常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年10月31日水曜日
日米法解釈事情
日本と欧米の法解釈の違いは単一民族で島国である事に起因している。
欧米は多民族国家であり争いの中でアイデンティティを確立し翻り日本は単一民族国家であり共存する事でアイデンティティを確立してきた。混わる事で自らの存在を認めてきたか違いの中で自らの存在を認めてきたの違いだけ。
実はこれが訴訟大国欧米とのもう一つの違いでもある。
欧米は自らの正しさを証明する為に訴訟を上手く利用する。
日本は相手を陥れる為に或いは糾弾する為に利用する。
フォーカスが自己に向いているか他者に向いているか?の違い。
更に文化的背景の違いでもある。
島国で且つ単一民族で他国と戦う為にお互いが共生して生きて行かねばならぬ身なれば相互扶助の関係を築かねばならず少々の事は目を瞑らねばならないという村社会主義的思考性が未だ日本では根強い。
個を重んじるのではなく全体を常重んじてきた背景が大きく関係をしている。
更に罰と言う考え方も日欧では大きく異なる。
法を冒し罰則を課された者は履歴書の賞罰欄に書かねばならない。
日本に於いては罰を受ける事はムラ社会から排斥され死を意味する。
それ故にそれを課される事も課す事も快しとせぬ傾向が強い。
欧米ではそうではない。
州ごとに法律自体が違うので或る州では違法行為である物が或る州では合法である事もある。故に日本人よりも法を冒す事に対するイメージが大分違う。犯罪者に対する排斥主義は余り変わらぬがそれも随分程度が違う。
以上の様な文化的風土的制度的違いが日欧及び日米との法解釈の大きな違いだと私は考える。
されど国際社会の仲間入りをして久しい日本にとってはこれからの法解釈を大きく変革していかねば世界の中で生き残る事は難しくなると私は考えている。
ムラ社会的同族主義は犯罪を助長させ犯罪大国へ進む起爆剤ともなりかねない。それは即ち外国人における国内犯罪をも助長させる糧となる。
そうならない為にも罪は罪として更生させる方向へ持って行く必要があるしそれら更生した者たちの受け皿も又作らねばならない。
何より『罪を憎んで人を憎まず』の精神も必要であろう。
されど精神遅滞国である日本においてはまだまだ難題であろうが。
2012年10月30日火曜日
物言わぬ存在は言葉を解してはいないか?
赤子や動物など『物言わぬ存在』は言葉を解しては居ないか?
答えは否である。
大人と物言わぬ存在は『言葉』を解する解し方が異なるだけでありちゃんと『解して』いる。
大人は『脳』で言葉を理解するのに対し物言わぬ存在は『五感』で言葉を理解している。
身振り手振り表情、音、雰囲気などを五感で捉えちゃんと理解をしている。
実際根気強く五感をフル活用し訴えた場合余程の事が無い限り子供は『言葉』を理解する。
一番大事な事は『伝えたい』という強い思いだけである。
実際海外で外国語が喋れなくても身振り手振りで相手が理解をしてくれるように相手をちゃんと認め伝えたいと強く願えば必ず『物言わぬ存在』はそれを理解してくれる。
我々セラピストも同じ。
『心の声』は耳には聞こえない。されど同胞の『五感で訴える声』はちゃんと我が心に届いている。
その『声にならない声』をちゃんと聞きそれを解する能力こそセラピストにとって尤も求められるスキルである。
セラピストに求められるはスキルだけに非ず。
『声にならない声』をちゃんと聞き取ろうとする『真剣さ』である。
後期熱中症に御注意をw
意外と知られていないが熱中症には『前期』と『後期』がある。『前期熱中症』は所謂一般的に言われている熱射病であり盛夏に多く罹患者が出る病。
そして『後期熱中症』は丁度今の時期に罹患する熱中症。
前期と比べ朝晩の外気温が低い為に気付きにくい人が多く医者も誤診しやすい実は厄介な病。
『熱中症』の元は言わずもがな太陽光ではなく太陽熱である。
所が人間の五感は特に光に対して敏感に反応を示す性質が有る為に光が柔らかい今の時期は熱射病に罹患しにくいと勘違いをしている。
