2010年12月10日金曜日

何気ない一言が人の心を潤す…

人の心という物に向き合って20年余り。
私自身、同胞から”名言メーカー”という異名を頂戴している。

だが、それは取りも直さず私の周囲に居る方々のお陰である。
彼ら・彼女らの”何気ない一言”が私の心を潤し元気にし、明日への活力を与えてくれる。

以前もそんな一言に出会った。

いつも私が仕事で利用させて貰っている山口線。
行き帰りは殆ど毎日元・坂本駅長(現・厚狭駅長)御自らお出迎え下さり、言葉を交わして下さった。

中々駅長職にまで上り詰めた者が気軽に乗客と接すると言う事は少ない。
もう一つの駅である新山口の元・駅長なんざ殆ど駅構内でその姿を見かけたことは無い。

偶に電話の応対に出られるがそれ以外構内で彼の姿を見かける事は稀である。
前々の駅長は良く構内で見掛け多くの乗客の方と触れ合っておいでであった。

この辺り人柄という物が現れるものだ。

閑話休題

何時もの様に駅に降り立ち何時もの様に駅から新山口へ帰る際の出来事。
何時も明日の利用時間と利用号車をお伝えして私は帰宅するようにしている。

なるべく皆様方のお手間を取らせたくない私なりの配慮である。
不必要なときにわざわざお手配戴くのは気の毒だからである。

今週は連休中山口線の利用は無い、その旨駅長さんに申し出た。
すると駅長さんがこのように申された。

”先生、駄目ですよ、先生のお顔を拝見出来ないと寂しいじゃないですか”と…。

勿論それが”お上手”である事は先刻承知である、それを額面通りに受取る程私は馬鹿じゃない。
だが、それでも”そのたった一言”が私の疲れた心を癒しそして明日への活力を与えてくれた。

もう一人、私の心に潤いを与えてくれた人が居る。
既に此処でも御馴染みとなった我が愛方の一言である。

彼女は本当に”名言メーカー”として実は名高い人物である。

私が今の彼女と一生添い遂げようとした理由の一つに彼女が発した何気ない一言がある。

”殿は足が悪いから車椅子に乗っている、私は目が悪いからコンタクトをしている。
其処に何の違いがあるの?皆同じじゃない?”と…。

言われて見れば至極当然の話だがその一言が普通中々出てこない。
この一言が我々一家が彼女を我が家に迎え入れようと決めた瞬間であった。

そして今日も彼女は私に名言を吐いてくれた。

既知の通り去年5月、最愛の夫を亡くして今、母は独り身である。
勿論実質的長男である私は母の老後の面倒を見る事は決めていた。

だが、そうなれば当然妻となるべき愛方の負担は確実に増える。
私自身の世話に加えて、母の事も加わるのだ、そりゃあ大変さは想像を絶する。

私の個人的感情と愛方の気持ちとは又別物、私はそう考えていた。
だが…愛方は事も無げにこういった。

”私はお母様を老人ホームになんて絶対入れない、我が家はおばあちゃんも老人ホームに
入れず家でちゃんと面倒を見ている。まして殿(私の呼称)のお母様を老人ホームに入れるなんて私は考えていない。新婚生活が済んだら即同居して色々と教えて貰いたい”と。

中々普通に出る言葉ではない。

大抵姑との同居を嫌がる人が多い中、自らが進んで同居を申し出てくれた事は歓喜極まり無い。

私が愛方を我が一生の妻として迎えた事が本当に間違って居なかったと改めて確信した瞬間であった。

そんな多くの方々の”何気ない一言”が今日も私を生かしてくれている。
本当にありがたいと思っている。

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