2010年8月18日水曜日

我慢の心理学~或いは解放の心理学~

日本人程『我慢』を好む国民性は無いのではないだろうか?と思う程『我慢大好き大国』のような気がする。
寒中水泳に真夏の我慢大会、滝行に荒行、火渡りにお百度参り…ドMですか?と思わず聞いてみたくなる程w

自慢じゃないが私は”我慢強い”方ではない、というか基本的に”我慢すること”は嫌いな人である^^;。
故に”我慢強い人”を見ていると尊敬するし凄いなぁと思う(勿論自分は出来ないが^^;)

同胞方々や生徒さん方々は”先生は我慢強い”とよく言われるが、んなこたぁない(笑)
只、同胞や生徒さんや勿論我が愛方に関しては”我慢”という認識が無いだけの話である^^;。

我が同胞で夫婦関係に有る物の内、我慢の限界が過ぎて心疾患になった物は全体の約9割。
そしてその又半数以上が親からの”刷り込み”に拠る物であるというデータが手元にある。

大抵男であれ女であれ我慢型の人はその親御さんの内のどちらかが我慢型であったケースが多い。
小さい頃から母親(乃至は父親)の我慢する姿を見て育っているのでそれが”当たり前”となってきている。

だが…んなもん私から言わして貰えば”悪い方の刷り込み”であって我慢は美徳でも何でもない単なる毒だ。
意外と知られていない話だが人間がストレスを感じた時に含まれる血中に発生する毒素は河豚毒いわれるテトロドトキシンの数百倍以上の威力を持っているといわれている。

つまり人間は”ストレスを感じる度に体に毒素を溜め込んでいる”という訳である。
そりゃあ”心が機能不全”を起こすのも無理からぬ事である。

故に我々心理職の人間はその”我慢”をさせない方向で動いている。
つまり”解放”の方向へ心を逃がして居る訳である。

家庭で言えない事や家庭でできない事をわが元へ来て話我が元へ来て実現させる。
此処へくれば”自由”になれる此処へくれば心を”解放”出来る。

そういう”逃げ場”を作ってあげるのである、同時に其処を心の”拠り所”としてあげるのである。
人間不思議なもので”逃げ場”が有る、”心の拠り所”があるという風に思えるだけで随分と強くなれる物。

と、同時に今まで”我慢し続けてきた自分”が馬鹿らしくなり”自由に生きたい”という欲求が高まってくる。
当然今まで”押さえつけて来た側”からすれば相方が急に豹変するのだから驚き戸惑う訳である。

そしてその陰に私の存在を察知すると大抵の場合怒鳴り込んでくるか訴えてやると喚くかどちらかである。
だが例え法的措置を取ろうが暴れようが私にとってみれば”何処吹く風”である、取るに足らぬ瑣末な事。

法的措置を取れば同時に自らが今まで相方へしてきた”悪逆非道の数々”が露見し当然裁判では敗訴となる。
暴力に訴え出た場合はもっと悲惨な結果となる、大抵の場合病院送りとなるケースが殆どだ^^;。

中には陰険な奴も居てヤクザやその辺の不良を嗾ける馬鹿も居る。
だが流石に相手が悪い、私のバックについている”存在”を告げただけで大抵の輩はビビって飛んで逃げる。

何せ奴とは中学の時からの古い付き合いだが”闇社会”ではその名を聞いただけで震え上がる存在である。
しかも奴は私には恩義が有る為私の依頼は絶対断れないのだ(爆)

故に嘗て”籠の中の鳥”となっていた人は”籠の外の自由人”となり”心”を”開放”され自由な人生を歩む事となりそれにより”心疾患”も又、回復していくという訳である。

”我慢は美徳”と勘違いされておられる方々へ申し上げる。
確かに”我慢”する事は大切な事であるが、”我慢”も限度を越えるとそれはもう”ストレス”以外の何物でも非ず。

ストレスは体に毒を溜め込んでいる事と同義である、取るに足らぬ人間の為自らの寿命を削るなど持っての他。
私と一緒に”新たな人生”を歩んでみませんか?そのお手伝い私がさせて戴きます。

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