2010年8月17日火曜日

アイドルの心理学~或いは失われていく偶像崇拝性~

最近は『~ドル』という奴が隆盛を極めている。
『鉄ドル』だの『マジドル』だの『歴ドル』などがその典型であるだろう。

昔のアイドルはそういう物は一切無かった、純粋に歌唱力とルックスだけで売っていた。
中にはルックスは一寸…という人も居られたがそれを補って余りある歌唱力と牽引力を秘めておられた。

何より”御自身が持つオーラー”という物が物凄かった。
アイドルではないが昔博多で新派の女王水谷八重子嬢にお目に掛かった事がある。

幸い此方は急いでいた為、軽くご挨拶をしその場を退散させて戴いた。
マネージャーと思しき人に”あの子元気ねぇ、貴方もあの子を見習いなさい”と言っている声を後ろに聞きながら^^;。

だが氏の体から迸るオーラーは凄まじく流石”女王”という冠を戴くに相応しい風格を持っておられた。

他にも芸能人には何名かお会いしているがやはり昭和の芸能人という物はその御自身が持たれるオーラーは凄まじくやはり”一般人とは明らかに違う”物を御持ちである

翻って平成のアイドルにも何名かお会いしている。
勿論その中には昭和生まれの方も居られるが平成でブレイクした方々を総称して…

過日愛方とデート中に某アイドルとすれ違った。
愛方に『今の○○さんだよ』と言った時、愛方がぽつりと一言『オーラー無いねぇ』

それが現実である。

今のアイドルが全てそうだというつもりは毛頭無いが今は昔と違って付加価値をつけねばアイドルも売れぬ時代へと突入している事は事実だろう。

時代が違う、そう片付けてしまえばそれまでである。
個人の趣味も昔と較べれば遥かに多様化しそれに伴いアイドルの偶像性も多様化していかねば対応出来ないといわれればそうかもしれない。

だが時代を超えて愛されるアイドルや芸能人という物が居る事も又事実。
昭和の歌姫、美空ひばり、昭和のスター、石原裕次郎などはその筆頭であろう。

老若男女を問わず又時代を超えて人々の心に君臨し続けるスターという存在は時代やその他様々な付加価値を超える物である。

我が同胞の中にも芸能関係者は居る。
だが皆さんそれぞれその道の第一線で活躍されておられる方々ばかり。

彼ら・彼女らは一切の付加価値を付けず御自身がお持ちの”オーラー”を最大限にまで輝かせている。

それこそが”芸能人”そして”アイドル”の証だと私は思っている。
これからもそんな”オーラー”を持つ人々と出会いそういう人を育てたいと願う。

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