亡父はとても礼儀には煩い人であった。
人に会ったら例え知らない人であったとしてもきちんと挨拶をしなさい。
もし知り合いならば尚の事きちんと挨拶をしなさいと厳しく教育を受けてきた。
それは父の死後も変わらない。
朝出勤時にお会いする駅員さんやタクシーの運転手さん、電車の中で出会う運転手さんや車掌さん。
駅へ着いてからお手配戴く駅長様、何時も懇意にして戴いている店員さんや挨拶をくれる学生さん方々。
1日に私がする挨拶の数をカウントした事は無いが多分1日平均50~100は軽く越えていると思う。
中には深々とお辞儀を返して下さるタクシー運転手さんやパチンコ店の店長さん、百貨店の外商部の方もいる。
県外へ出ても私の態度は変わらない。
着駅の駅員さん、仕事相手は勿論の事、その土地土地でお世話になるかたがたへの挨拶は決して欠かさない。
故に何処へ行っても歓待を受けるし嫌な思いをした事は殆どない。
嘗て私も亡父の会社で宣伝部部長として席を置いていた人間であり部下を持っていた経験を持つ。
或る時我が社に年若い新人が入ってきた、黙って出社し黙って仕事をし黙って弁当を食べ黙って帰宅する。
仕事ぶりは真面目その物だがとにかく口数が少ないのは閉口状態であった。
或る時私はその若者を呼びつけ注意をした、”せめて朝出勤しておはようございます位言いなさい”と。
すると彼は一言だけポツリと返した。
”挨拶が出来なくてもきちんと仕事は出来ているんだからいいじゃないですか”と…。
私はカチンときて彼にこう返した。
”いいかね?挨拶をするという行為は単なる社交辞令ではなく自己確認の意味でもある。例えば君が現場で事故に遭い誰も居ない穴に落ちたとする。その時ちゃ んと挨拶を交わしていれば人は君の存在を認知しそこに君が居なければ不信に思って君を探してくれるだろう、その結果君の命が助かるという事もある訳だ。だ が君が今のまま一言も言葉を発せずに居たら君が居る事すら回りは気付かず君は暗い穴の其処で死に絶える事にもなるんだぞ?”と。
彼はポツリとこう返した。
”部長、そんなヘマ僕はしませんよ、僕は仕事は完璧にこなせる人ですから…”
私は彼に何を言っても無駄だとその日はそのまま家に帰した。
しかし…数日後、私が予見した通りの出来事が実際に起きた。
私は咄嗟に現場近くにある大きな穴へ直行、彼を見つけた。
だが、私は敢えて気付かないフリをして彼が助けを求めるのを待った。
何とか自力で這い上がろうと四苦八苦したみたいだが穴は相当深く彼自身足を挫いている様子であった。
暫くは頑張っていたが遂には諦め助けを求めた、だが私は部下に彼を助けるなと命じそのままにしておいた。
日もどっぷりと暮れ叫ぶ声も段々と小さくなり穴の底からすすり泣く声が聞こえてきた。
”俺、こんなトコで死ぬのかな?俺こんなトコで死にたくないよ…誰か、誰か助けてよ…”と。
私はその時ロープを垂らし彼を無事救出、そして彼を諌めた。
”な?俺の言った通りになったろ?実は君が穴に落ちて直ぐ私は君が穴に落ちた事に気付いた。でもそこで君を救出してしまっては君の悪癖は治らない。だから 敢えて部下にも君を救出せず君が改心するのを待ちなさいと指示を出していた。勿論君の状態はちゃんと把握した上で清明に危険が及ぶ状態になったなら直ぐ引 き上げるつもりでいたがね”と…。
いい年をした大男がこの時ばかりは声をあげて泣いた、余程不安で怖くて心細くて堪らなかったのだろう。
私はヨシヨシと背中を撫でながら彼を抱締め”良く頑張ったな”と褒めてあげた。
挫いた足は数日で完治、その後彼は現場へ復帰してきた。
現場へ復帰した彼は全くの別人となり、朝から大きな声で”おはようございます!”と笑顔で言える人となった。
現場の近所の人達へも明るく挨拶をする彼の姿に最初は皆驚いていたが徐々に親近感を覚えるようになった。
孤独だった彼の回りに”人の輪”が出来彼の”孤独感”は徐々に消えていった。
その後彼は父の知人の社長に見初められ社長の箱入り娘と結婚、今はその会社の二代目社長となっている。
過日その会社へ訪れた際、社訓を見て思わず吹いた”人に会ったら先ず挨拶をする事”そう書いてあったから。
彼も私の顔を見て照れくさそうに笑っていた。
だがその笑顔はキラキラと輝きとても充実した笑顔となっていた。
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