常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2015年7月1日水曜日
新幹線放火事件に見る自己認知欠乏症候群について♪
本日のテーマは『新幹線放火事件に見る自己認知欠乏症候群』について。
白昼東海道新幹線車内から白煙が上がり二名の方が無くなり多くの乗員乗客が負傷し、数十万人の足を止めた放火事件について様々な報道や意見が述べられ一躍彼は時の人となった。
実はこの時の人となる事。
それこそが彼の真の目的と言える。
報道から見る彼の行動を常態行動心理学的に分析するとある一つのキーワードが浮かび上がる。
それが表題にもある『自己認知欠乏症候群』である。
勿論これは私の造語である。
だが最近この精神疾患の罹患者が急増してきている。
特に今回の加害者のような高齢者に顕著に見られる傾向である。
では『自己認知欠乏症候群』とはどのような病なのか?
例えば現役時代高学歴で一流企業や商社、或いは国の機関に就職し、多くの部下を持ち多くの人々から認知され続けていた人が例えばリストラに遇い、例えば定年退職を迎え職を辞したとする。
その人自身に人望や人徳があれば職を辞した後もその人望や人脈により再就職が叶ったりそれが叶わぬ迄も就職時代と遜色無い付き合いができたりする。
然れどその人自身に人望や人脈がない場合、嘗ての部下とすれ違っても無視をされ、それを咎めると既に私は貴方の部下ではないと逆に窘められる始末。
職業人の頃は多少横暴でも我慢が叶っていた配偶者も退職と共に積年の恨み辛みを晴らすかのような仕返しをされ反論も叶わなくなる。
誰もが己の存在を否定し誰もが己の存在を無いものとする。
嘗て己を褒め称え己の存在を認めていた者達すらも。
すると己の嘗ての愚行を反省するどころか己の存在を否定し己の存在を無いものとする事自体に腹を立てるようになる。
そして己の存在を認めぬ者に牙を剥き攻撃を加える。
例えばクレーム対応。
例えば近隣トラブル。
それらは全て認知欲求を満たす為の行為。
然れどそれらの行為をすればする程人は遠ざかり敬遠し離れていく。
暴走すればするほど社会から弾き飛ばされてしまう。
すると今度はそういう社会事態を恨むようになり社会に対する不満が募っていく。
嘗ての栄光が忘れられず其処に固執してそれを阻害する存在を憎み排除しようとする。
この頃になると完全に被害妄想が誇大化して自分以外全てが敵に見えてくる。
然れど此処でもやはり自己認知欲求は収まらない所かどんどんと肥大化していく。
そして最終的には自分を認知せぬ者を排除し且つ己の認知欲求を満たす行動に出る。
それが無差別殺人と言う最悪のシナリオ。
い揺る無差別殺人の根底にあるのはこれ。
即ち自己認知欠乏症候群である。
今回の事件もこれに類すると推察される。
我が同胞の中にも今回の加害者と類似性を持つ思考を有する者がいる。
己の自己認知欲求を満たす為に手段を選ばずと言う危険思想の持ち主がいる。
然れどどんな危険思想の持ち主であっても警察は事件性が無い物には手を出さない。
然れどそれ自体が今回のような大事件を産み出す温床となっている。
我々はそれを未然に防ぐ為にどうすればよいかを常、考えている。
経年によるsocial position changeは日本国内に於いては不可避の出来事である。
問題は寧ろその後に有る。
それまで職業人の間依拠していた者を全て捨てさせ新たな自己認知欲求を満たす物を提示し逸れにより前述のような事件を未然に防ぐのである。
この方法により私は今回のような事件の火種となる思想を消し去る事に成功している。
彼も又、日本の間違った思想の犠牲者の一人だと言えなくもない。
勿論それと彼が犯した犯罪は別である。
勿論それと彼が奪った命は別である。
罪は罪として断罪されるべきである。
今後国交省やJRがすべきは持ち物検査や警備の徹底等ではない。
そのような小手先の対処など無意味である。
所詮は対処療法であり完治には至らずです。
ならばどうするか?
それまで長年勤務してきた中で培われてきた様々なスキルを活かすのである。
日本人は姥捨て山信仰にあるようにお年寄りにはなにもさせない傾向がとても強い。
それが今回のような事件を生む温床となっている事を若者は知るべきである。
人が人としていきる為に必要な事。
それはお金でも地位でも名誉でも食べ物でもなく人から人として認知される事である。
我々はその認知欲求を満たす。
その事により様々な事件の防止を行う。
私はこれからも私自身のやり方で多くの犯罪を未然に防いでいく所存。
今日も元気に頑張りましょう。
本日はフランス語で。
Aujourd'hui, la date en interne . Le thème d'aujourd'hui est d'environ " pour voir l'auto- reconnaissance du syndrome de train de balle incendie criminel " . Blessé est éliminé bon nombre des passagers des occupants vers plein jour Tokaido Shinkansen fumée blanche monte deux personnes de la voiture , il a soudainement déclaré une variété de nouvelles et opinions concernant l'incident de l'incendie criminel qui a arrêté les centaines de milliers de pieds deviennent une personne de temps En fait, comme une personne à ce moment. Voilà ce que je dis à son véritable but . Vu le rapport l'un des mots-clés qui se dégage lorsque ses actions psychologie comport Par exemple, il affirme correspondance. Par exemple , le quartier des ennuis. Actes pour chacun d'entre eux est de satisfaire le désir cognitive . Natural Re etc. Hodohito que si leurs actions disparaissent boudé et loin . Le plus vous emballement auriez été sorti de la société . Ensuite, allez maintenant recrue est l'insatisfaction avec la société maintenant blâmer ce genre de situation sociale . Ancienne gloire est de coller à oublier pas que lieu d'essayer d'éliminer la haine de la présence de l'inhiber . A cette époque, il est et complètement paranoïaque est le battage médiatique de tous les autres que vous-même deviennent visibles à l'ennemi . Nous allons continuer à régulièrement Pour lieu de ballonnement ou Re naturel, etc. qui ne correspond pas toujours le désir d'auto- reconnaissa Crime devrait être condamnée comme un péché . Il est pas une enquête approfondie, etc., des effets d'inspection et de sécurité devrait être le ministère et JR avenir. Cette superficielle de l'affaire est dénuée de sens tels . Après tout, je suis mais n'a pas fait dans la guérison est un traitement symptomatique . Que faire si ? Et qu'elle ne l'est de profiter de la variété des compétences qui ont été cultivées dans que nous avons travaillé pendant de nombreuses années jusqu'à ce qu'elle . Les Japonais sont très forte tendance à rien aux personnes âgées d'être dans la foi de montagne jeté UBA . Jeunes qu'il est un terrain fertile qui produit l'incident comme celui-ci devrait savoir . Que faut-il pour une personne de vivre comme un être humain . Il est d'être reconnu comme une personne de la Les Japonais sont très forte tendance à rien aux personnes âgées d'être dans la foi de montagne jeté UBA . Jeunes qu'il est un terrain fertile qui produit l'incident comme celui-ci devrait savoir . Que faut-il pour une personne de vivre comme un être humain . Il est d'être reconnu comme une personne de la personne , ni la nourriture, même honneur en position aussi dans l'argent . Il répond au souhait cognitive . Il fait la prévention de divers incidents par cela. Je prêt à éviter beaucoup de la criminalité à l'avance à l'avenir de mon propre chemin . Vous permet aussi de faire de notre mieux pour la santé aujourd'hui. Aujourd'hui en français .
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