常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2015年7月17日金曜日
国内純文学作品に対する常態行動心理学的考察について♪
本日のテーマは『国内純文学作品に対する常態行動心理学的考察』について。
今年の芥川賞、直木賞が発表された。
その是非について敢えて此処では触れぬ。
されど近年の芥川賞、直木賞受賞作品を見ていると私はある種の危惧を禁じ得ない。
『読む』から『観る』への変化。
一言で表すとそうなる。
つまり此処近年の芥川賞、直木賞受賞作はその殆どが『映像化』を目的として選ばれていると言う点である。
確かにかこの古典的名作もその多くは映像化され名優による名演が光る作品となっている。
だが何故小説が映像ではなく文字で表されているのか?其れを今一度選考委員方々には再考を願いたい。
脳科学、神経学、及び我が専門の心理学的に分析すると文字の脳への情報入手と映像での情報入手は経路とその効果が異なる。
映像媒体は視覚だけでなく聴覚も場合によっては劇場鑑賞作品に限るが音響効果による振動、即ち触覚も刺激をする事となる。
最近では映像の中の薫りまで感じられる劇場もあるとかで驚かされるばかりである。
翻り文字媒体には聴覚や触覚、嗅覚を刺激する物は少ない。せいぜいページをめくる音や本の質感、本自体の臭いを感じる程度。
殆どは視覚から入る文字情報に依拠される。
この違いは脳と細胞にどのような変化を齎すか?
情報が少なければ少ない程神経学的な緊張は高まる。更に文字媒体のみだと己の過去の体験から得た五感情報からしか脳内では映像化できないので一人一人作品の脳内映像は異なる事となる。
脳内映像が異なれば結果的に作品に対する見方や感じ方が大きく異なる。
翻り映像媒体作品は見せる側がそれらを全て代行してくれるので想像の手間が省ける。
その分脳神経及び細胞の活性化率は低下。
実はこれが近年の活字離れの原因である。
本来は優れた純文学作品に賞を与えそれにより多くの国民に書物への興味関心を得て貰おうというのが元々の目的であった筈である。
それが近年は商業主義的に走り、純文学と言う分野に対する位置づけが大きく変貌するに至りそれが日本国民の活字離れを助長させる結果となっている。
問題はそれだけではない。
活字離れは細胞死滅率促進にも繋がる。
前述した通り得られる五感情報が多い分、進んで情報を得ようとしないので情報に対する刺激率は低くなる。
当然細胞活性率は落とされ結果的に死滅率が高くなる。
つまり寿命が短くなると言う訳である。
日本が長寿国と呼ばれているのはこれまで。
これからはどんどん短命国となる。
いずれ人生50年時代の再来となろう。
そうなる前に芥川賞、直木賞選考委員方々には商業主義的選考を止め、本で読ませる作品に対して賞を授与させるべきだと私は考える。
既に私は10年以上芥川賞、直木賞受賞作は読んでいない。私読む価値を見出だせない。
本当に読ませる芥川賞、直木賞受賞作の誕生を切に望むものである。
今日も元気に頑張りましょう。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