常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年12月31日月曜日
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)不要論
日本人にとって取り分け政府にとって沖縄と北方領土はまだまだ『日本国』という位置づけではないように思える。
その一つが山本一太議員が担う『内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)』という肩書き。
勿論沖縄と北方領土の問題はとても大事な問題であり専門担当部署を設ける事自体に異議を申し立てるつもりはない。
されどどちらも『国土』という位置づけであるならば『国土交通省』の担当である筈。
事実、沖縄と北方領土以外の『国土』に関しては『国土交通省』の管轄だからである。
更に言えば『内閣府特命担当大臣』は内閣府に置かれている。
これも又、沖縄や北方領土が他とは違う扱いを受けている証拠である。
これを全て『国土交通省』が担えばもっと領土問題を身近に捉える事ができるのではないかと私は思う。米軍基地問題も恐らくこの制度が大きく邪魔をしているように思える。
米軍基地が置かれているのは紛れもなく『日本国領土』である。
ならば『国土交通省』の管轄であるべきである。
よそ者が日本国領土内で問題を起こせば当然国法によって裁かれるべきである。
最近はやっとそれが”当たり前”となってきているようだがまだまだ”日米地位協定”に阻まれている部分もある。
戦後50年が過ぎそろそろ『米国日本州』と言う属国意識は取り除かれるべきではないか?
在る米国人の話をすると一部の米国人の中では未だ日本を『属国』と勘違いしている米国人も少ないという。米国におけるハワイ州と同じ位置づけにある者も少なくないと聞く。
こういう認識が国内で在る事自体が既に間違いでありそれを正さぬ政府にも大きな問題がある。瑣末な事と言う無かれ、その瑣末な事が今、大きくクローズアップされているのだ。
一部の傍若無人なる振る舞いをする異国人の中には”属国意識”を持つ者もいる。
その”属国意識”が犯罪を助長させていると言っても過言ではない。
先ずは日本国政府からこの考えを変えるべきではないかと私は考える。
沖縄も北方領土も元は別の国の物であった、それを日本国人が戦争で奪い取ったのだ。
その責任を日本国政府は負わねばならぬ、その重さを感じねばならぬ。
未だ昔の人は自らの事を”琉球人”だと”アイヌ人”だと呼称する方々がいる。
”日本国人”とされても”魂”はそれを拒絶している証である。
その一つが政府による”差別意識”である事は否定できる物ではない。
沖縄も北方領土も”日本国領土”とするならば政府も考えを改めるべきである。
もっともっと沖縄や北海道及び北方領土の方々の”切なる叫び”に耳を傾けて頂きたい。
それが我が願いである。
2012年12月29日土曜日
突発性難聴は病院に行かずとも治ります
今年も後二日。
年末年始を海外やテーマパーク、或いはライブハウス等で迎える人も多い。
年末年始は特に紅白を皮切りに音楽イベント目白押しで音楽好きには堪らない。
その際に問題となるのが『突発性難聴』である。
今年はこの病気に罹患しライブ活動を一時休止せざるを得なかったアーティストが多かった。ご存知の通り突然耳の聞こえが悪くなり或いは聞こえなくなる病気で五感の内の聴覚が突然奪われる訳だからそりゃあ驚くのなんの。
人間は恒温動物でとても変化に弱いので変化に対してとても過敏に反応し自らの身を守る性質を持っている。花粉症などがその好例である。
実は『突発性難聴』もこの機能が働いた結果起こる『自己防衛性疾患』である。
『自己防衛性疾患』とは風邪等に代表される物で大病を避ける為に小さな病で人間自身に身体の異常を警告注意を喚起し大病を避ける予備疾患の事。
音響機器における『フェードアウト』現象を体で体現したものそれが『突発性難聴』の元である。所が音響機器における『フェードアウト』と違うのは解除方法が違う所である。
