2013年3月20日水曜日

『困難の心理学〜或いは限界突破の心理学〜』


我が門を潜る者の多くは他者からお心を傷つけられそれ以上傷つけられたくなくて守りに入りそれ故に一歩を踏み出せず前へ進めない方がとても多い。

そういう方の常套句が”無理です””困難です””出来ません”である。

だが実は上記の言葉を発せられる人はそれを行う事が可能な人である。

例えば英語を話すのが”難しい”という人がいる。

されどそれが”難しい事である事を理解している”という事に気づく人は余り居ない。

例えばいきなり”スワヒリ語”を話せと言われて流暢に話せる人は極少数だろう。

されど”英語を話して下さい”と言われ片言でも話せる人は大多数で有る筈である。

それは日常生活の中に多くの”英語”があり五感でそれを常、感じ取っているからである。

翻り日常生活の中でスワヒリ語に五感で触れられる機会がある人は極少数である。

故に”英語を話す”事は”困難である事を理解している分だけ困難ではないという事になる。

本当にそれが”困難”である場合はそれが”困難である”という事すら理解できないからだ。

更に我が門を潜る多くの方々は私の事を賞賛してくれるが本当に凄いのは私ではない。

良く”先生の後押しがあればこそあの時私は立ち直れたんです、先生のお陰です”と言われるが大事なのは”後押しをして前へ進めた事実”である。

幾ら私が”後押し”をしても逆方向に進んでいれば力は相殺され前へは進めない筈である。

”前へ進めた”という事は既に本人が”前へ進む意思”を持っていたという事である。

ようは私は”前へ進もうと頑張っている人”に”推進力”を与えて差し上げたに過ぎない。

”推進力”をお与えするのは私でなくても出来るが”前へ進む”事が出来るのは御本人のみ。

我々心理職はその”如何に前へ進ませるか”その手解きをほんの少し差し上げるだけ。

それが凄いんですと言われればそれまでだが二十年も同じ仕事をしていてそれが出来ないのならばその仕事は辞めた方が良い(笑)二十年もやっていればそれが出来て”当たり前”である。

閑話休題

FBの世界に身をおいて結構な年数がすぎた。

友録も増え、世界中の人と交流を得る機会を与えられた。

お国柄、つまりナショナリズムは文章の表現に必ず現れる。

同じ英語を書いていても英語圏の人とそれ以外の国の人とでは表現方法が違う。

表現方法が違えばそれを受け取る人の受け取り方も当然違ってくる

そしてそれは何も言語の違いだけに留まらない。

例えば同じ日本国内であったとしても熱い地方の人と寒い地方の人では考え方に大きな隔たりがある。

同じ我慢を強いる環境下の人でも高温と低温とでは受ける刺激が違うから。

そうなればその生活環境に適応する考え方なり物の見方が当然出てくる。

そして心の変化はその日常生活における無意識行動の中に必ず現れる。

例えばFB内で言えばいいね!の数やいいね!を押してくれた内容の変化である。

それを具に見ていれば友録さんの”今”を知る事ができる。

その時その変化を見逃さず、すかさずお声掛けを差し上げる事が大事である。

それは常、その人に気を配っているというサインでもある。

そのサインを示すだけで悩みが解決したりその方向性が見えたりする物である。

我々心理職はそうやって少しでも御悩み解決へ向け尽力をしている

そういう事を色々と考えながら自身のウォールの構成も知らず知らずに作られている。

すると”瀬木ウォッチャー”なる方々も偶に登場される(笑)

私自身は有名人でもないのだが我が拙いウォールを毎日楽しみにしている方が居られる。

そう言う方々が居られるとこちらとしても奮起してウォールを充実したいと思う。

元々が求められるとその求めに応えちゃう人なのでそれが常態化されている(笑)

これからも硬軟取り混ぜて少しでも閲覧者方々が楽しんで戴けるウォール作りに勤しんで参りたいと思っています。

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