我儘は許されるが自分勝手は許されない…それは何故か?
我が同胞は良く私に言う言葉”先生は私の我儘を聞いてくれる、周りの人間は私の我儘を聞いてくれない”
我儘とは”我が有る侭”の短縮形、つまり”自分が自分で有る為に通す自我”の事である。
その責任は全て”自己”に有り、例えばそれが間違っていたとしてもその責任は自己が管理すべき事である。
翻って”自分勝手”とは”我儘”と良く混同されるがさに非ず。
”自分勝手”とは”手前勝手”と訳される場合があるがこれは”我儘”と大きな差異が有る。
それは”話に整合性が有るか無いか”である。
例えば麺類屋に行って”うどんは食いたいがラーメンは食いたくない”これは我儘である。
翻って同じ場面で”うどんも食いたくないしラーメンも蕎麦もソーメンも食べたくない”これは自分勝手である。
”あれもしたくないこれもしたくない”なればアナタはどうしたいのですか?という事になる。
それでは駄々をこねる子供に同じ、駄々をこねる子供を親が躾けるように私も我が同胞を厳しく躾けます。
それが年上だろうが社会的地位がある人だろうが誰だろうが容赦はしません。
そして特に面倒なのが”社会的地位がある人”や”肩書きが有る人”に限ってこういう勘違いをしている人が多い。
それは何故か?周りがすべて”イエスマン””イエスウーマン”ばかりで誰も”No!”といわない環境に育つから。
それが日常的になればなるほど自らの”自分勝手”はその人の中では”常識”という名に摩り替わってしまいます
しかしそれは周りの風紀を乱しまわりの効率を落としまわりのやる気を落とします。
敷いては会社の士気に関わり営業利益にも繋がります。
それが社会的地位が高い人であればある程その影響力は大きくなります。
故に私は断じてそれを断罪し断固その人の”自分勝手”をやめさせます。
しかし人間当然”鞭”ばかりじゃ動かなくなるのは動物だって同じ事。
故に私は”自分勝手”な人間を”我儘”な人間に作り変えていくのです^^;。
元々”我儘”も”自分勝手”も方向性は同じ、ですが両者は途中で大きくその方向性を変えます。
故にその分岐点までその人を戻し、”自分勝手”に進んでいた方向を”我儘”な方向へ変えるのです。
さすれば”自分勝手”の頃の被害は激減し、時に利益も生みますから回りも前ほど苦情は言わなくなります。
周りの空気が変わればそれを一番に感じ取るのは誰あろうご本人様です。
そうなれば”溜飲も下がり”周りの意見にも耳を傾けてみようかという風にもなります^^;。
そうやって多くの”自分勝手”を”上手く誘導”してその人が本来進むべき道へ戻した経緯が有ります。
”馬鹿と鋏は使いよう”と申しますが何の何の。
案外”賢い人”も使いようによっては”使い勝手”が良くなる物ですよ(笑)
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