常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2015年7月18日土曜日
常態行動心理学的一般論症候群について♪
本日のテーマは『常態行動心理学的一般論症候群』について。
『一般論症候群』とは私の造語。
『一般論』と言う言葉に依拠し依存している方々の事を指す。
良く、『一般的には』と言う前置きで話す人がいる。
私もその一人である。
だがその時私は『勿論これが全てではありません』と前置きをする。
多くはこの前置きを省く。
だがこの前置きは省くべきではない。
何故なら『一般論』は流動的だからである。
例えば地域性。北と南で『一般論』は異なる。
例えば年代性。上と下で『一般論』は異なる。
例えば経済性。収入差で『一般論』は異なる。
例えば性別性。男女差で『一般論』は異なる。
このように『一般論』に普遍性は存在しない。
然れど多くの人はこの『一般論』に『普遍性』を付与する傾向がとても強くそれ故に多くの問題も生じる。
人間は『有限社会』の中で生きている、つまり寿命。
故に『永遠なる物』に対する憧れがとても強い。
『永久機関』の開発を未だ続けているのがその証拠。
だが『永久機関』が『永久機関』である事を確める術は人間にはない。
何故なら人間は『有限的存在』だからである。
何代にも渡り其れを管理していたとしても『永久機関』である事を確かめられる人は存在しない。
理論上では可能でも実践的には不可能である。
そして大抵の場合『理論』と『実践』は異なる。
故に私は『理論主義者』ではなく『実践的主義者』である事を望み其れを『実践』しているのである。
つまり人間が『一般論』を求めるのは其処に『普遍性』を求めるが故である。
だが先に述べた通り『一般論』に『普遍性』はない。
故に『一般論』に依拠する考えはとても危険である。
『一般論』を『錦の御旗』の如く振り翳す馬鹿がいる。
そういう馬鹿に私は『一般論』の持つ『流動性』を先の事例を元にご説明を差し上げるようにしている。
大抵はぐうの音も出なくなり口を紬ぐ事となる。
この『一般論』に惑わされ心傷つけられその結果、お心を患われて我が門を叩く人が後を絶たない。
その時、私はこの話を差し上げるようにしている。
大抵は得心され意気揚々と家路に着かれる。
私の知りうる限り学識薄い人間程『一般論』を多用し、学識高い人間は『持論』にて相手を説き伏せる。
私はこの『一般論』と言う奴がとても気にくわない。
故に『持論』にて相手を完膚なき迄叩きのめす。
叩きのめされた相手は二度と『一般論』を口にせず。
それが私の目的である。
貴方の間違った『一般論解釈』に心を煩わせている人がいる事を忘れないでくださいね。
今日も元気に頑張りましょう。
本日は日本語で。
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