揃えて”うつ病は贅沢病だ、甘えだ、もっと不幸な人は沢山いる。
もっと強くなりなさい、もっと我慢なさい”と言う…。

私から言わせて貰えば何も知らない素人が余計な事を言うんじゃない!と一喝してやりたい気分である。

故に素人の戯言に耳を傾ける必要はなし、貴方は貴方で居るべきだと説いた。
氏は今、そういう自分のような鬱の人の心を影で支えるボランティアをしている。

同じ事は引きこもりでもあった。

何年も引き篭もって家から出られない少年が居た。
彼が何年も引き篭もっていたのにはそれなりの理由がある。

だが友達や学校の先生はじめ一番理解していなくてはいけない両親ですら彼の”本音”を理解出来ず、
学校へ行け、引き篭もりはお前のワガママだ。そんな事をしていたら社会の落伍者となると彼を責めた。

学校の通学途中彼は陸橋の上から身を投げようとし偶々その時居合わせた私によって未然に防がれた。
私は近くの公演で彼から話を聞きそして激しい憤りを覚えた。

直ぐ彼を家へつれて帰り事情を両親に説明、そして両親を諭し理解を求めた。
ここら辺りは私の独断場である、両親の心を”懐柔”する事など朝飯前だ(笑)

先ず彼の一番の理解者でなくてはならない親が彼の味方にならないと彼は変われないと思った。
故に親を懐柔し彼の側に付かせた。

その後学校へも赴き、教育委員会とのパイプを持っていると嘯き(笑)教員を説得。
虐め撲滅へ尽力してもらうよう進言(半ば脅し)てきた(笑)。

その後暫くして彼は復学、今は社会人として皆と共に忙しい日々を送っている。

兎に角周りの戯言に耳を傾けることを先ず止めて頂きたい。
そして何より回りが自分勝手に無遠慮に傍若無人なる発言をする事を控えて欲しいと思う。

うつも引き篭もりも”贅沢病”に非ず、本当に苦しんでいる人の心を抉る真似だけは勘弁願いたい。

人の本質を知る…

実は諸般の事情により今まで一部”無償”でやっていたセラピーを全部”有償”とする事となった。

別ブログの方にも我が同胞は沢山居るので一応その旨告知させて頂いた。

しかし…いきなり”有償にします、今までの方は即座にお支払い下さい”と言われて払う人は居ませんw
と言う事で”有志の方々のご意思により一律料金にてお願い申し上げます”と一応筋は通したつもり。

ですが…一番私の手間を取らせた方々が口を揃えて”約束が違う”とのたまい始めた^^;。
確かに方々が口々に言われる事には一応の筋は通っているように思える。

が…こちらとしてもずっとボランティアを続けて行く訳には行かない。
ある一定の期間が過ぎれば当然有償となるべき事はある程度予測できていた筈。

それともまさか”一生タダでセラピーを受け続ける”つもりで居られたのだろうか…。
(だとすると恐ろしい勘違いなのだが^^;)。

確かに最初から有償にしなかった私も悪いと言えば悪い。
ご新規の方は全て最初から有償としているしそれで相手にもご納得頂けている。

ですが”人の為となる人となれ”と亡父の座右の銘を私なりに懸命に今まで守ってきたつもり。
私は守銭奴に非ず。金銭的困窮状態にある人からお金を搾り取るような真似はしたく有りません。

我が同業者の中には身内ですらキチンとお金を取る人も居ます。
ですが私は其処まで”鬼”にはなりきれません。

ですが時として”鬼”とならねばならぬ時も在る事を今日、私は知りました。

此方でご新規で同胞となられた方は最初から”お支払いする心積もり”で来られた方々ばかりである。
”一生無料”なんて恐ろしい心得違いをされておられる方は一人も居ませんでした。

あちらのブログの方でも告知後直ぐ御入金頂けた”常識人”も数名居られた。
しかも”一回”乃至は”数回”しか面倒を観て居ない未だ皆私より遥かに年若い方々ばかり…。

そして”ゴネている”のは私と同年代か下手すると上の世代の方々ばかり…^^;
普通これって逆じゃないですかね?

