常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年3月31日土曜日
君に幸あれ
主治医による最後の回診終了。
最後に相応しく正装たる白衣で来られました。
(普段週末はポロシャツが多かった人なのでw)
今迄30回近い入退院の中で一番印象に残る先生でした。
とても二十代後半のエリート医師とは思えない気さくさと心配りができる先生でした。
言葉遣いも丁寧でスタッフ思いの此処のスタッフ全員の心をがっちり鷲掴みにした先生でした。
明日から先生のあの軽妙なトークが聞けないかと思うと断腸の思い。
人間突然訪れる空虚感には涙すらでないのだと我が身で痛感。
恐らく今後ジワジワと侘しさが押し寄せてくるのでしょう。
まだまだお若い身故あちこち数年単位で飛ばされるとの事。
我が出身大学の後輩に当たる人でも有ります。
(学部は違いますがw)
看護師Oさんが『瀬木さん、春ですよ。季節は春。皆此処を去って行かれますね』と寂しげに言われた言葉がとても印象的でした。
その言葉通り部長先生以外皆この病棟を去られます。
院外へ行かれる方、院内移動される方様々ですがこの病棟からは皆部長先生以外皆去っていかれます。
退院したら是非一度新赴任地へお礼に伺いたいと思っています。
春は別れと出会いの季節。
新たな出会いを求め私も新たな一歩を踏み出したいです。
今日は妙にしんみりとしてしまいましたね。
2012年3月29日木曜日
『求められる自分』から『求める自分』へ
たった一度きりの人生思う様に生きたいじゃないですかw
『求める自分』から『求められる自分』になろう。
人はそれぞれ社会の中で与えられた役割を遂行しながら生きている。その中で人は様々な事を学び覚え成長して行く。
されど或る時ふと立ち止まり自問自答する時が有る。
"私は本当の私を生きているだろうか?"と。
目に見えないストレスを溜め込み体調に変化が現れたら要注意。
繊細な神経を持ち人はマイナス因子を吸い取る力を持ってます。
吸い取られた方は楽になりますが吸い取る方は徐々に見えないストレスを溜め込む事に。
『求める自分』と『求められる自分』は往々にして異なる物。
『求められる自分』に応えれば受けは良くなりますし応えられた満足感を得る事は出来ますがそれ故に疲弊する結果となります。
『求める自分』に正直に生きれば生き辛さを時に感じる事があるかも知れませんが『求められる自分』を演じる辛さからは解放され小さなストレスを感じずに済みます。
立った一度きりの人生です。
思う様にと言っても中々難しいとは思います。
されど少なくとも『求められる自分』では無く『求める自分』は生きられる筈。
アナタの大切な人もきっと『求められる自分』では無く『求める自分』を生きて欲しいと望まれておいでの筈。
多くの人の求めに応じる事も時に必要な事ではありますが時には我儘に『求める自分』を生きて見ても良いのではないでしょうか?
その御手伝いをさせて戴き二十年余りが過ぎましたw
どうか『求められる自分』ではなく自らが『求める自分』であって欲しいと願います。
名声は守り縋る物ではなく攻め活かす物である
おはようございます。
本日の山口は西高東低の気圧配置で雲は無い物のかなり低温注意報的な肌寒い朝を迎えています。
遠くで絶叫ジジイの声が聞こえますw
階を移られたか或いは南から北病棟へ移されたのか?
幾ら記憶を留めない方だとしても人に代わりがある筈も無く
人で有る限り又、社会システムの中で生きる以上そのルールには従うべきでしょう。
嫌、従わせるべきです。
恐らく社会階層が高い方で有ったのだろうとは我が愛方の弁。
故に何でも自分の思い通りになるだろうと心得違いをなさっている。
高い階層で有ったのは過去の事。
更に場所を移れば嘗て高い階層で有った事も無意味となります。
嘗ての名声に縋り過去の栄光を後生大事にする人種も多いですが大事なのはその名声を活かし後世にその技を伝え継いで行く事で有り後生大事にする事に非ず。
高齢になればなる程守りではなく攻めに転じる事こそ大事だと思います。
2012年3月28日水曜日
春爛漫🎵恋の花咲く事もあるw
我が師、川村メンターに内容が硬い難しいと御批評を頂戴したので解り易い季節ネタを一つw
春爛漫となり新入学や新入社等祝い事が増え男女が出会う場も増えれば当然其処に"恋の花"が咲く事も充分あります。
されど中には美人なのにイケメンなのに中々口説かれないと嘆く人も少なくない。
それ故に自分は美人じゃない、イケメンじゃないと自己否定為さる方も居てそれが引き篭もりやうつ病の温床となる場合も少なくない。
我が提唱せし『場の心理学』に依れば同属性を持つ者同士が引き合うと有ります。俗に言う"類は友を呼ぶ"という奴。
同じ属性を持っていれば思考形態も似通って来るのでより多くの言葉を必要とはせずその分コミュニケーションが円滑に行われ楽なので同じ属性を持つ者同士が引き合うのは至極当然の事。
つまり自分の周りに美人やイケメンが多い人は同属性を持つ自分も美人やイケメンであるという証。
されど実際友人は口説かれ乃至は口説き落とせているのに自分は口説かれ乃至は口説き落とせないとする人が居る。
ではこの違いは何処から生じるものなのか?