これこそが『常態行動心理学』の妙である。
『突発性難聴』に罹患する人は普段から大音量を耳にしている人が多い。
故にアーティストじゃなくても趣味で音楽活動をしている人とかヘッドフォンで移動中も部屋の中でも大音量で聞いている人とかもその範疇である。
そういう人の場合鼓膜や脳への刺激を抑える為に脳が自律的に『フェードアウト』を起こす。されど音を小さくしても『常態行動』により脳がそれを認識するのに時間が掛かる。
人間は急激な変化に弱いので徐々に改善して行き変化を最小限度に抑える性質が生物学的及び生態学的に備わっている。
改善方法は一つだけ。
聴覚を研ぎ澄まし小さい音でも聞こえる耳を持つこと。
雑音という奴は『聞く事』に集中すれば余り気にならなくなる。
例えばF1レーサーがあの数台にも及ぶエンジン音の爆音の中『静寂に包まれる』事がある。それは最大限に集中力を高め運転のみに全神経を研ぎ澄ませ集中させた結果である。
彼らはプロで我々は素人だから出来ないは単なる怠け者の言い訳でしかない。
実際何度も何度も満員電車内で音量を落としてヘッドフォンで聞く訓練をさせた所、
静かな場所でも聞き取りにくい音量でもちゃんとその音を聞き取れるようにできる。
これこそが先に述べた『常態行動』の妙である。
目のご不自由な方が目が自由な人よりも早く確実に歩ける所以がここにある。
片足のないおっさんが車椅子でバイクと並走できる理由が此処にある(笑)
ヘッドフォンをすれば問題がないわけじゃありません。
ヘッドフォンをしても大音量で聞いていたら意味がありません。
楽しく音楽活動をするためにも是非常態行動に心掛けて見て下さい。
2012年12月28日金曜日
年末の大掃除が中々終わらない常態行動心理学的根拠
この時期我が家もですが何処も『大掃除』の時期です。
普段大まかなお掃除はしても細かい所迄は中々時間的制約が有りできません。
一年の計は元旦にありと申します。
元旦を気持ち良く迎える為にも風水的に金運を呼び込む為にもお掃除は欠かせない。
されど私もそうですが中々大掃除と言うものは終わらないものです^^;
普段気づいていても見て見ぬ振りをしている箇所の何と多い事か(笑)
この際だから一気に片付けてしまおうとついつい要らん欲を出してしまいます。
されど実はこの要らん欲が大きな落とし穴。
普段使わない筋肉を使い、普段使わない姿勢を取り、普段掛けない時間を掛ける。
これが常態行動心理学的には疲労感を増す原因となります。
何度も此処で触れていますが人間は変化にとても弱い性質を生物学的及び生理学的に持っています。
読んで字の如く”大掃除”ですからそりゃあもう”大変化”な訳です。
これに先ず視界がついて行かない。
更に先に述べた通り普段使わない筋肉や普段使わない姿勢を取る事も常態行動心理学的には脳が誤動作を起こす原因となります。
受験など試験対策の際の脳の使い方と大掃除の時の脳の使い方は実は働きが違う。
前者は減って行く宿題や課題を見てやる気を奮起させるのが私の受験テクニック。
後者はこの方法では実は駄目なんです、何故なら体の使う部位が違うから。
受験で使うのは脳とせいぜい使っても腕です。
されど大掃除では使うのは脳だけじゃなく全身の筋肉です。
これは当然消費される運動量が違い溜まる疲労も桁違いです。
故にラストスパートが中々掛けにくいのが現状です。
ランナーズハイに中々なりにくいのは脳の内の特に視界情報の変化に乏しいから。
ゴール近くになると当然見えてくる景色は変わってきます。
されど大掃除は室内なので見える景色は余り変わりません。
掃除をして綺麗にはなっている筈ですが配置換え等をせぬ限り視界情報が更新されてもその更新を脳が中々認識してくれません。
これが実は『ルーティンワーク』となり人間の苦痛に変わって行きます。
人間にとって最も過酷な労働は”変化が見えない事”なのです。
故に大掃除の際の後少しになると突然今まで我武者羅に頑張ってきた疲労感が一気に体に現れ後少しが中々手が出ないのです。
