常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年11月29日木曜日
人はどこで人を認識するのか?
人が人を認識するのは何処だと思いますか?
顔?身体?声?匂い?それとも触れた感覚?
多くの人が人が人を認識するのは”顔”だと思っています。
だから一般的には”整形”した人は誰だか解らないと思われています。
されど実はそれは間違い、人が人を認識するのはその五感で感じる物全てです。
もし視覚的にしか人を認識出来ないのであるならば視覚障害を持っている人は何処で人を認識しているのでしょう?
それがもしも声なら聴覚障害者の人は何処で認識をしている?という事になります。
されど彼ら彼女らはそれを使える人以上に鋭敏に人を見分けられます。
その答えが先に述べた五感情報全てで人は人を認識しているからです。
以前お話をしましたが患者と生徒と教え子が偶々鉢合わせ私の事を話している場面。
三人共私の話をしているのですが三人共それは別人だと言い張りますwww
それは私が各々の接し方を変えているからです。
人は人を認識する際視覚情報だけでなく身振り手振り喋り方抑揚等で判断をします。
匂いもその内の大事な要素の一つ。
故に私は会う人毎に香水を変え同じ人に同じ香水を使っています。
故に香り一つ違っても人は”似ているけど普段と使っている香りが違うから別人かな”と思う訳です。
逆もあります。
私の人生初の草の根ネットでのオフ会での出来事。
まだお互いの自己紹介が済む前にユーザー各位が私だと認識されました。
それは書き込む内容と喋り口調が同じであったからw
これも私が意図的にやった事です。
私のセラピーを受けた人の中にセラピー後人からの関わり方が変わった方は多数います。
人の態度が優しくなった、理解を示してくれるようになった、人間関係が修復された等。
私は何も衣服やメイクや整形で顔かたちを変えた訳ではありません。
では何故?答えは心の向きを変えたからです。
人間心の方向を少し変えるだけで視野が全然変わります。
視野が変わればそれが脳の刺激となり立ち居振る舞いに変化が出てきます。
変化がその人にとって好ましいものであるならばその変化の幅は更に広がります。
その結果同じ人なのに違う人だと、別人だと言われる人になれるのです。
別人なのですから当然受ける印象与える印象が違い相手の接し方も変わってきます。
これで私は多くの人間関係トラブル解消に寄与をして参りました。
つい先だってもそれで家庭トラブルを回避させ夫婦円満家族円満にした例があります。
先の立てこもり事件のウォール書き込みでも述べましたが大事なのは生育環境です。
しかも親元を離れてからの生育環境が大事です。
幾ら金持ちで家柄も良く高貴な出の人でもその人のその後の人生によっては人後に落ちる非人となる可能性も十分にあります。
大事なのは生まれではなくその後の育ちの方。
それを間違えるととんでもない結果を生みます。
それを間違えた人の道を正し本来その人が歩むべき道を歩ませるお仕事をしています。
2012年11月26日月曜日
免疫系疾患はお薬でなくても改善が可能というお話
免疫系疾患はお薬でなくても改善が可能です。
免疫力向上の鍵は自分という存在の多面性を知り精神的逃避場を作る事。
ほぼ全ての病気の改善が可能となります。
例えば呼吸器系の病気の殆どが咽喉等及び内臓疾患が原因である事は知られて居ますが更にその多くが心因性である事は各々の学会でもまだ余り知られて居ません。
私は其処に着目し長年の研究の結果その改善策を見つける事に成功しました。
私自身現在も上気道炎という呼吸器系疾患に苦しめれています。
喘息系疾患で冬場になると喉がいがらっぽくなり咳が止まりません。
幾つも呼吸器系科を受診するも中々改善されず遂に自分でその原因を探り改善に成功しました。
今も完治には至って居ませんが随分症状は軽くなりました。
私自身の理論の殆どはこのように自らの身で実体験をし臨床実験をした結果編み出された物であり机上の空論ではありません。
理論とは実践され役立ってこそだと言うのが自論。
これからも自らを臨床実験体とし多くの実証的理論を編み出して行きたいと思っています。
今回の銀行立てこもり事件に対する常態行動心理学的分析
恐らく今回の立てこもり事件も加害者の家庭環境にスポットが当てられるであろうがそれは下衆の勘繰りであり物見遊山な報道価値のない報道であり噂好きのおばさんの知的欲求を満たすだけの報道側の知識レベルの低さを露呈するだけの自己満足報道に過ぎない。
こういう報道を見る度に甚だ一株主としては嘆かざるを得ない。
もしも家庭環境に何らかの問題が有りそれが犯罪の引き金を引く要因となっているならば今の世の中犯罪者だらけである。