だが熱中症自体がその発症原因が温度差にあるようにこの時期も朝晩と昼間の寒暖差は盛夏時期よりも激しい。
故に『後期熱中症』に非常に罹患しやすい。
最近妙に疲れやすいとか精神が不安定になるという人はご注意。
『後期熱中症』である可能性はとても高い。
回避方法は『前期熱中症』と同じ。足元を冷やしたり熱さを頭で容認するよう心掛ける事。
又、視界情報に騙されて必要以上に暖房の温度を上げない事等である。
かくいう私も実は現在罹患中w
くれぐれも皆様もご注意を。
功名心を得るためだけの司法など無価値です
光母子殺人事件で再審請求が出された。
専門家による鑑定書類も提出されたが私は異議を唱えたい。
殺意の無い殺人等この世には存在しない。
それは生物学的生存本能が成せる業だから。
被害者に逃げられたら身の破滅である以上氏はそれを滅する以外の選択肢はない、茶番は不要。
更に罪悪感が犯罪を助長させる。
今回の母子殺人事件がそれを如実に物語っている。
母親を陵辱し表沙汰になれば自らの身の破滅。
その存在を滅する以外手立てなし。
それはその場に存在する全存在を滅する事に繋がり幼子も手にかけた。
生物学的にも心理学的にも殺意は明らか。
専門家なら推して知るべしである。
自らの功名の為に事実を捻じ曲げ被害者家族の苦しみを増加させる愚行はやめられるべきであろう。
専門家が専門家たるは専門的知識や経験を持っているからではない。
それを正しい方向へ使い正しい事実を積み重ねられるからである。
事実を自らの功名の為に捻じ曲げ悲しみを増加させるは専門家がすべき事ではない。
時事的表裏一体説
表があれば裏がある。
善があれば悪がある。
この度某両国首脳陣の愚行により一時的に国民の反日感情を高める事に成功したかのように見えた行いも結果反日感情を高めれば高める程親日感情も又同時に高まる。
自国民の愚行が激しければ激しい程皮肉な事に同情票と共に親日感情も高まっている…愚かなり。
未成年者による犯罪もこれに同じ。
刑罰を年齢的に問えないという事は免罪符でもなければ治外法権という事でもない。
刑罰というのは国民の心理的不公平感を無くす為にも実は存在をしている。
罪を犯す、その罪を償うそれによりバランスが保てている。
されど犯した罪に対して刑罰が軽すぎたり重すぎたりすると人の心は不公平感に苛まれその矛先はそれを下した司法及び政府に向けられる。
青少年犯罪の場合その矛先は犯罪を侵した当人は愚か同世代の青少年にも向けられる。
それは更に多くの青少年犯罪者を生む温床になりかねない。
法に依る庇護や更生も必要。
されどそれもケースバイケース。
青少年であるというだけで重罪を犯した者を法で不当に擁護すればその矛先は司法や政府そして罪なき青少年に向けられるという事を司法及び政府は失念されるべきではない。
『無い物は数えられない、有る物は数えられる』
我が元に来る方々の多くは他者からお心を傷つけられ自尊心を奪われ歩いは物質的損益を蒙った方々である。
最初はそういう方々に対し丁寧にお話を頂戴し同意し励まし苦楽を共にする。
されどそれもある一定期間のみ。
其処を超えると私は急にドライになる。
同胞は最初戸惑う。
あれだけ優しく接して下さって居たのに何故?と。
それは不幸である自分を常態化させない為である。
今までその方の中に有った不幸は既にその人の中になくその人の不幸の場所にある物は今は安らぎであり癒しで有る幸福である。
私は不幸自慢を途中でやめさせ今目の前に存在している物の数を数えさせます。
最初は誰しも癒しを欲しい物でその癒しを差し上げるのが我々の仕事であります。
されどそれもある一定限度迄。
其処からは今度は自立をして貰わねば困ります。
一生私がその方のお側に居られるならそれでいい。
されど私がその方のお側に一生居られる保証はない。
故に私がその方のお側に居なくても二本の足でしっかりと大地に根を下ろし立って貰わねばなりません。
故にある時を境に私はドライになり鬼となり距離を置き始めます。