そういう時はどうするか?勿論休憩をいれるのです。
後少しなのにと言われるかもしれませんがこの後少しを一気に片付けてしまう為には小休止が必要不可欠。
特に大掃除中に失われた糖分や水分を充分に補給しましょう。
何より椅子に深く腰掛け”休んでいる”事をちゃんと脳に伝えましょう。
すると脳は”休んだ”と認識し体内に溜まった披露をちゃんと除去してくれます。
”後少し”を頑張る為に”小休止”は必要不可欠である事を忘れないで下さい。
そうして新年を気持ちも新たに迎えようではないですか。
2012年12月27日木曜日
美の種を発芽させるお仕事をしています。
言わずもがなであるが我が女性友録は他の女性友録から見ても”美女揃い”であるようだ。
嘗て何度かリアルに女性友録さんにお会いしそういうお話を頂戴しているからである。
そしてそれは至極当然の事、何故なら”顔”で選んでいるから(笑)
だって”心の美しさは顔に出る”からです。
例えどんなにメイク技術や撮影技術や果ては整形技術が発達しようとも”心”までそれらの技巧が及ぶ事は有りません。
”心”は人の手で”変えられる”物ではなく己の精進のみで変えて行くものだからです。
幾らメイクや撮影技術や整形技術が発達し見栄えをよくしても”心の醜い”人はその”醜さ”が必ず顔に、態度にそして言葉に出ます。生来の”醜さ”はどうやっても隠せる物じゃない。
生まれや育ちが関係していると思われがちですが然に非ず。
どんなに過酷な環境に生まれ育っても”心健やか”なれば必ず”美人”に育ちます。
その証拠が”戦火に生きる子供達の表情の美しさ”です。
彼ら彼女らは明日をも知れぬ命の中で懸命に生きようとしています。
その真剣さが彼ら彼女らの”美しさの元”になっています。
家でのパパはみっともなくても仕事中のパパがカッコ良く見える一番の理由がそれ。
人は何かに一生懸命になっている時の顔はとても素敵なのです。
美人が美人たり得るのはメイクや撮影技術や整形技術等”人の手”による物ではありません。それは常日々の自身の弛まない努力による物です。
されどその努力も人を押しのけ或いは陥れのし上がろうとするのでは無意味。
人を押しのけ人を陥れるは自らを押しのけ自らを陥れる愚行なり。
何故ならば人も我も同じ”人間”だからである。
人を陥れ人を押しのけるは自らも同じ境遇に遭う事と知るべし。
心理職となって二十年を超えました。
今迄老若男女を問わず国を問わず万人単位でお世話をさせて戴いて参りました。
その中で”絶世の美女”もいれば”側に居て同じ空気を吸うことすら汚らわしい人”も居ました。
私はフリーランスなので人を選ぶ事ができます。
お金が無くても自らのお心を真剣に治したいと思われる方には採算度外視で挑みます。
お金に富んで居ても人の頬を札束で叩くような屑には一兆円積まれてもお断りします。
事実遥か昔或大物政治家の馬鹿息子を治せと大枚持ってきた親バカ政治家が居ました。
世間体を気にしてフリーランスである私なら情報漏洩がないと思われたのでしょう。
されどその態度は飽くまで上から目線横柄で馬鹿息子も全く他力本願で治す気なし。
私はそのまま戸外へ追いやり戸を閉めました。
無駄に人脈があり経済封鎖をされましたがそこはそれ。
凡ゆる機関に圧力を掛けても私はフリーランス。
同胞からの依頼まで圧力を掛ける事は出来ません。
私が居住型から移動型に変えた経緯は其処にあります。
閑話休題
所謂”マテリアルビューティー”な女性のウォールはいいね!ボタンは無数にあれどコメントなしが多く”ナチュラルビューティー”及び”パーフェクトビューティー”な女性のウォールはいいねもコメントも相当数有ります。
これがその真実です。
私はこれからも”美女大好き”を公言し続けます。
そして我が”心の施術”で”本当の美女”を世に送り出したいと思っています。
貴女の中の眠っている”美女の種”発芽させて見ませんか?
或いは貴女の中で”育っている美女の種”の存在に気づいてあげませんか?