どこの家庭にも必ず何らかの家庭環境に問題がありそれが無い家庭は恐らく存在しない。それはその問題を如何に解決するかによってその後の子供の成長が変わっていくからである。
だが尤も重要なのは自立後の生育環境の方である。
これこそが我が”常態行動心理学”の妙である。
生育環境における五感情報から来る刺激は家庭内よりもその外により多く情報源がある。
それは親が子の変化に疎いように子も又、親から日常的に受ける刺激に慣れてしまいそこから得られる情報量は余り多くない。
そうなれば結果情報を求めるのは外界という事になる。
外界には内界(家庭)にはない様々な刺激に溢れている。
脳は刺激を受け成長しそれが信号として体の各部位に伝えられ体自身も成長していく。
デビューしたてのアイドルが数年後急に大人びる原因の一つが実はここにある。
家庭環境とは全く異なる生育環境で生きて行く為場を構成する者と姿形を似せようとする。
周りは皆自分より年齢的にも経験的にも上の方々ばかりである。
その方々と対等に或いは上位に位置する為には自らの立ち位置も上に置かねばならない。
それがアイドルが数年で大人びる一番の理由である。
閑話休題
今回の犯罪において重要な事は現代社会に対するアンチテーゼを投げ掛けている事である。勿論その投げ掛け方には大きな問題が有りその投げ掛け方自体は間違いであると言わねばならない。だが投げ掛け方に問題があったとしても問題提起自体間違いは恐らくない。
彼も彼なりに今の国を憂う憂国の士の一人であった。
だがその示し方にかなりの問題があっただけである(だがそれが一番大きいのだが)。
彼を凶行に借りたてた物、それはやはり彼が親から自立後の生育環境であろう。
その中で何処か歯車が狂い其処に親も本人も気づけず凶行に及んでしまったというのが恐らく原因であろう。
多くの”専門家”という肩書きを持った素人は”家庭環境”にスポットをあてたがるがそれは更なる犯罪者を生み出す事を助長させるに留まり犯罪抑止には至らない。
馬鹿な親はその報道を見てより厳しく子供を正しい方向へ導こうとするだろう。
されどそれこそが犯罪の温床となる事に気付いてはいない。
当節巷を騒がした『北風と太陽』作戦に同じ。
『北風=厳しく』だけでも『太陽=放任』だけでも子供は正しく成長をしない。
その両面を持ち何より子供の『声にならない声』に耳を傾け聞く姿勢を持つ事こそ大事。
それこそが第二第三の犯罪を抑止し犠牲者を出さない最良の方法だと私は信じて疑わない。
2012年11月25日日曜日
質素倹約を尊ぶより稼ぐ方法を考えよう
日本国憲法で保証されている基本的人権の中の『健康的で文化的な生活』という条文の中に『幸福の追求権』という物が新たに加わった事を知る人は案外少ないかもしれない。
良く極貧生活や節約生活の企画物を近年TVで見かける回数が増えた。
過日も某巨大ガールズユニットの内の一人が某番組の節約生活の企画脱落した事にマスコミ各社芸能人からも批判された記事が出ていた。
徳川吉宗公以降質素倹約を尊しとする風潮は日本に強く根付いている。
確かに島国且つ単一民族で資源に恵まれない日本においては質素倹約は日本人が生きる術として必要な事だったのかもしれない。
サバイバリゼーションの観点から見ればそれは勿論外れては居ない。
人間生きて行く為には必要最低限の物があれば生きる事はできる。
されど生物学的生存と人間の『文化的生活』は実は大きく異なる。
人間が他の動物と異なり文化を持ち地球上で進化し生き残れた理由の一つに人間が持つ『欲望』という部分を決して外す事はできない。
勿論他の動物にも『欲望』はある、だが『理性』はない。
先の二律背反の話と同じ、この二つのバランスのお陰でヒトは地球上で知恵を持ち文化を持ち長く地球でその存在を許されたのだ。
人間がこの二つを持ち合わせていなければとっくに自然に淘汰され人間という生物はこの世に存在しなかったであろう。
『理性』とはいわば『節制』と言い換える事もできるであろう。
されど先のバランスと同じ、『節制』があれば当然『消費』もある。
この『節制』と『消費』のバランスが上手に取れている人は『幸福』に生きている人だと言わねばならない。
されど中々人間このバランスを保つ事は難しい。
『消費』に過ぎれば財を失い『節制』に過ぎれば心を失う。
どちらも『過ぎたるは猶及ばざるが如し』である。
年末に近くなり皆さん『質素倹約』に必死になっている。
だがそれもまた『消費』へ向けての物である。
飽く迄『節制』を主目的にしてはならぬと私は考える。
『節制』は私から見れば美徳でも何でもない。
それも過ぎれば我が目には『悪徳』にしか見えない。
今の世の中『稼ぐ方法』は幾らでもある。