同胞は慌てて追いかけ縋りそれを払いのけると今度は泣き叫び悪態を付き何とか私を留めようとします。
それでも尚私はその距離を徐々に広げて行きます。
そうしてその距離を常態化させ私が側に居なくても大丈夫な位の距離を保ち今度は相手から更に進んで距離を置いてもらうよう御指導を差し上げています。
何時しか二人の距離はお互いが肉眼で見れない程遠く離れそしてお互いが笑顔で手を振りながらそれでも決して後戻りはせずお互いの道を歩ませて行きます。
勿論私だって寂しいですし出来るならずっと一緒に居たい。
されどそれは無理な事。
老兵は只立ち去るのみです。
心理職ってのは案外そういう因果な商売なんですw
2012年10月25日木曜日
『足るを知る』
『足るを知る』と言う言葉は何も経済的な意味だけではない。
精神的な意味でもあるのだ。
例えば誰かから助言を受ける。
その助言を受けて色々と考える。
これは問題がない。
されど中には助言を受けた直後更に助言を尋ねそれを繰り返し行う人がいる。
こういう人は『足るを知る』を知らない人である。
私の仕事はお心の悩みを解決し日々の生活を支障なく送らせる事にある。
その為に如何にすべきかを導く仕事である。
導く事と教え続ける事は同義ではない。
ある程度の導きを得たら今度はその導きを元に自らが思考し実行して行く事が必要である。
正に『足るを知る』である。
全ての人間が平等に均等に助言を貰える訳ではない。
又、誰しもがドラえもんの四次元ポケットのように欲しい時に欲しい物を取り出せる訳ではない。
セラピストや心理学者はドラえもんの四次元ポケットを持ってはいない。
されどそれを見る者の中には四次元ポケットを持っているかのような錯覚を起こす者もいる。
そしてあの人は四次元ポケットを持っているのに出し惜しみをしていると揶揄し非難する者もいる。
されど心理学者もセラピストも彼ら彼女らと同じ人間である。
未来から来た猫型ロボットではない。
悩み苦しむ中で様々な学びを得つつ又、失敗しつつ成長を繰り返している人間である。
導き手は神ではない。
その事を多くの方々がどうも誤解をされているように思えてならない。
この機会に是非もう一度『足るを知る』という事を考えて欲しい。
2012年10月23日火曜日
激安戦争こそ人類を滅ぼす愚行である
激安戦争が止まらない。
客獲得の為商品の値を下げる。デフレスパイラルが起こる。
消費者もどんどん同業他社が値を下げるので買い時を計れず迷う。
賞味期限付き商品等は賞味期限切れに近づき更に値を下げる。
少しでも安く商品を売る為自社ブランド製品が増える。
すると有名ブランド以外はブランド力が弱いので自社ブランド製品の安い方を消費者も選ぶ。
結局一番苦しむのは商品を作っている生産者である。
されど生産者もまた消費者である事を忘れてはならない。
生産者も消費者故に生産者の利が下がれば当然消費率も下がる。
翻り大型スーパーや百貨店もそれに付随し売り上げが下がる。
売り上げが下がれば当然リストラや給料カットに繋がる。
そして彼ら彼女らも又、消費者である。
当然自分達の職を奪い給料を奪った店で商品は買わない。
小都市の場合横の繋がりが強いので更に結束力が増し消費率も下がる。
激安戦争は結果消費率を下げ最終的には国力さえ下げる愚行である。
高くても良い商品を作る。
その商品を買う為仕事に精を出しそれを買う為職を求める。
すると企業の生産力も上がり就職率も上がる。
結果国力も増強される。
『値下げ戦争』こそが国力を下げ国を滅ぼす愚行である事を売り手は考えるべきである。
『金持ち喧嘩せず』の常態行動心理学的学術的根拠について
『金持ち喧嘩せず』は本当である。
生粋のお金持ちは経済的基盤が盤石な為に心にも余裕がある。
更に生まれながらの金持ちは周りも我が提唱せし『場の心理学』理論により同じような生まれながらの金持ちが周りに多く同じく心に余裕がある方々ばかりなので喧嘩をする必要がない。
生来型遺伝子が争いという情報を入れない。
故に人と争う事を好まない。
そう考えると貴方のまわりにも『エセ金持ち』が結構いませんか?