そのお手伝いを私がさせて戴きます。
イブの夜に安部内閣に思いを馳せる。
去年のXmasは丁度ガス壊疽罹患し入院直前(この時はまだガス壊疽である事も足を切断する事も入院する事すら予測不可能な時期でしたが)でディナーは愚かステーキ一枚すら完食出来ない程でした。
今年のXmasはディナー完食後お酒まで数杯頂戴する程に回復し愛方共々元気になった事をお祝いしました。
24日は流石に予約で一杯だったという山口グランドホテル内レストラン『アゼリア』。
されど本日はXmasディナーを頼んだのは我々一組だけ。
もう御一組予約席が有りましたが我々が会食途中席のリザーブが外されました。
その後紳士が数名来店されディナーを注文されるもXmasディナーではなし。
帰り際ちらりと母の車の車内から道路沿いの店内を覗くも店内に人影なし。
まぁ流石に21時もすぎると我が田舎町はゴーストタウンの如き様相を呈し夜間灯以外の光は無しと言う世界なので余り違和感は感じませんでしたがそれでもやはりまだXmas。
去年の丁度今頃はまだ結構な人だかりが有った気がします。
それは場所を変えても同じでした。
去年も今年と同じく愛方を駅まで送り電車を見送った後帰宅します。
これは私が10年間ずっと続けている言わば常態行動の一つ。
時期が時期だけにカップルや家族ずれが去年は結構多くこの時間でも駅構内はいつもの如く賑わっていました。されど今年はカップルの姿なく仕事帰りのサラリーマン氏数名と忘年会帰りと思われる若い同僚数名とすれ違ったのみ。
ちらりと愛方が乗る電車を見ましたが何時もは立ったまま座る場所がない程ですが今日はスカスカ。恐らく無事着席し帰宅できた物と思われます。
現在愛方は某100均に勤務しており其処でも去年との違いを認識できました。
我々は去年は購入者側でこの時期はメイクグッズが良く出ていたのを覚えています。
今年は相方は販売者側でしたがhomeXmas商品が馬鹿売れしたそうです。
事実山口駅通りにある某ダンススタジオで24日催されたXmasパーティーでは愛方が勤務する百均での品物が通りに面した窓からもはっきりと見えるほど飾り付けで一杯でした。
ここ二日間余り商店街に人だかりはなく早々にシャッターを下ろす何時もの風景。
帰宅途中の家々の窓には楽しそうにXmasを祝うカップルや家族の姿がありました。
家族やカップルの絆を強めお互いの結束力や愛情を高めるという意味に於いてはとても喜ばしい事であり推奨されるべき事だと思います。
されど経済面に於いては今日のレストランもそうでしたが外で会食する事もなくお泊まりをするでもなくプレゼントも高価なブランド物を買うでもなくお金を外に落とす習慣が徐々に薄れている事に若干の恐れを抱いて居ります。
過日も此処で申し上げましたが安倍新総裁が打ち出すデフレ対策は国内経済の立て直しを核とした物であり国内生産高は上がるかもしれません。しかし外貨価値としての日本円の価値を下げる結果となり輸入業者への皺寄せ、免税店への皺寄せ、取り分け旅行代理店や旅行業者への皺寄せは相当な物となる事は必至です。
勿論それに関わる商品を扱っているお店も少なからず打撃を食らうでしょう。
其処に追い打ちをかけるように消費税引き上げを行えば益々買い控え現象がおきます。
国内生産高を上げるために行った筈の政策が結果国内生産高を貶める結果となります。
TPPについて自民党は最初から不参加を表明し政権奪取後更にその勢いは増すでしょう。
それ自体は反対すべき事ではありませんが少なくとも先進諸国におけるイニシアティブは今後取れなくなる事は間違いありません。
安部政権が目指している物が何処へ向かっているのか?