勿論犯罪や人様に顔向けできない商売をせずともである。
創意工夫で『節約』するより創意工夫で『稼ぐ』事を考えよう。
それが人間が『健康で文化的かつ幸福を追求できる』存在である証である。
その方法は私がお示し出来ます。
何事もバランスが大事だという常態行動心理学的根拠
人間は欲望と理性を心に同梱せし二律背反な存在である。
故にバランスをとても大事にしている。
人間は不幸をとても嘆く、そりゃあ誰しも不幸にはなりたくない。
だが不幸を嘆く事が出来る人は実は幸いな人である。
何故なら不幸を嘆く事ができる人はその前に必ず幸福があるから。
ずっと不幸の人は幸福を知らないので不幸を嘆く事すら出来ない。
不安も又同じである。
不安を感じればこそ人はその不安を払拭する為に努力をする。
不安が無ければ人はその努力を怠って居たかも知れない。
不安があればこそ人はその不安を払拭する為に努力をし結果その不安を払拭できる。
そして一段階成長した自分の存在を其処に感じる事が出来るのである。
悪も同じ、悪の存在があればこそ悪を憎み善を尊ぶ事ができるのだ。
前だけならば悪を知らず結果其処に成長を見て取る事は出来ず。
悪があり悪を憎む心があればこそ人の成長は叶うのである。
だがどちらもバランスが大事。
どちらが多すぎても少なすぎてもバランスは崩れお心の均衡も保てなくなる。だが中々このバランスを保つ事が人は困難である。
だからこそ我々のような心理職がその失われたバランス感覚を取り戻し正常なお心に戻して差し上げるのである。
そういう意味で我々はバランサーであらねばならぬと考えている。
まぁそのバランサーたる我々も中身は結構不安定な者だが(笑)
2012年11月23日金曜日
児童文学が大人には読み難い常態行動心理学的根拠
『児童文学』は大人には読みにくい文章です。
何故なら対象層が違うから。
児童文学の読者対象層は児童。
当然漢字を少なく平仮名を多く利用しています。
人間の脳は普段読み慣れている文章で脳処理を行っています。
其処にいきなり平仮名多用文章を読ませられると脳はその視界情報変化に戸惑い理解力を落とします。
それを読んでいる大人は解らないので児童文学なのに読むのに時間がかかりすぎると焦ります。
焦ると当然理解力は落ちます。
これが大人が児童文学を読み難くしている大きな要因です。
児童文学と大人が読む純文学は全くの別物です。
英語を理解できない人がいきなり洋書を読むのに等しい行為。
それを克服する為には洋書の時と同じ。只管読み漁る事です。
読み漁る事で脳が児童文学の文体や文脈作りを理解します。
当然平仮名多用文章も脳が認識し馴染みます。
そうするとスラスラ読めるようになります。
児童文学だから読めると過信すると大きな落とし穴が待っているので御注意をw
秋の行楽を100倍楽しむ常態行動心理学的方法
紅葉の美しいこの時期は山登りやウォーキング等アウトドアを楽しむ人がとても多い。
その際自らの体力を気にされる方が多いが鍛えるべきは体力ではなく寧ろ気力の方です。
気力が充実していると長時間の移動でも疲弊感を余り感じません。
されど気力が減退していたら体力がまだ実際は有っても動けなくなります。
疲労感と言うのは実は体力の減退からくる物ではなくMonotonic behavior(単調行動、この場合は歩く事)により増して行きます。
移り変わる季節の風景の移ろいを目で感じ空気の匂いの変化を鼻で感じ気温の変化を肌で感じ囀る鳥や自然の音の変化を耳で感じ清流の冷たさを舌で感じながら移動する事。
季節を五感全てで感じ移動しながらも常自然の変化を感じ取る事。
つまり移動時の単調行動の疲労感を如何に回避するかが大事なのです。
休憩時大事なのは体力を回復する事だけでなくこの単調行動からの脱却こそが休憩の一番の目的です。歩く事を一時休止する事で単調行動から脱却できそれは係るストレスという荷物を其処に下ろす行為でもあります。
言うなれば『荷下ろし鬱』の逆バージョン。
この場合は『荷を下ろす事』が『鬱屈した感情をクリアにする行為』となり活力の回復に繋がります。
体力の回復とは実は精神力の回復でもあるのです。
スポーツ選手も素人も人間としての器に大差はありません。
筋力や運動能力よりも大事なのは気力です。
私はメンタルトレーナーとしても多くのスポーツ選手を育成してきました。その際一番気を配ったのがスタミナ回復を如何に効率的に行うか。
既述の様に体力回復の鍵は気力の回復です。
その方法を伝授し様々なスポーツで結果を残させて来ました。
どうか秋の行楽シーズン、気力満タンでお楽しみください。
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