人の本質って奴を知る今回は良い機会となりました。

今後はそういう”厚顔無恥”の輩はどんどん切り捨てる方向で参りたいと思います。
私は守銭奴ではありませんが道化者となるつもりも私は有りません。

このままずっと無償を続ける事は私のプライドが許しませんし有償の方々に対して大変失礼です。
例え一部のセラピーに限ったとしても回数をこなせばかなりの額となります。

中には”幾ら掛っても治したい”っていう人も居ます。
そういう”やる気”を見せて頂ければこちらだって採算度外視でやりますよ。

でもねぇ…ハァ、人間の”醜さ”を改めて垣間見ちゃった感じです。

先駆者で在り続ける事…

歌手の忌野清志郎氏が亡くなられた。

ロックの日本に於けるパイオニアとして国内は元より海外にもその足跡は多大なる影響を持っている

獣は死して皮を残し人は死して名を残す、氏は正にそれを王道で行った人間であると思う。

嘗て我が恩師が我に申された言葉…『○○君はパイオニアだね』。

我が地元はとても封建的な場所にて我より前に普通学級に身体障害者が入学した例は無く、
皆、養護学級や養護学校へ進んでいた。しかし我が恩師はそれを嫌い教育委員会と衝突。

自身も早くに目の光を失い福祉大学へ進学、牧師として多くの正に『迷える子羊』をお救いになられその迷える子羊の中に又、我も居た。

私がパイオニアとなれたのは偏に牧師先生のお陰であり氏の存在無くして今の私を語る事は出来ない。又、氏と同じように小・中・高校そして大学と私を支え続けた多くの方々の尽力無くして今の私は無いと思っている。

『人は生垣、人は城』神君信玄公のお言葉であり我が座右の銘とする所である。
人があるから我有り、又、我ありて人ありと私は思っている。

多くの方々が私の生き方を支持し、又、とても強靭な精神力を持っていると言われる。
確かに生半可な気持ちで出来る仕事に非ず、人の命を預かっているという重責を常背負いながら生きる事は並大抵の事ではないと思う。

だが、それ故の誇りや自信という物がある事も又、事実である。

小学校から大学を出る迄、常、私は”パイオニア”であり続けた。
そして今、仕事面に於いても私は”パイオニア”として働き続けている。

この仕事を日本で検索を掛けても中々ヒットしない。
海外で同じ様に検索を掛ければかなりの確率でヒットするのだが未だ日本では稀である。

それ故訝しがられ不安がられ疑心暗鬼の目で見られる事も暫しである。
だが一度私の仕事ぶりを見られた方は殆どの方が”あぁ”とご納得戴ける。
(それでも未だ訝しがられる人も居るには居るのだが^^;)。

精神科や精神神経内科、カウンセラーでも治せない心の病という物がある。
まぁぶっちゃければ”薬じゃ治せない心の病”という物は実際に存在する。

そういう”投薬治療では治せない心の病”を治すのが我々の仕事だと私は自らの仕事を位置づけているし又、同胞方々にとっても我々は”最後の牙城”である場合が多い。

色々な精神科や精神神経内科やカウンセラーを渡り歩いた結果我が元にたどり着いたというケースがとても多い。我が元がもし駄目ならそれでお仕舞いという方々ばかりである。

勿論物凄い重圧であるし重責である、何せ”此処が駄目なら後は死ぬのみ”なのだから。
オーバーと思われるかもしれないが相手はそんな心積もりで来られているのだから大変。

だが私はその重圧すらも楽しむ、そして同胞と同じ時を過ごし完治という頂目指して共に悩み共に苦しみ共に泣きそして共に笑い抱き合う…。

それが先駆者であり続ける事の意義であると私は思う。

恐らく清四郎氏も少なからず私と似たような感情を抱いておられたのではないだろうか?
先駆者で在り続ける事の苦悩と楽しさを自身の心に同居させながら。

氏の死に際してふとそんな事を思ったので此処で書き綴ってみた。

『治す』のではなく『闘う』のである。

此処数日、異常な程の眠気と倦怠感、そして焦燥感と戦いながら日々生活をしております。


我が元へ来られる方は一名の例外も無くこう仰います。

『先生、私治りますか?治してください』と…。
大抵我が門を潜る方々は精神科や精神神経内科やその他医療機関で匙を投げられた方が多く
我が門を潜る頃には他の精神医療機関には頼る場所が無いという人が多い。

