常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2015年7月28日火曜日
心神喪失に対する常態行動心理学的解釈について♪
本日のテーマは『心神喪失に対する常態行動心理学的解釈』について。
山口で起こった無差別殺人の判決が間もなく出る。
検察側は死刑を求刑し、弁護側は無罪を主張。
双方の意見は真っ向から対立している。
争点となったのは犯行時の被告人の精神状態である。
だが検察側、弁護側双方の被告人の犯行時の精神状態の在り方について私は一専門家としてとても違和感を覚える。
私の目には今回の事件は起こるべくして起こった事件であり且つ何処でも起こりうる事件であり偶発性はなく極めて必然的に起こった事件である。
元々の事件の発端は『異質性』にある。
加害者と被害者の間にある『異質性』。
これが事件が起こった最大要因である。
被告人は恐らく幼少期からこの『異質性』に気づいていたと推察される。
故に長く関東で働き仕事をしていたのだと思われる。だがやむにやまれぬ理由にて帰郷。
その頃はまだ両親も存命中でありその両親の存在が加害者と被害者の間の『異質性』を希薄にしていたと推察される。
されど両親の死後、両者の『異質性』は一気に顕在化しそれが双方の中の危機意識を増大させた。
被害者側も加害者側もその異質性の中で感じる危機意識を排除する為に異質性を持つ存在を場から遠ざけようとする。
その結果起こった悲劇だと推察される。
弁護側は無罪を主張しているが私は有罪だと考える。
此は極めて生物学的危機意識が起こした殺人であり当時の被告人の精神状態の遺憾は問う必要はない。
長い年月をかけて感じてた『異質性』が被告人の両親の死によって顕在化しそれが最悪のシナリオを作り上げたというのが真実だと私は考える。
彼には場を変えるという選択肢が有った。
様々な理由はあろうが最悪のシナリオを回避する方法は幾らでもあった。
だが双方場の持つ依存性に依拠し己が場を去る事よりも相手を自分の場から遠ざける事に注力した、その結果の悲劇である。
もしも今回の事件、無罪となった場合類似の事件は以後沢山起こりうると推察される。
それを避ける意味においても被告人は刑に処するべきと考えられる。
今日も元気に頑張りましょう。
本日は日本語で。
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