例えばナンパには二種類有る。
『冒険型ナンパ』と『安全型ナンパ』
合コン等に於いては圧倒的多数で後者が多い。
何故なら相手をゲットする為に態々大枚はたいてゲット出来ずに帰る訳には行かない。
合コン場所とは言え其処は意地とプライド犇く戦場だから。
故に同じ美人イケメンでも落ちやすい人を選ぶ傾向が強くなる。
それは人が生物である事に起因している。
落とせればその延長に生物学的種の保存法則が適用される可能性があるが落とせなければそれも困難となる。
故に生物学的にはより"落としやすい方"を選ぶ傾向が強くなる。偶に私の様な高嶺の花狙いのへそ曲がりも居るがw
故に合コン等で選ばれないナンパもされないという事は魅力が無いのでは無く周りより更に魅力的であるが故に相手は恐れ戦き敬遠し安全策を選んでいると考えるべきである。
簡単に落とされたり落としちゃったら面白く無い。
自分の価値をもっと高めて高嶺の花として毅然としましょうw
そうすればきっと極上の安全策を取らない冒険型に出会えますよw
前世記憶の謎を常態行動心理学者が生物学的に斬る!(笑)
人が生まれて最初に耳にする音は母親の心音…の筈が無い(笑)
所謂前世記憶からも解る様に母親の日常生活における行動音を胎児もお腹の中で聞いている。
何故なら生物学的に危機回避が必要だから。
人間は別だが殆どの生物は生後直ぐ立ち上がり自立する。
それはそうしないと大自然の中で強敵から身を守れないから。
その為に胎内にいる時から五感情報を得ておかないと直ぐに"狩られて"しまいかねないからだ。
外界に出て人間の場合外界に順応する迄に時間がかかる。
丁度真っ暗闇から明るい場所に出て眩しさで目が開けられないのと同義である。
だが其の事と五感が機能していないは別問題である。
"目が見えていない"のでは無く"目が外界からの刺激に順応していないだけ"である。
種の保存の法則に則り危機回避準備として体内に居る時から五感情報を胎児は集めているのです。
『可能型激励より限定型激励の方がモチベーションは上がる』
褒め方は『可能型激励』と『限定型激励』の二種類に大別され人は前者より後者をより好む。それは生物学的根拠に基づいている。
例えば上司が部下を褒める際"君でもできるから"と褒めるより"君にしかできないんだよ"と褒める方が明らかにモチベーションの増減が違います。
それは生物学的生存本能を刺激するから。
前者は大同小異でその他大勢の中での評価にすぎずフォーカシングは広い。
後者はその逆で大勢の中での限定となりフォーカシングは狭い。
前者は上司により必要度が低いが後者は必要度が高い。
大切な事はこの"必要度"である。
"必要度が高い"と周りが自分を助け自らの身はより安全となる。
"必要度が低い"と周りは自分を無視し自らの身は危険になる。
硬い鱗も鋭い牙も持たず自らの力で身を守る術を持たない人間が生き残る唯一の方法は敵からの注目を逸らす事。
その為には自らの周りに自ら以外の存在を多く配する事が必要なのです。
心理学的に理解をできると褒め方一つで随分自分への評価は変わるのですw
初心忘れるべからず
おはよう御座います。
最近妙に疲れが酷く夜は消灯時間を過ぎ直ぐに休んでいます。
以前は愛方と23時過ぎ迄Skypeとかしてましたがその余力も今はなく(^^;;
花粉の影響と長期に渡る入院生活のダレというか疲れが出てきているのだと思います。
丁度退院予定日一週間前となり今一度気を引き締め直さないと行けないなと自戒を厳しくしています。
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