そういう方々は『停滞型エセ富裕層』である。
成り上がり者にも実は二種類ある。
『停滞型エセ富裕層』と『成長型リアル富裕層』
お金に執着しそれを守らんと周りを敵視し金を循環させないのは前者。
お金に執着せずそれを上手く運用し周りと強調し循環させるのは後者。
つまり『成長型リアル富裕層』
前者は金を失い元に戻るが後者は本当の富裕層になっていく。
できれば後者でありたい物であるw
かくいう私は前者だが(笑)
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あなたと加藤 鐘吾さん、田野 卓さん、Kazumichi Imaizumiさん、他65人が「いいね!」と言っています。
コメント16件をすべて見る
Fuyuhiko Ito ただ、金持ちは喧嘩して損をする事が嫌なだけです。
英語ではpolitics. とも言いますが、
喧嘩がなかなか出来ないだけです。
日曜日 17:41 (携帯より) · いいね!を取り消す · 1
瀬木 良介 猪原さん>お褒め頂き恐縮至極に存じ上げます。
日曜日 18:34 (携帯より) · いいね!を取り消す · 1
瀬木 良介 小河さん>I think so.
日曜日 18:35 (携帯より) · いいね!を取り消す · 1
瀬木 良介 冬彦さん>そういう一面もあるでしょう。そうじゃない一面も又あるでしょう。
それが人間が多面的存在である自己である証です。それが全てではありません。
日曜日 18:36 (携帯より) · いいね!を取り消す · 2
『自助力』は『他助力』である、逆も又真なり。
『自助力』は『他助力』である、逆も又真なり。
今回自らの不摂生により同胞方々に御迷惑をお掛けしました。
幸い今日は夜のフォンセッション以外は対面も予定になく執筆活動に時間を充てるつもりでした。
数日前より兆候はあれどこういう時に限って次々とご依頼を頂戴し中々休めませんでした。
今週も今日明日を除いて休みはなく水曜金曜とご新規さんが続いています。
『他助力』を得たければ先ずは『自助力』を得る事です。
真に人を癒す仕事に就く者は自らの心身も又、厭わねばなりません。
それが出来ぬ内はまだまだ半人前です。
『限界を超える』方法
人には全て『限界』と言う物がある。
それは人が人という仮の器を持っている以上仕方ない事。
魂レベルでは充分可能な事でも肉体という器の中では出来る事は精々限られている。
だが我々はその個々の人々が自分で設定した『限界』を越えさせる為に存在している。
大帝の人は最初『無理です』と言う。
例えば禁煙禁酒等の常態行動。
例えば過去との決別も。
それはそれを今までやってきた自分との乖離だからである。
それを辞める事は今までの自分を捨てる事だからである。
それは余りに勿体無いと思うのが普通の考え。
されどそれは実は余計な物。
それがあるからこそ先へ進めずずっと足踏みをし悪癖を断ち切れず現状打開をせず現状に甘んじ現状に不満を漏らす日々を送らざるを得ない。
本当に現状に満足をしていれば現状に不満などあろうはずもない。
されど実際多くの人は現状に多くの不満を持ちそれを自覚しながらも打開する方法を知らず我慢をし日々の暮らしを耐えている。