勿論私とて彼らの心の病を治して差し上げたいしその心積もりである。
だが、敢えて私は彼らにこういいます。

『治すのは私ではなく貴方自身、貴方自身が治ろうという意思なくして病は克服できません』と。

私が患者を患者と呼ばず”同胞”と敢えて呼ぶにはそれなりの意味があります。
先に述べた通り、”病気という眼に見えない敵と共に闘い共に勝利する戦友”という位置づけから私は彼らを”同胞”と呼ぶのです。

勿論、尖兵は私、そしてしんがりは彼ら・彼女らです。
私が先導し、雑兵を蹴散らし、ラスボスを押さえ込んで最後の一刺しは彼ら・彼女らの役目。

いわば”あだ討ち”の助っ人のような存在であると私自身はそう自身を位置づけています。

故に『治す』のではなく『闘う』と位置づけています。

本人の”治したい、治るんだ”という強い意思なくして精神疾患を治す事は不可能。
逆を言えばその本人の”治したい、治るんだ”という強い意思の後押しをするのが私の役目。

彼らの後ろに立ち彼らが”病という見えない敵”に堂々と恐れず立ち向かっていけるだけの力を与えるのが我々専門職の仕事だと私は自らを位置づけています。

最近出会った或る同胞を見てふとそんな事が頭に浮かんだので書いて観ました。

天啓とエゴイズム


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何か厳つい題名ですが中身は何時もの様にゆるゆる~でお送り致します<(_ _)>

過日愛方と防府天満宮へお参りに参りました。
此処数週間、新型インフルエンザの関係で新幹線で遠出は避けていた二人。

愛方が此方へ向かう際に使う在来線の中でもマスクマン・マスクレディーが目立つようになり、
又旅行帰りの人も多く乗車している為、マスクは我々にとっても必携アイテムとなっています。

まして新幹線ともなるとその危険度は更に増す訳です。
保菌者が乗車されておられないとも限らない為、今しばらく仕事外での使用は控えています。

と言う事で昨日は天気もよかったので天満宮へお参りに行こうという事となりました。

新山口駅のサポートの駅員さんもやはりマスクをされておられ厳戒態勢下の下いざ防府へ。
既に防府駅は此処数週間幾度もお邪魔しているので勝手知ったる他人の我が家状態(笑)

そのまま、下車し先ずは駅近くのサティにて昼食。

『カフェデュモンド』にて私は鮭のペンネグラタン、愛方はピリ辛ミートドリアを注文。
ハフハフと熱々を美味しく戴きました。

その後天神通りを天満宮へ向けトコトコと歩いていきました。
20数年ぶりに訪れる町並みはすっかりと変わり随分と閑散としておりました。

昔は境内の周りは多くの出店で賑わい日曜ともなると観光客や参拝客で賑わった物。


今でも正月と受験シーズンともなれば結構な人出と言われますが日曜の昨日は人出もなく閑散としておりました。

何となく街の作りが津和野の城下町に似ているなぁと愛方と話しながらアーケードを抜け、途中目ぼしい店を何軒か見つけ後で帰りに寄ろうねという事で取り敢えず天満宮へ…。

着いた先は幾つもの石段の上に鳥居が鎮座ましましてました、その数かなりの高さです。
ですが此処で愛方の機転が働きます。車で先ほどからこちらへ下る人が多いという事は、車で上まで上がれる道があるという事。

ならばその道を行けば境内まで行ける筈というのが愛方の考え。
その考えは見事に的中、ガイドさんに聞けば裏道があり傾斜は急ですが境内まで登れるとの事。

中年の感じの良い男性ガイドさんに付き添われ境内の方まで上がります。
そしてお宮へ参ります、生憎15円(充分ご縁)も45円(始終ご縁)も無かったので10円を投下
参拝の仕方に倣って参拝を無事済ませ御神籤を引きに参りました。

其処でミラクル発生!

