常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2015年4月8日水曜日
常態行動心理学的音楽療法の必要性について♪
本日のテーマは『常態行動心理学的音楽療法の必要性』について。
我が元に来られる方は実に様々な悩みを抱えて我が門を潜られる。
最近特に多いのが『聴覚』に於ける異常からお心を病まれる方が此処数年激増している。
しかも老若男女問わずである。
上は80を越える方から下は一桁代迄。
こうなるとこれはもう一種の社会問題であり社会的病理現象と言わねばならない。
彼等彼女らの多くは病院に受診をしてまず、『耳鼻咽喉科』に通され、『聴覚検査』を受ける。勿論『聴覚』に異常はない。
すると今度は『心療内科』に回されて、又、受診する。其処でもやはり異常は見当たらず取り敢えず精神安定剤を処方されて帰途に着く。
勿論これで治れば問題ないが大抵の場合、これで完治する事は難しい。
その結果、人伝で我が門を潜る事になる。
意外と精神医学会でも軽視されていますが現代は稀に見る音社会であり音によりお心を患う方が年々増えている現実を多くの人はご存じありません。
それは小さい頃から様々な生活音に慣れ親しみ音楽と言うメロディに対する抵抗力や反応力が低い事に起因しています。
一歩外に出れば何らかのメロディに現代は溢れ、無音状態を作り出す事がとても困難な状況に有ります。
それは受動的に音が入ってくると言う意味であり、翻せば能動的に求めなくても音が入ってくる為に主体的に音を求めないという事に繋がります。
それは五感に於ける聴覚刺激が弱い事に繋がりそれは脳に於ける刺激の減退を意味します。
昨今CDの売れ行きが雪崩れ式に落ちている原因は外界に溢れる不必要な音が原因です。
つまり音飽和状態となり家でも音楽を聴いていたくないとする人が多いからです。
すると今度は音に対する拒絶反応が現れてきます。
昨今の音楽は単調で解りやすく覚えやすい事を主眼において作られているので、覚えやすい反面飽きられやすいと言う側面を持っています。
飽きられやすいという事は飽きてしまった音楽を町中で聞く事は大きな苦痛となります。
冒頭の患者さんの場合、これが原因です。
ではどうすればよいのか?
耳を塞ぐ事は不可能、生活が送れなくなる。
ならば音楽に対する抵抗力をつければ良いのです。
私の持っているiPadを初めとして携帯アプリの中にも楽器演奏アプリが幾つか入っています。
それを同胞に渡し自由に演奏して貰います。
iPadや携帯を持っている人は家でも。
すると主体的に音を求める習慣が出来ます。
その中で私は作詞作曲をさせます。
勿論私を含めて素人ばかりなので本格的な作詞作曲等出来る筈もありません。
されど不定形でも音程があってなくても構わないのです。
所謂即興音楽の楽しさを理解して貰えばそれで構わないのです。
するとこれまで外界から流入してくる音の洪水に対する抵抗力がついてきて音に対する過剰反応や過敏症が軽減されなくなります。
薬に頼らずとも生活が叶うようになります。
更に言えば汎ゆる心理学的分析に於いても音楽を幼児期から親しませる事はとても大切だと言わねばなりません。
内外に音が溢れる日常生活において自らが好む音を求めようとするならば今や演奏以外に手はありません。
この自らが好む音を自らが求めると言う行為が情操教育にはとても大切なのです。
つまり己を成長させてくれる脳細胞を刺激する音を自らが見つけ育てていく。
これが脳の発達力をあげるからです。
歴史に名を残す偉大なる作曲家、音楽家達は既存の音楽に満足感や刺激を得られず『自らが作り出す音楽』により満足感や刺激を得てきました。
それが脳細胞を刺激し更なる創作意欲を掻き立てられ稀代の音楽家となる事が出来たのです。
本当に音楽を生業と子供にさせたいとするならば幼少期から音に慣れ親しませるだけでなく自らの手により音を生み出す行為こそが大切です。
楽譜通りに音楽を奏でる事も大切です。
されど自由発想で奏でさせる事は更に大切。
一心理職として私はそう考えます。
今日も元気に頑張りましょう。
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