人が我慢の際血中に排出する毒素はフグ毒と呼ばれるテトロドトキシンの数十倍。
人は体にストレスを感じる度に体に毒を垂れ流しているのだ。
ならばストレスを極力感じない身体を作ればいい。
それはどうするか?許容量を増やせばいい。パソコンでもメモリが少なくなれば増設します。
心だって同じ。
心に余裕がなくなればデフラグし心の中の掃除をせねばなりません。
それこそが自らの『限界』を超えるという作業です。
『限界』を超える事ができたら自らが感じていた『限界』分のスペースに空きができます。
そのスペース分色々なものをそこに入れる事ができます。
そして何より『限界』を超える事が出来た自分を賞賛しそしてそれが自信に繋がります。
『限界』の越えさせ方は千差万別、皆同じに非ず。
人によりその方法は皆異なります。
されど皆さん最初は躊躇し限界を超えた後もこれで良かったのか?と最初疑問を感じられます。
それは限界を超えた後の風景が違うからです。
これこそが『常態行動』の成せる業です。
そしてこれこそが私が見せたい『新しい風景』なのです。
最初はこの『新しい風景』に戸惑いを感じ『元の慣れ親しんだ風景』に憧憬を感じます。
されど今度はこの『新しい風景』が『元の慣れ親しんだ風景』に何れ変わります。
すると『元の慣れ親しんだ風景』だった物に違和感を覚え戻りたくなくなります。
これこそが脳科学及び心理学の不思議です。
長年武士世界の中で生きながら廃刀令で刀を無くした武士達は魂を抜かれた脱け殻だった事でしょう。
されどそれが常態化した時、『武士の魂』と感じていた物が実は仮初の物であり本当の『武士の魂』は刀にではなく『己の心の内』に有る事に気づいた筈。
現代人にとっても『武士の魂』は有ります。
それは『限界を超える前の自分』
されどそれを『越えられた自分』から見た時『限界を超える前の自分』よりも成長した自分を感じる筈です。
私はその成長した自分を見せる為に存在しています。
一人では無理な事でも二人ならできるはず。
そのお手伝い私がさせて戴きます。
『若くある事』と『若作り』は同義ではない。
『若くある事』と『若作り』は同義ではない。
自らの年齢を意識し見た目だけでも若くありたいとするのが『若作り』である。
年齢とは行政がその業務の便宜上設けた仮の制度でありその物に意味はない。
されど多くの方々はその年齢に捉われ特に女性は必死にアンチエイジングに拘る。
だがその行為自体が加齢行為である事を多くの方はご存知ない。
加齢とは年齢が増える事でなる物ではなくそれを意識しそれに反発しようとする事で始めて表に出る物である。
それに反発し『若作り』に励めば励む程よりその人の年齢は浮き彫りにされるのが実情。
だがこれは周囲からは単なる痛い人という印象しか与えない。
本当に『若い人』なれば『若くありたい』とは願わず『美しく年を重ねたい』と願うはず。
そういう人は年齢という枠を超えて美しい。
一生懸命若く見せようと若作りに励めば励む程『体年齢』はモロその肢体に現れる。
本当に『若くありたい』と願うならば『若作り』はせぬ事である。
2012年10月12日金曜日
セラピストに求められるのは肝要さだけではない
”えぇい!何度も何度もメールしてくるなって何度言えばわかるんじゃ、この馬鹿たれが!”
