我々のような心理職(以下メンタリスト)は私は伴走者であらねばならぬと思っている。
同胞と常、歩幅をあわせ時に励まし時に休ませ時に叱咤しながら”完治”という頂きを苦楽を共にしながら歩んで行くものだと思っている。
人を教え導く立場の人間は決して自らの立場を忘れてはならない。
天狗にならぬよう常チェック機関を設けそこからの中元を素直に聞き入れる柔軟性なくしてこの仕事は務まらない。
私は弟子をはじめとして我が愛方や母など多くのチェック機関を設け日々様々な讒言を頂戴しながら(笑)
同胞と共に”精神疾患”という目に見えない敵と戦っている。
だが、過日友人のメンタリストと話を聞いた際、我が耳を疑う話を聞いた。
その方は(偶々)女性で且つフェミニズム提唱者であられた(この時点で凄く嫌な予感がしたのだが…)そして事件は起きた。
その方のご専門はパワハラなどの主に女性が受ける社会的差別や犯罪などの救済であった。
親身になって女性の話を聞き同胞の矢面に立ち会社や社会を相手に八面六臂の活躍をする様は正に現代に蘇るジャンヌダルクさながら。
だが…この方の場合どうも少々”度が過ぎた”ようだ。
我々メンタリストは”神”ではない、あくまでも”人間”である。
同胞の依頼を受けてお仕事をさせて戴き決して”独断専行”してはならないのだ。
だが…このメンタリストの場合その”独断専行”を行ってしまった由。
依頼者への会社の上司による度重なるセクハラ行為に激怒した氏は同胞の許諾を得ず会社へ怒鳴り込んで行き上司を社員が居る前で激しく糾弾、ひとしきり氏を罵倒した後そのままさっさと帰宅したと言う。
勿論これで事が済む筈が無い。
一番の被害者となったのは言うまでも無い氏の元へ仕事を依頼した依頼者であった。
上司は怒り狂い依頼者を首にし侮辱罪で法廷で争う構えだという。
慌てた依頼者は訳が解らずメンタリストの元へ、事の仔細を氏から聞き”何故そんな余計な事を”と当然の事ながら怒り心頭。
するとこの氏は自らの暴走を謝るどころか今度はその怒りの矛先を依頼者へ向け始めたのだ^^;。
”私は貴女からの依頼を受けてわざわざ会社へ出向きあのセクハラ親父を貴女に代わって糾弾してあげたのよ。感謝されても文句を言われる筋合いは無いわ”と開き直る始末。
結局依頼者と両親がセクハラ上司に頭を下げ告訴は取り下げられたが結局彼女は会社を辞めざるを得なかった。
両親はそのメンタリストを告訴すると息巻いたがもうこれ以上のゴタゴタは沢山と娘は田舎へ帰り今は静かな生活を送っていると言う。
勿論これはほんの一例であり且つ大変珍しいケースである(だからこそ友人も笑い話的な感じで話をしてくれたのだろうし)。
多くのメンタリストは常識を弁えた常識人である。だが、メンタリストとて人間。こういう”感情先行型”がいないとも限らない。
メンタリストは勿論プロではあるが中にはこういう人も居るという事を出来ればお心に留めて置いてもらえると有難い。