最近マタニティブルーによる自殺者の報道が後を絶たない。
マタニティーブルー...『産後鬱』と呼ばれる物の多くは産前産後の新米ママになる女性の不安や言い様の無い恐怖心疎外感などが原因だとされている。だが我が元に来る『マタニティブルー』の同胞を診る限りどうも原因はそれだけではないように思える。
私が考えるマタニティーブルーの一番の原因...それは『女性として見てもらえない事への寂寥感』だと確信する。
或る『マタニティブルー』を抱える女性の同胞を診た時の話だ。
産後直ぐは不安で不安で堪らない、誰かに傍に居て欲しいし誰かに支えて欲しい。
同時に妊娠末期は性交渉も行えないので余計人肌が恋しくなる。
愛する人に抱かれたい、愛する人の鼓動を感じたいという思いは女性ならずともある筈。
勿論愛する子供への愛があるのは大前提である。
だがいきなり”妻”から”母”となるのである。
不安が無い筈が無い。
回りは殆どが先輩ママさんであり殆どが経験者である。
だがその殆どは出産後余りに時が経ちすぎていて出産時期に自分も感じたであろう不安や欲求不満を忘れている。
だから”大丈夫よ、直ぐよくなるわ。だって貴女はママなんだから”と”ママ”である事を強制する。
(この場合の強制とは新米ママの立場に立った場合の心情を表している)
新米ママも一生懸命”ママ”であろうとするのだが頑張れば頑張るほどに心が”空回り”し余計寂寥感や不安感、孤独感は増大する
其処に”女”である部分の不満が重なるとある種の”存在否定”が自分の心の中で始まるのだ。
”女”である所の自分の存在を否定されるという事は自分自身に対する存在否定と同じと段々考えるようになる。
勿論誰も彼女を”女”として否定している訳ではないのだが余りに”母”である事を求めすぎると人間はそういう風に捉えてしまう場合もあるという事だ。
我が門を叩いた女性は言った。
”私は母である前に女なんです。勿論甘えである事は解ってる。けどそれでも私は女なんです…”と。
私は言います。
”甘えなんかじゃない、ワガママなんかじゃないそれが真実でありその考え方に間違いは有りません”と…。
私はその後奥さんとは別の日にご主人とお母さんを呼びその事を話します。
大抵彼ら・彼女らは”高がそんな事で…”と一笑に附します。
其処で私は敢えてオーバーリアクションで怒りを露にします。
” 高が?冗談じゃない!どれだけ奥様が苦しめられたか?どれだけ悩まれたか?貴方方には解らないんですか!奥さんは此処から飛び降りようと成された。それを 私は懸命に止めました(勿論飛び降りは嘘)。それほど奥さんは追い詰められておられた。これが笑い事で済みますか?貴方方がやっている事は人を一人殺める 事に等しい行為なのですよ”と激しく詰問します。
相手は私の余りの剣幕に驚き其処で初めて事態の深刻さを悟ります。
そして家に帰り義母は人生の先輩として夫は妻の配偶者として”愛”を一杯に奥さんに注ぎます。
勿論旦那さんによる”身体への愛”も忘れずに…。
そして彼女は自らが”女”である事を再確認、と同時に”母”として”妻”としてそして”娘”としての役割も又思い出します。
妊産婦をお持ちのご主人、お義母さんへ御願いです。
奥さんをどうか無理矢理”母”という枠に嵌めて上げないで下さい。
それでもない奥さんは出産という大事業を成し遂げ心身ともに疲弊しているのです。
どうか”愛”を”安らぎ”を与えてあげて下さい。
もう二度と不幸な事故を生まない為にも…。
Takaaki Higashihamaさんの投稿
返信削除segiさんは凄いと改めて感じさせられました。
職業がらといつも言われていますが、それ以上だと思いました!
人を辛い所から助ける人と、人に幸せを与える人。似ていますがチョット違うんですよね。両方素晴らしいと思いますが、segiさんの職業は前者の方ですよね。前者を職業とされている方を心から尊敬します!辛い思いをしている人を助ける方が何倍も労力を使うと思うからです!話しはノートに移ります。つい最近友達と産後鬱について話したばかりなので、食い入るように読みました。最近、アナウンサーが産...後鬱で自殺されましたよね。それまで産後鬱と言う言葉さえしらず生活していました。ニュースで知った時ビックリしました。まだ産まれて数ヶ月の子供を残して自殺するんだ・・・それほど鬱は恐ろしいものだと!自ら命を絶つ鬱は癌や白血病などよりも恐ろしいと感じました。それと同時に周りのサポートが1番大事なんだという事も知りました。segiさんが書いている通り妻を愛してあげなきゃ駄目なんだと・・・自分が満足する程度の愛情を注いでも駄目で鬱の妻が満足する程の愛情を注がなければ決して鬱には勝てない!そう感じました!
segiさんの文章には全然劣る文章ですが僕の気持ちを書いてみました(^^)v