”ひどーい!何時でもメールして来ていいっていったじゃん先生”
”戯け!時と場合を考えろ!逆の立場に立って考えたら分かるだろ?一度に数通寄越されてみろ、返信する方も溜まったもんじゃねぇ。ちったぁ相手の立場も考えろ”
”先生、ひどーいw”
”酷いのはお前の顔じゃw”
”最悪〜、私超傷ついちゃった〜泣いちゃおうかなぁ”
”泣きたきゃ勝手に一人で泣け!第一本当に傷ついた奴が”超傷ついた〜”とか軽〜く言うか!心理職なめんじゃねぇよ”
これ実際の同胞と私のやり取り。
同胞は二十代後半、当時私は三十過ぎでした。
結構長期間に渡り面倒をみておりましたがそろそろ真剣に社会復帰させないと彼女の将来に関わります。
頭は抜群に切れる娘で学校での成績は常トップ、美貌も兼ね備え見た目何の問題もないようにみえます。
しかし…問題は上記発言にも有るとおり全く”場の空気を読めず自己中心的すぎる”所に有りました。
高校まではそれでも取り巻きも居て何とか学校生活も送れて居たのですが大学受験に失敗、浪人生活に入った頃から周囲が急に疎遠となり現在に至ります。
原因は場の空気を読めない所。
元々頭が良い娘ですが抜けが多い。一回目の受験も全問正解だったのですが解答欄を一個ずつ飛ばして記載しており気づいた頃には試験時間終了間際だったというオチ。
故にその注意力散漫を治せば後は自力で合格は可能な娘。
一浪後無事大学に合格するもやはり自己中の勘違いは止まず友達も出来ず知人の紹介で我が門を叩く事に。
最初は友達も居なく寂しい思いをしていた事もあり甘えかせたのが失敗でした(笑)
昼夜問わずメールや電話の嵐。
更に一度始まると止まらない。
これでは私も仕事に支障が出ます。
それが冒頭の場面。
自らの社会性欠如を認識せぬ限り彼女の社会復帰は難しいと判断。
一転して冷たくあしらい社会の風の冷たさを少しずつ痛感させて行った結果見事成功。
今では高校教師として辣腕を振るっているとの事。
生活指導の腕も良く生徒の評判も上々だとか。
まぁ私の所へ来た時は冒頭と今も余り変わりはありませんがw
自己肯定は他者肯定
自己肯定は他者肯定です。
何故なら同じ人間だから。
裏を返せば自己否定は他者否定です。
他者を否定する人に他者は力を貸しません。
本当に他者の力を欲するならば自己肯定しかありません。
2012年10月9日火曜日
『心理療法は統計学ではない』
その事を強く認識する出来事がつい最近あった。
事の起こりは大学時代我が門を何度も叩いた同級生からの久しぶりのヘルプから始まった。
田舎から都会へ就職し後に結婚、傍目には何の問題もない風に見えた。
だが慣れない環境と夫婦間の不協和は氏の心を徐々に蝕んでいった。
自分でもおかしいと気づき始め心療内科を受診。
されどそこで氏は愕然とする。
問診票を見ながらパソコンと睨めっこし時折自分の方を向く若手医師。
氏は現状を一生懸命説明しようとするもそれを何度も遮りパソコンにデータ入力。挙句過去の『他人のデータ』を引っ張り出し診断終了。
氏はその態度に釈然とせず私にヘルプを出した。
先ず心理療法は統計学ではないということをその医師は失念していた。
幾ら何千何万の『他の患者』のデータを分析してもそれは大同小異であり最大公約数的結論しか出ず同胞個人のデータではない為に正確な診断は出来かねる。
本当に同胞の心の病の原因を探りたいならばその患者の過去から現在迄を精査し今の人間関係や環境を精査し過去の人間関係や生活環境を精査し現在と過去のデータを照合しその違いを見つけ其処に病理を見出すべきである。
統計学ではなく分析学である。
それをする為には覚醒催眠で同胞の過去を探る必要が有る。
それは大変高度な技術を要するがそれなしに今の病の原因を探る事は困難を極める。
私は我が門を潜る同胞全ての過去のデータを覚醒催眠で入手しそのデータと現在の同胞のデータを比較し原因を探り病理を限定それを除去するという作業をずっと二十年続けてきている。
大変骨が折れるしその割に実入りは少ない。
されど心理職にとって大事なのは実入りではなく同胞の心の闇を祓う事である。
それが出来れば実入りは自然とついてくる。
心理療法を統計学的に見ている限り本当の心の病の根本原因を見つける事は不可能である。
2012年10月8日月曜日
おはようございます。
Good morning.