今の私にはまだそれを推し量る術はありません。
されどアンチ民主票だけでもしも政権を奪取しただけであるならば前々回と同じ結果を四年後迎えそして二度と奇跡の大逆転劇は起こらないでしょう。
国民も馬鹿じゃない。
或る女性政治家(自民党)に国民が言ったそうです。
”もう一度あんた達に掛けて見る、されどこれが最後だ”と。
これは一国民の声ではなく現日本国民の総意であると私は思います。
それを安部政権は決して失念せず在民主権を貫いて欲しいと願います。
神は見てござる、聞いてござる、知ってござる。
光の暖かさを暖かいと感じられる人は影の冷たさを知る者のみである。
影の冷たさを冷たいと感じられるのは光の暖かさを知る者のみである。
互いの存在を確かめた者のみその存在の有難さを知る事ができる。
暖かさを求めたくば先ず影の冷たさを感じる事である。
冷たさを求めたくば先ず光の暖かさを感じる事である。
各々の存在を知らずして対を成す存在を知る事は能わず。
人が冷たいと感じられる人は人の暖かさを知る者である。
人が暖かいと感じられる人は人の冷たさを知る者である。
人の暖かさを知らぬ者が人の冷たさを知る事はない。
人の冷たさを知らぬ者が人の暖かさを知る事はない。
成功を欲する者は失敗を恐れる者のみである。
失敗を恐れる者は成功を恐れる者のみである。
真に成功を欲するならば失敗を恐れぬ事である。
真に失敗を恐れたくないならば失敗を是とする事である。
富を欲する者は富が無い事を嘆く者である。
真に富を欲するなれば富がない事を嘆かず今有る自分に感謝をする事である。
神は見てござる、聞いてござる、知ってござる。
2012年12月21日金曜日
向き不向きの心理学〜或いは向いていないは向いているのサインの心理学〜
人には誰しも向き不向きがある。
私は心理職は天職だと思っているし周りもそのように思って下さる方が多い。
されどそれ以外の仕事は色々と過去経験して見たが向いている仕事は見つからなかった。
器用貧乏とはよく言った物で凡ゆる職種の方のお心を読む事とその仕事に就く事は同義ではない。
色々な職種の方から”私の仕事先生は向いてますよ”と進言を頂戴する。
それはその人のお心の中を読み職業的悩みを解決差し上げたが故である。
だがそれは私が専門職だから出来る事でありその職種の経験があるからではない。
人がやる事には須らく”心”が介在し”心”が介在しない仕事は存在しないというのが持論。
その通り私は凡ゆる職種を持つ方々のお悩みを聞きそれを解決へと導いてきた。
凡ゆる職種に就く人の行動を具に観察すればその人の行動様式が見えてくる。
それが見えてくるとそれらの行動の中に現時点の問題点や改善点も見えてくる。
それをお示しする事でお心の中の問題や悩みを解決差し上げる。
それが”常態行動心理学”である、先ずその人の”行動”を観察しその行動に至る”心”を分析する。さすればその”心の問題”に迫る事ができる。
されど言うは易く行うは難し、経験と知識が物を言う世界。
誰しもが出来る事ではないと自負をしている。
閑話休題
所謂その職業に”向いている人と向いていない人”がいる。
人からその職業に向いていると言われている人の中には本当にその素質がある人がいる。
それはその人の隠れたスキルにより誰かが恩恵を賜われた証拠である。
だが恩恵を与えた相手は無意識にそれを行っているのでそう言われもピンとこない。
されどそれを言う人は間違いなくその恩恵を賜った人かその場面に遭遇した人の筈。
それなしに”向いている向いていない”を判断する事はできないからである。
されど”向いていない”に関してはこれはそう簡単にはいかない。
”向いていない”言う人は二種に大別される。
一つは”向いてない”と言った相手から何らかの不利益を蒙った場合。
解りやすくいえば”ジャイアンリサイタル”で聴衆した人は”歌手になる”事を”向いていない”というであろう。
何故ならその為に毎回聞きたくもない歌を聞かされる羽目になるからだ。
今一つは”向いていない”と言った相手が自分より多く利益を得るのを阻止する場合。
此れも解りやすい例を出して説明しよう。
”とても似合う服”を女友達が着て居たとしよう。
その服を見た”自分が気に入っている男性”がその服を着た彼女に好印象を持ったとする。
すると”似合っている服”を着られる事でこの女性は”意中の男性”を逃す可能性がある。
そうなれば当然”似合っているのに似合っていない”と言いそれをきせまいとする。
何もこれは女友達に限定しない。
家族や彼氏もその範疇となる。
家族と言えど同じ女性、当然嫉妬心はある。
彼氏と言えど同じ男性、他の男性が好意を持たれる服は着て欲しくないであろう。
生物学的生存本能と所有意識からくる言葉である事に目を向けるべきである。
以上の様に”向いている”とする場合はその言葉を素直に受け入れその道を未来の選択肢の一つとして考えても良いと私は考える。
されど”向いていない”とする言葉をそのまま鵜呑みにする事は反対である。
先ずその反対をする人との”人間関係”を考査しそれが”正しい選択”であるかどうかを精査する必要があるだろう。
案外この”向いていない”を言われた事が原因でお心を病む結果に至る人も少なくない。
くれぐれも御注意を。
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