今年の初め、博多、天神に有ります警固神社にて御神籤を引きその際出たのが大吉。そして昨日引いたおみくじも又大吉。しかも中身の文言が全く同じ^^;

見ると御神籤番号まで一緒ではないですか(ノ゜⊿゜)ノびっくり!!
偶然の一致とは言えこれには流石に驚きました。

しかも愛方共々大吉で文言は愛方の方が遥かに良い^^V
私の方はやはり”短期は損気”と書かれて居りました(笑)

その後、当日も今日と同じ暑い日でしたのでお茶をしに境内にある喫茶店へ。
色々ありましたがやはりその店オリジナルメニューを頼むのが筋と梅&バニラミックスを。

仄かな梅の酸味と薫り、そしてバニラの甘さが相まってとても美味なる物でした。

その後日記にも有るように境内の鳥居の写真とししおどしを写メに残し又来た道を下ります。

ガイドさんは高知のご出身らしく高知の県民性を熱く語っておられました。
高知県民は情に厚く素直で疑う事を知らぬ、協調性があり助け合いの精神も豊かである。

やはり台風など自然災害が多い街であるが故に互いが互いを助け合わねば生きられぬ場所故の県民の智恵だと申されておいででした。

まこと私が知りうる高知県民は皆暖かで優しく情に厚く、親切でした。坂本竜馬が我が地元へ訪れた事もあるらしくそれが高知弁の一部の流通にもなっているとか。遠く離れた場所と似た方言を使う地域が有ると言うのは何とも不思議な感じを覚えます。

神社を後にした我々は境内の中にある売店へ。
石原裕次郎を髣髴とさせる店主の明るい接客に心解され雷お輿を購入。

そして先程後で寄ろうねと話していた店屋によりました。

ヨーロピアン古雑貨を扱う店は御香の仄かな香り漂うヨーロピアンテイストなお店で、
狭い店内に様々な雑貨がひしめいており異国情緒漂う場所でありました。

玩具屋は昔懐かしいくじ引き屋も兼ねており近所の子供と思しき兄妹が駆け足で入ってきて一生懸命くじ引きをする姿に嘗ての自分の姿を重ね合わせた心持でした。

アーケード街にある家具屋は田舎には似つかわしくない程の(失礼!)豊富な品揃えで、家具マニアな我々の目を充分楽しませてくれました(一日居ても飽きないかも^^;)

その後はプラプラとサティへ戻って買物をしたりお茶をしたりで無事帰宅とあいなりました。

閑話休題

境内で彼女さんにちょっかいを出している彼氏さんとのカップルが居て仲睦まじい姿に微笑ましい感じを覚えておりました。その中で思いを馳せたのが題名にもあるエゴイズムです。

我が同胞の中には所謂恋わずらいで門を叩く人も少なくありません。
又、大学時代恋わずらいで我が所へ助けを求めに来ていた後輩も数多く居りました。

中には彼氏さんに甘える自分に対して自分のエゴじゃないか?と悩む女の子も居ました。でも考えてみると恋愛と言うメディア自体が既にエゴイズムな訳です。

だって、相手が自分の事を好きか嫌いかなんて実際付き合って見なければ解りません。
或いは相手は嫌かもしれないし相手も自分の事を好きかもしれません。

又、最初は余り好きではなくノリで付き合っちゃったとしても後で心の琴線に触れ本気モードになるカップルだって少なく有りません。

見知らぬ相手を好きになる事自体エゴならばそのエゴを貫き通す事も又愛情です。

相手の事は好きだけれど別の女性が彼を好きならその人に彼を託すのも又愛情なんてのは
私に言わせれば単なる自己陶酔です。本気でその人の事が好きでその人を幸せにしたいその人を幸せに出来るのは私しかいないと思えるならば例えそれが略奪愛でも敢行すべき。

私は愛方と出会った時、私しかこの人は幸せに出来ないと確信しました。
それが例えエゴだろうが勘違いだろうが構いはしないと思いました。

その後その思いは確信へと変わりそして現在に至っています。
誰かを不幸にしたり誰かに迷惑が掛らぬ限りエゴイストでいいじゃないですか。

誰かを本気に好きなる、誰かを本気で幸せにしたい、その気持はとても崇高で大切です。
その思いを捻じ伏せたり説き伏せたりしては行けないと私は思います。

天満宮に居たカップルを見てふとそんな事が頭に浮かんだので書いて見ました。