Yamaguchi, today is sunny then cloudy
Temp 25 ° c ( Prev.-1 ° c )
Today's breakfast MOM homemade grilled bonito soy sauce dipping boiled egg salad, boiled eggs, butter and Strawberry Jam, hot myst beans coffee.
Today's field day.
How to chill in the mornings and evenings are tough in our physical condition is not stable still severely even heat of the day, continue your unstable; I want to even the slightest hope that these people.
2012年10月7日日曜日
おはようございます。
Good morning.
Yamaguchi, today it's fine.
Air temperature 24 ° c ( + 1 ° c change )
Broiled today is Curry, mother handmade bonito soy sauce in salad, hot myst beans coffee.
Today is a holiday.
I'm going to shop. Well good luck today.
2012年10月3日水曜日
『寝る子は育つ』の心理学的根拠について。
美人と子供に大事なのは睡眠。
睡眠時間は多い方がいい。
寝ている間は心に余計なバイアスが掛からないので細胞活性が覚醒時よりも促進されます。
その結果成長を早めます。
怪我をした際ベットに寝かせるのもその細胞活性をさせる為。
覚醒時は不安やら何やら色々あってそれが細胞活性を阻害させます。
まぁ寝すぎると逆に促進されすぎて老化を早めますがね。
大体平均的には三時間から六時間程度。
それ以上だと今度は寝る事が常態化され活動自体に弊害が出ます。
所謂怠け者病w
何事も程々が宜しいようでw
2012年10月1日月曜日
昨日の昼食&ティータイム1&2&夕飯
昨日の昼食 松茸御膳
昨日のティータイム 1マロンプリン&アイスコーヒー
昨日のティータイム2 ブルーベリーシフォン&ホットコーヒー
昨日の夕飯
厚切りベーコン
母手製チシャwith青唐辛子麹漬味噌
同白身魚ムニエル
麦飯
アサヒスーパードライ
以上。
自分を評価するのは他者である、されどその評価を上げるも下げるも己次第である。
私はイケメン…ではない(笑)
されど人によってはイケメンだと称して下さる方もいます。
自分を評価するのは自分ではなくそれを見る第三者。
それは揺るがない現実です。
そしてそれ自身はどうしようもできない物。
されどその評価を向上させる事は唯一本人が出来る事です。
自らが望まぬ評価を受けたのなら自らのレベルをあげてその評価以上の人間になればいい。
さすればその評価を下した人間の評価は間違いだとなる。
その時始めて人は自らの評価を間違いだと言えるのである。
自らが研鑽努力もせず人の評価ばかりを批判するようではその人は一生自らの評価を変える事はできないでしょう。
自らを評価するのは第三者。
されどその評価を変えるのは第三者ではなく自分自身なのですから。
私は最初単なる『障がい者』という評価しか貰えなかった。
されど私はその評価を不服とし自らを研鑽努力で以て変えて行き今では『障がい者』と呼ぶ者は私を知らぬ愚人のみとなった。
私を知る誰もが私を名で呼び評価を下さる。
されどそれすら今の私には満足行く物ではない。
人の評価を気にするようではまだまだ半人前以下である。
私はこれからも研鑽努力し誰が何を言おうが評価しようが揺るがない自分を確立して行く。
その為に勉強あるのみである。
おはようございます。
Good morning.
Yamaguchi of the day is sunny, cloudy
Temp 25 ° c ( + 1 ° c change )
Is today's fluffy chocolate chocolate, Butterball, thick-cut Bacon, ham, homemade tomato salad my mother, hot myst beans coffee or more.
Today's field day.
Also this week a lot more busy.
After a typhoon is enough please people of course that you will be in the projected path of the Typhoon from this favourite. Well good luck today.
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