常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2015年2月7日土曜日
真剣に生きる事に対する常態行動心理学的解釈について。
本日のテーマは『真剣に生きる事に対する常態行動心理学的解釈』について。
戦争体験者が戦争未体験者に対して『もっと真剣に生きろ、自分達が子供の頃は…』と直ぐ昔話をしたがる御老体が珠に居られる。
それ自体を否定するつもりはない。
我が母方の祖父も軍人でしたし父母も戦争体験者であり幼少期からずっと戦争の悲惨さは聞かされ続けてきました。
されど『真剣に生きる』事と『真剣に生かされる』事、そして『真剣の中身』はそれぞれ個別の存在である事をそう言う方々は失念されておられるように見受けられる。
確かに戦時中は誰もが『真剣に生きて』居られた。
それは『真剣に生きなければ生きる事が叶わなかった』からである。
つまり『真剣に生きる』とは『真剣に生きなければならない状況にある』と言い換えられる。
そして又、『真剣の種類』も時代と共にその形を変えている。
戦時中は『敵から自分を家族を守る事』が『真剣に生きる』事であった。
翻り現代は『凡る経済的苦境から自分を家族を守る事』が『真剣に生きる』事となっている。
時代は変わっても『真剣に生きる』事自体は何も変わっていない。
目の前に目に見える形で『生命危機』が存在するか?否か?の違いだけである。
戦時中はそれが眼前にあり現代はそれが己の心の中にあるだけの話。
決して現代人が戦争体験者よりも脆弱な訳ではない。
その事を戦争体験者方々にはご理解を賜りたいと願う。
そして何よりも己が体験された悲惨な体験を後世の人達にさせぬ為に断固『集団的自衛権行使阻止』を貫いて欲しいと願う。
御老体の中には現代人は軟弱故に戦火へ身を投じれば少しは性根が据えるとする方も居られるようだがそれは余りに暴論にすぎる。
時代は変わっても人の命の重さは変わらない。
その事だけは失念されないで欲しいと願う。
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