2015年7月18日土曜日

常態行動心理学的一般論症候群について♪

本日のテーマは『常態行動心理学的一般論症候群』について。 『一般論症候群』とは私の造語。 『一般論』と言う言葉に依拠し依存している方々の事を指す。 良く、『一般的には』と言う前置きで話す人がいる。 私もその一人である。 だがその時私は『勿論これが全てではありません』と前置きをする。 多くはこの前置きを省く。 だがこの前置きは省くべきではない。 何故なら『一般論』は流動的だからである。 例えば地域性。北と南で『一般論』は異なる。 例えば年代性。上と下で『一般論』は異なる。 例えば経済性。収入差で『一般論』は異なる。 例えば性別性。男女差で『一般論』は異なる。 このように『一般論』に普遍性は存在しない。 然れど多くの人はこの『一般論』に『普遍性』を付与する傾向がとても強くそれ故に多くの問題も生じる。 人間は『有限社会』の中で生きている、つまり寿命。 故に『永遠なる物』に対する憧れがとても強い。 『永久機関』の開発を未だ続けているのがその証拠。 だが『永久機関』が『永久機関』である事を確める術は人間にはない。 何故なら人間は『有限的存在』だからである。 何代にも渡り其れを管理していたとしても『永久機関』である事を確かめられる人は存在しない。 理論上では可能でも実践的には不可能である。 そして大抵の場合『理論』と『実践』は異なる。 故に私は『理論主義者』ではなく『実践的主義者』である事を望み其れを『実践』しているのである。 つまり人間が『一般論』を求めるのは其処に『普遍性』を求めるが故である。 だが先に述べた通り『一般論』に『普遍性』はない。 故に『一般論』に依拠する考えはとても危険である。 『一般論』を『錦の御旗』の如く振り翳す馬鹿がいる。 そういう馬鹿に私は『一般論』の持つ『流動性』を先の事例を元にご説明を差し上げるようにしている。 大抵はぐうの音も出なくなり口を紬ぐ事となる。 この『一般論』に惑わされ心傷つけられその結果、お心を患われて我が門を叩く人が後を絶たない。 その時、私はこの話を差し上げるようにしている。 大抵は得心され意気揚々と家路に着かれる。 私の知りうる限り学識薄い人間程『一般論』を多用し、学識高い人間は『持論』にて相手を説き伏せる。 私はこの『一般論』と言う奴がとても気にくわない。 故に『持論』にて相手を完膚なき迄叩きのめす。 叩きのめされた相手は二度と『一般論』を口にせず。 それが私の目的である。 貴方の間違った『一般論解釈』に心を煩わせている人がいる事を忘れないでくださいね。 今日も元気に頑張りましょう。 本日は日本語で。

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